いつかコントローラーを投げ出して

せんぷう

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人魚の涙

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『どーいうこった!! おい寝惚けてンのかよ、ボス!!』

 月見山一家が帰ると見送りが終わった瞬間、猿石が吼える。

『ボスを助けただのどーだのは知らねぇけど、それで結婚ってどーなってんだ!! なんだあのちんちくりん! ヤダぞ俺っ、アイツ嫌いな匂いする!!』

 散々な言われようだが、俺も擁護する気にはなれない。裏社会の仁義などはよくわからないが

 嘘吐きは、よくない。

 猿石がロビーで叫ぶものだからフロアでの会話を知らない者たちも驚いてボスを見る。ボスはそれに応えることなくエレベーターに乗るが、俺を抱えた猿石はギリギリと歯を食い縛りながらそこから動かない。

『…さっさと入れ』

『ヤダね!! 気分最悪だわ、クッソむかつく!』

 エレベーターに乗り込む三人に背を向けた猿石はそのまま違う道に向けて歩き出す。当然彼に抱えられた俺も同行しているのだが、今回は猿石に賛成だ。

 今は、何も聞きたくない。

『おいバカ猿っ!! ったく仕方ねぇ…、宋平。その馬鹿を連れて、』

『っ今ソーヘーを巻き込むんじゃねぇよ!! ぶち殺すぞテメェ!!』

 ブワッと溢れ出る猿石の威嚇に誰もが言葉を飲み、足を止める。明らかな殺意を込めたそれに刃斬も思わず言葉を切った。

『任務は終わった! アイス食って風呂入った! 報告以上、終わり!! あー最悪だわ。折角風呂入ってサッパリしたのにな』

 俺を支えていない方の手をポケットに突っ込み、足早にその場を離れようとする。今はただ猿石の存在が有り難くて仕方ない。

 でも、未だ残る彼の威嚇を放置出来ずにバランサーの力を使おうとした瞬間…ロビー全体に広がる禍々しい新たな威嚇フェロモンが猿石のそれを打ち消した。

 なっ…?! 嘘だろ、なんだこのドロドロした重たい威嚇! いや、でもこれ…少し違うけど、いつかの路地裏のと似てる。

『猿石、…宋平』

 声だけでも耐性のない者なら逃げ出したくなるレベルだ。

『早く来な』

 聞き分けのない子どもに言うような、少し苛立った声。思わずムッとしたのは俺だけではない。ボスに真っ向から対峙する猿石に周囲は気が気じゃないのだ。

 普段ならボスが負けることなどない。

 …だが。

 猿石は今、俺を抱えている。あらゆるフェロモンが効かない俺を持つ猿石の方が有利だ。皆はそれを嫌というほど、理解している。

『チッ…。どーするソーヘー。俺はお前が嫌なら何処へだって連れてってやるけど』

『…バカ言わないの。ボスが言うなら絶対でしょ。

 なんだから。俺たちは従うまでだよ』

 一度もボスと視線を合わせることはなかった。というか、絶対に合わせたくなかった。合わせる顔がない。

 俺の言葉を聞いた彼はそりゃそーだ、と適当なことを言ってからエレベーターに向かって歩き出す。再び地獄みたいな空気の箱の中。いや、恐らくさっきよりも気まずい。

 フロアに着くと、猿石は俺を抱えたまま嫌そうにソファを見る。

『…立ってる』

 いやどんだけ嫌なの、お前?!

 呆れた犬飼が消臭作業をして、わざわざソファにカバーまでしてくれた。ほら、と言ってから給湯室に消えた犬飼。スンスンと匂いを嗅ぐ猿石は先ずソファに俺を置き、寝っ転がるよう指示を出す。言われるがままに横になって数秒が過ぎると満足気な猿石が嬉々として俺を起こして横に座る。

 …ねぇ。やっぱ俺って臭い…?

『ったく。結局テメェは好き勝手しやがって』

『はぁ? 所持品検査に監視、立派に仕事しただろーが』

 許嫁。婚約。結婚。

 座ってしまうと嫌でも思い出してしまう、先程のやり取り。隣の猿石たちの会話も何処か遠い世界のやり取りのようで、ぼんやりする。

『…マスク取りな。大丈夫? 少し顔色が悪いんじゃない?』

 お茶を淹れてきてくれた犬飼がしゃがんで俺の髪を耳に掛けるとすぐにマスクを取ってポケットに突っ込む。

『平気です! ちょっと逆上のぼせてただけだから』

 ずっとテーブルの角を見つめたまま、誰とも視線が合わないようにする。自分がどんな顔をするかわからなくて怖い。

『で?! なんであんな巫山戯た話になんだよ! ボスに見合い話とか殆ど来てなかっただろ!』

『ちょくちょく来てたわ』

 お見合い…。

 そっ、か。まぁそうだよな。裏社会のトップだし…何歳くらいかな。ボスはまだ二十代前半くらいだからそんな話、腐るほど来るよな。

『ボスは会合の襲撃夜、あるオメガに命を救われた。宋平が助けを呼んでいる間にその身の熱を使ってな。すぐにいなくなったようで、探してたわけだ』

『…それがアイツってこと?』

 ちがう。

『そういうこった。…納得したか?』

 違うよ、違うんだ。

 …そう言いたいっ、言いたいけど…!

『っ助けられた義理はあっても、なんで結婚まで話が進むんだよ!? そこまでは行かねーだろ普通!』

 思わず立ち上がった猿石に問い正されると今まで話していた刃斬は黙り、そっとボスの方に視線を向ける。

『まァ…そうさな。会ってみて、相性が良さそうだと思ったからだな』

 なんだそれ。

 なんだよ、それじゃあ…もう周りが何を言ったって、ダメじゃないか。

『…さいあく』

 ポツリとそう呟いた猿石はもう何も言わずに座ってそっぽを向いた。ボスは書類を眺め、刃斬はお茶を啜っている。

 なんでこんなに酷い気分なんだろう。俺には、関係ない話だ。だって…俺は三年で消える。あの人みたいに対等な関係でもない、借金もあるし。

 なのにどうして。

 どうして、こんなにも胸が痛む? 思い付く限りの罵倒を投げ付けたい?

 どうして、結婚するくせに…俺に優しくしたんだろう。

 …子どもの面倒を見るようなものだったんだろうか。手の掛かる、弟みたいな…。

『…おめでたいことじゃ、ないですか』

 どうせ自分は名乗ることすら出来ない。俺が貴方を救ったバランサーです、なんて言えない。あんな人はいなかったと叫んだところで証拠もないし。

『なんでこんなお通夜みたいな雰囲気なんです? ボスが気に入って結婚するなら良かったじゃないですか。もう、最悪なんて言っちゃダメだよアニキ』

 俺の声は震えていないだろうか。

 俺はちゃんと、笑えているだろうか。

 ベータの子らしく出来ているだろうか?

『おめでとうございます』

 バランサーになんて

 産まれて来なければ良かった。

『…ソーヘー…』

『お仕事も終わったし、俺はもう帰った方が良いですかね? 午後からは何かありますか?』

『あ、ああ…。午後から双子に同行してもらいてぇ仕事がある。猿連れて飯食ったら待機しててくれ』

 刃斬の言葉に笑顔で了解を告げると、猿石を連れてエレベーターに向かう。いつも通り残るメンバーに手を振るが今日はボスとは一切目を合わせられなかった。

 エレベーターに入ってもまだ気は抜けない。隣に立つ猿石の手を握り、溜まり部屋の階に着いた瞬間手を引いて歩き出す。

『そだ。ソーヘーの服…待ってろ、犬飼の奴に服持って来いって言って、や…

 は? ソーヘー…?』

 鼻が痛くてツンとする。猿石の服を汚したくなくて、必死に自分の腕で涙を拭うのに全然止まらない。

『そそそそっ、ソーヘー?! え! ど、どっか痛ぇの?! どした?!』

 そうなんだ。胸も痛いし、頭も痛い。酷い有様だよ、本当に。

『っ…わかった! よし、来い!』

 サングラスを掛け直してから泣いている俺をおんぶした猿石は目にも止まらぬ速さでその場から走り出す。非常階段の扉を開いた彼は苦手な太陽も構わず階段を駆け上がり少し息を乱しながら目的地らしき場所に来た。

 そこは居住区で猿石の部屋がある階層だ。

『えっと…先ずは犬飼の野郎に…あ。なんか必要なモンも持って来さそ。昼飯と、服と、後は何。でこ? デコに貼るやつか!!』 

 俺をおんぶしながらスマホを弄る猿石はベコベコの扉を勢いよくガン、と蹴ると衝撃によって扉が開く。中に入ってから再び扉を蹴って閉めるから後日この癖は矯正しなければとボンヤリ思う。

 寝室に入って布団の上に俺を下ろしてから猿石は冷蔵庫を漁って水の入ったペットボトルとタオルを用意してくれた。

『ありがとう…』

『…どこも痛くねぇの?』

 うん、と頷くと猿石は心配そうに俺の頭を撫でてくれる。その後すぐに犬飼さんが部屋へとやって来た。

『入ンなクソが! 荷物だけ置いて行けや!!』

『いーからいーから! はいはい、失礼しますっと。うわぁ相変わらず何もない部屋だな本当に』

 寝室の扉が開かれると、布団の上に乗った俺と目が合った瞬間、犬飼が笑顔のままビシッと固まる。

『やだエロい!! 事後?! え、事後じゃないよね、とんでもねぇ色気だ! この彼シャツと布団と上気じょうきしてウルウルな眼! いやぁ、ヤベーね』

『お前死にに来たのか?』

 パシャ、とシャッター音がすると二人が取っ組み合いの喧嘩をし出す。

 …元気だなぁ。

『まぁ悪ふざけはこのくらいにして』

『テメェの存在が悪ふざけだわ』

 辛辣な猿石の言葉を無視して犬飼は持っていた袋からキミチキ! のパーカーとTシャツを出してくれる。着替えた俺に市販の目薬をさして、一応と言って冷えピタも貼ってもらった。

『ありがとう、犬飼さん…』

『んふー。いいえ~。やっぱり君は素直で宜しいね。

 素直ついでに聞きたいことがあるんだ』

 今までの雰囲気から一変し、犬飼は真剣な顔付きになってからスマホを取り出す。

『率直に聞くけど、宋平はあの夜に彼を見たかな? 君は結構耳も良いよね。車のエンジンの音とか聞いた?』

 犬飼の質問に全て首を横に振る。その後も何個か質問を受けて答えると犬飼がスマホを操作しながらフムフムと頷く。

『OK! 色々調べたいことあるから、助かるよ。出前何食べる? これから双子来るから持って来させるね。この猿は次の仕事に連れてくから』

 犬飼の言葉にこの世の終わりみたいな顔をする猿石。悲しむ彼に膝を貸して目薬をさしてあげると途端に上機嫌になって出て行く際には力強いハグをして別れた。

 入れ替わるようにして入って来た双子の騒がしさには涙も引っ込んでしまう。


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