俺は普通の高校生なので、

雨ノ千雨

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2章 バイト先で偶然出逢わない

2章28 戦場の獣 ①

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 肌を炙るような空気のピリつき


 ほんの僅かな灯りで濁る薄い闇


 鼻腔を抜けて喉を渇かすこのニオイ


 怒りと恨みが殺意と為り


 不安と恐怖がそれに絡み


 それを更なる殺意で覆う


 漏れ出て、滲みでた、あらゆる感情が情報と為り


 この場の霊子を掻き回す


 混ざり切らずに色が斑なままで蜷局を巻く


 それが混沌


 先行きは見えずとも死の気配は常に身近に


 これが戦場


 危険に心臓を晒せば拍動する魔が生命を熱する


 日本へ帰ってきた時よりも


 万の魔性を向こうに回した時よりも


 今、強く思う


 ここに帰ってきたと――







 ポートパークホテル18F廊下。


 弥堂 優輝びとう ゆうきは護衛対象である福市 穏佳ふくいち しずかを連れて15Fを目指している。

 このホテルの階段は一ヶ所で繋がっておらず、一つフロアを移動すれば次の階段は通路の逆端まで行かないと無い。

 非常時のことをちゃんと想定しているとは思えない作りだ。


(だから爆破なんてされることになる)


 その爆破をした張本人はそう嘯いた。


 今回弥堂が日本の清祓課から受けた依頼は――

 アメリカの“G.H.O.S.Tゴースト”という秘密部隊と協力して、アメリカの特殊な研究機関に勤める日本人の福市博士を、強奪に来るテロリストたちから護衛する――というものだった。

 その依頼の最中、弥堂は突然味方であるはずの“G.H.O.S.Tゴースト”の隊員をテロリストと一緒くたに殺害し、あまつさえ滞在中のホテルに仕掛けられていた爆弾を起爆した。


 この弥堂の行動によって、様々な勢力の思惑とプランが悉く破綻し、ホテルの中は一瞬で混沌とした戦場と化してしまった。

 そして、それは建物の中だけでは留まらず――


(――始まってるな……)


 五感ではなく勘に近いもので、遥か下の地上から闘争の気配を感じとる。


 清祓課と“G.H.O.S.Tゴースト”の策略によって分断されたテロリストたちの本隊が、ホテル外の防衛網へ襲撃を仕掛けていた。

 彼らからしても今の事態は掴めていないだろうが、この切っ掛けにはもう乗るしかない。

 そうでなくとも、敵の防衛線の外で潜みながら見張っていれば随分と緊張を張り詰めさせていただろう。
 そんな時にこんな爆発が起きれば、間抜けな馬鹿が反射的に飛び出していってしまうことだって起こり得る。


 それは弥堂の狙い通りのことだった。


 “G.H.O.S.Tゴースト”とテロリストを潰し合わせて、その戦いの最中で不意を討って双方を殲滅する。
 現在それを実行中だ。


 今回の争いのトロフィーとなる博士を独占するには、戦いが終わった後にテロリストに生き残りが出るのは多少構わない。

 だが、“G.H.O.S.Tゴースト”の方は1人も生き残らせない。

 福市博士を誰にも渡さないという目的を果たすために。


 堅牢な要塞の中で長くても数日耐えればいいだけの“G.H.O.S.Tゴースト”の方が当初は有利だった。

 そのバランスを崩す為に、弥堂は無茶苦茶なスパイ狩りをして“G.H.O.S.Tゴースト”の機能を低下させたのだ。


 ここからの弥堂のタスクは2つ。


 ホテル内の人間を皆殺しにすること。

 もう一つは、博士を生きたまま持ち出すこと。


 その後で行うことになるだろう交渉も重要だが、それは生き残った後で考えることだ。

 まずは15Fの本部を目指す。


 17Fへ降りる階段までもう少しのところで弥堂は歩を緩める。

 階段を上がってくる足音が聴こえた。


 碌に足音を忍ばせていないところから、敵はまだ戦闘が発生していることを認識していない――

 ――そう判断して、弥堂は足を止めた。


 博士は弥堂に肩を掴まれて止まるように指示される。

 ハッハッ――と、荒くなった自分の呼吸が制御できない。

 隣の男に触れられた箇所から全身に鳥肌が広がっていくように感じた。


(こ、こわい……っ)


 あれから10分は経っただろうか。

 30分は経っていない。


 部屋で座って少し変だけど普通の雑談をしていたはずだ。

 その雑談の相手があまりに唐突に――

 だがあまりに自然な流れのように――


――人を殺した。


 たった僅かなこの時間の間で、もう6人も殺している。

 部屋に突然銃を持ったテロリストが踏み込んでくるなんていう衝撃的なはずの出来事は、突然本性を表した殺人鬼のせいで印象にすら残っていない。


 こんな生き物が味方として同じ建物の中に、普通の人間に紛れて同じ部屋の中に居たということの悍ましさ――


 それを考えるとギュゥっと収縮した胃が捻じれたように痛んだ。


「うっ、うぇ――」


 堪えきれず、福市博士は壁に手を着いて嘔吐した。


 弥堂はそんな彼女に眼もくれずに廊下の先をジッと視ている。

 すると――


“――おい、誰か居るのか?”


 博士の嘔吐く声が聴こえたのか、階段のある場所へと折れる角の向こうから男が声を発した。

 その声に僅かに遅れて姿を見せる。


 2人だ。


 三人一組スリーマンセルの編成を崩せたのは弥堂にとって僥倖なことだった。

 スパイ騒ぎで人員不足となったせいで二人一組ツーマンセルに再編成されたのだろう。

 相手が2人ならどうとでもなる。

 だが3人になると、『+1』という数字以上に処理が厄介になる。


 弥堂は博士の背に手を当てて介抱している風を装った。


「こっちだ! 助けてくれ!」


 そして、暗闇に浮かぶ“魂の設計図アニマグラム”を視ながら呼びかけてみる。


(さて、どっちだ?)


 眼を細めて相手の反応を待つ。


“ん……? その人はシズカ博士か?”

「のー、あいあむとむ」


 即座に銃を向けてこないのでテロリストではない。彼らも“G.H.O.S.Tゴースト”の隊員のようだ。

 だが、今回は日本語が通じない相手のようだった。


“オマエは……、マッドドッグか?”
“先に上に向かった応援はどうした?”

「でぃすいずぺん」


 2人は慎重にこちらへ歩いてくる。

 1人が先行、その僅かに左斜め後ろの位置でもう1人がバックアップ。


 弥堂と先頭の男の間の通路の壁には、男に近い位置に非常灯が付いている。

 ぼんやりとした灯りが徐々に隊員の顏に輪郭と色を与えていく。


“チッ、博士が英語喋れるだろ? 彼女は今喋れないのか? どうなってる?”

「あ……」


 少し苛立たしげな隊員の声に反応して、博士が顔を上げた。

 片手を壁に付き、もう片手の白衣の袖で口元を拭う。

 それから慌てて何か返事をしようとして――


「――っ⁉」


――声を詰まらせた。


 博士が顔を動かした時、弥堂は彼女の背を撫で下ろしながら、その手を彼女の尻に持っていく。

 タイトなスカートの布地ごと中指を尻の割れ目に突っ込んで、指の腹で彼女の肛門を強く押した。

 本能的な危機感に身体を縛られ、博士は何も喋れなくなってしまった。


“どうした? 聴こえてるだろ?”


 こちらへ歩いてくる隊員の声に不審な色が乗ったことを感じとる。


「あー……」


 弥堂は英語で何かを答えようとするが、すぐには出てこない。

 お尻を脅迫されている博士とは違って、弥堂の場合は勉強の成績の問題だ。


 トントンっと、絨毯を叩くブーツの音が何回か続いて、先頭の隊員が非常灯の前を通り過ぎた。

 彼の顏の輪郭と色が再び闇にぼやけていく。

 その瞬間――


「――ふぁっく」


 既に使ってしまった2つの文章以外には、もうそれしか知らない最後の英単語を口にして、弥堂は博士の白衣の襟首を掴んで、隊員の方に投げるように突き飛ばした。

 非常灯が付いているのは弥堂から見て右側の壁、博士を突き飛ばしたのがそれとは逆の左側の壁の方だ。


「――え?」

“おい――”


 隊員の視線が反射的に博士の方へ動いた瞬間に、弥堂はナイフを投擲する。


“ぎゅぇ――”


 暗闇に隠れた黒刃は間近に迫るまで隊員の目には映らない。

 ナイフの切っ先を映した1秒内にはその目玉に刃が突き刺さっている。


 後方のもう一人の隊員が先頭の男が倒れゆく姿を見ている間に、弥堂は博士に近付いた。


“き、貴様――ッ!”


 生き残りの隊員が慌てて小銃を向けようとしてくるが、その射線上で弥堂はわかりやすく福市博士を盾にする。


“――チィッ!”


 隊員の判断も早かった。

 思い切りよく小銃を床に放り捨てて、両手を空ける。


 目に映る弥堂の姿と、ナイフを投擲したことから無手と判断したのか、格闘戦を挑んできた。


 顔の前で拳を構えながら、身体を左右に揺すりつつ間合いを詰めてくる。


(ボクシングか――)


 そう見当を付けつつ、攻撃手段の切り替えが不可能な距離まで引き付けてから、弥堂は博士を戦闘範囲の外へ突き飛ばした。


 その時に、弥堂と敵の、殺傷可能範囲キルレンジが重なる。


“シッ――”


 踏み込みながら男は左でジャブを狙ってくる。

 弥堂は相手の左足のスッテプインに合わせて右足を出した。


 その足で踏むのは床ではない。

 相手の左足が床に触れるとほぼ同時に、弥堂は鉄骨入りのブーツの靴底で相手の爪先を踏み砕いた。


“ぎぁ――ッ⁉”


 その痛みに相手は驚くが、踏み込みと共に放っていた左の拳は止められない。

 だが、その精度と威力は乱れた。


 弥堂は重心を下げて首を僅かに左に倒し、相手の左を潜る。

 そしてその腕を右肩で担ぐようにしながら、右腕をフックを放つように巻き込む軌道で振った。


 首と肩で相手の左腕をロックしながら、振った右の前腕で相手の肘を打つ。

 適切な腰の捻りを加えたその一撃で、敵の片腕をヘシ折った。


 その痛みに声を漏らす相手の顔面を狙う。

 弥堂は左ストレートを振りかぶってから打ち出した。


“――クッ!”


 その動作を見た相手は、急いで残った右腕で顔面をガードしようとする。

 弥堂はそのガードに打撃がヒットする瞬間に拳を解き、ガードの腕を掴んだ。


 取った腕を相手の鼻にぶつけてから、目元に押しつけて視界を塞ぐ。

 その勢いのまま弥堂は相手の身体を壁に叩きつけた。


“――うっ、うぐぁ……っ⁉”


 素早く腕から手を離し、次は顎を掴んで無理矢理相手の顔を上に向かせたまま壁に固定する。


“こ、この――”


 隊員は堪らずに自由になった腕で、ホルスターで吊った拳銃を探った。

 彼がその銃を抜くよりも前に――


“――ゴェェッ⁉”


 弥堂は右の拳で相手の喉骨を打ち砕く。

 そして隊員が抜こうとしていた拳銃を奪い取り、喉を打たれたショックで開いた相手の口に銃口を突っこんだ。


 突然舌に与えられた鉄の味に、男の目が見開かれる。

 その目に最期に映ったのは冷酷な蒼銀の光だった。


「下手に自信を持つからそうなる――」


 言葉と共に引き金を引く。

 隊員の身体がビクっと跳ねるのと同時に壁に水音が跳ねる。

 そして死体は床に沈んだ。


「指一本動かすだけで1人殺せるのは効率がいいな」


 どうでもよさそうに感想を述べながら、弥堂は新しく盗んだ銃を適当にスーツの上着のポッケに仕舞った。


「あ、あの、そんな仕舞い方をすると危ないですよ? せめて安全装置を……」


 すると、その様子を見た博士がおずおずと忠告してくる。

 隣を歩かされるのは自分なので、暴発が恐いのだろう。


 碌に走ることすら出来ない運動不足女に指摘を受け、弥堂は気分を害した。


「黙れ。余計な口をきくな。それよりこれを持ってろ」

「え?」


 今しがた殺した男が投げ捨てたライフルを拾って博士へと渡す。


「ひ、ひぃぃ……っ」


 両手に乗ったズッシリとした重みと鉄の冷たさに、博士は顔をまた青褪めさせる。

 思わず手から目を逸らすと、そこには殺されたばかりの男の顏が落ちている。


「こ、これで8人……」


 福市博士はまたメソメソと泣き始めた。


 女の泣く声に苛立ち、弥堂は舌打ちをしながら先程博士が嘔吐した場所へ向かう。


「うるさいぞ。勝手に取るなと言っただろ」

「え……?」


 弥堂はそこで何かを拾うと博士の前まで戻ってきた。


「口を開けろ」


 博士は弥堂の手をジッと見た。

 そこにあるのは、見覚えのある――というか、今回の渡航前に購入したばかりの――真っ白おパンツだ。


「も、もうイヤですっ! こ、こんな……っ、人が死んだり……、胸とか……っ、こんなの初めてです! というかお尻が先なんてあんまりで――もがぁっ⁉」


 弥堂は両手の塞がった女性を気遣って、お口におパンツを詰める親切をしてやった。


 なおもムームーっと何かを抗議する博士の顔を弥堂はジロリと見下ろす。


「ちなみに――」

「むぅーっ?」

「――その銃で後ろから俺を撃ってもいいぞ。ただし。仕留め損なったらどうなるか。よく考えてから、よく狙って撃てよ」

「…………」


 博士はスンっと静かになった。

 その協力的な姿勢に弥堂は満足げに頷き、彼女を連れて下へと続く階段を降りて行った。
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