紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

文字の大きさ
2 / 36
第1章 出会いは突然に

第2話 幽鬼騒動

しおりを挟む
 
 曄琳イェリンが身を置いているのは内教坊ないきょうぼう――すなわち、宮廷に仕える女楽人・宮妓きゅうぎのための宮廷音楽の手習い所であった。ここに所属する宮妓は、皇帝の宴席や私宴に管弦や舞で花を添えるため、日夜芸事に励むことになる。
 
「ゆーき、ほーろー?」

 これでも宮妓の端くれである曄琳は、口いっぱいに詰め込んでいた朝餉を茶で流し込み、休まず動かしていた食事の手を止めた。

「んぐ……幽鬼ゆうき騒動って一体なんですか?」

 曄琳の目の前には、ミンが盆を抱えて座っている。曄琳よりいくつか年上の、一重の涼し気な目が印象的な女性だ。彼女は曄琳の琴の師匠であり、教坊で義理の姉妹関係を結ぶ存在でもあった。
  
「あんた知らないの!? ここ最近後宮ではこの話で持ち切りよ!?」
「知らないです。後宮には知り合いがいないので」
 
 茗はため息をついてあたりを見回すと、声を落として前のめりに曄琳に近づく。周りが喧しくて声がうまく聞き取れず、曄琳も自然と前のめりになる。
 朝餉の時間、教坊の食事処は混む。決まった時間に飯を食えと言われているわけではないが、毎日同じ時間に食房から食事が支給されるため、自然と同じ時間に食事処に集まることになるのだ。
 
「赤い上衣を着た女の幽鬼ゆうきのことさ。夜更けにふらふら後宮内を歩いてるんだってさ」
 
(夜更けにふらふら、ねぇ……)
  
 曄琳は呆れ半分に箸を止める。 
 後宮に女なんてわんさかいる。赤い上衣を着た人間もだ。
 愛憎渦巻く宮中に怪談話は付き物で、大概見間違いや勘違いが多い。妃嬪の誰かと見間違えているんだろうと、曄琳は内心早々に結論づける。
 
「それだけでなんで幽鬼だってわかるんです。実害は?」
彷徨さまよいてるだけらしいよ」
「なるほど。悪さしないならきっと良い幽鬼です。放っておいたらいいと思います」

 曄琳の興味は幽鬼から食事に移る。
 今日の朝餉は、饅頭マントウに菜っ葉の汁物と、干し肉一片。こんな豪華なご飯が食べられるなんて、なんと宮中は恵まれていることか。肉なんて貧民街にいた頃はほとんど食べたことがなかった。基本一日一食。あわか米を塩で蒸して腹に流し込むのが定番だった。
 温かい食事、ありがとう。感謝の念から勢いよく食事の手を再開した曄琳に、茗はなんとか気を引こうと話を続ける。
 
「なんでも、主上しゅじょうが後宮にお泊まりになる日の夜にだけ出るんだって」
「そーなんれすか?」
「しかも女幽鬼は閉鎖されているはずの安礼宮あんれいきゅうをずーっと彷徨っているんだって」
「あんーれーひゅー」

 安礼宮の名に引っかかる。
 思案するように曄琳のもぐもぐ動く口がゆっくり止まる。口の端には饅頭のカスがついている。

「んぐ……つまり女幽鬼は、昨年亡くなった主上の御母堂……アン妃じゃないかと?」
「そう! だから皆余計怖がってんの! 主上が後宮に泊まる夜にだけ出るのも、安妃が主上をあの世に連れて行こうとしてるんじゃないかって」

 安妃は先の皇帝の妃であり、主上の生母だ。
 後宮の安礼宮に身を置いていたが、齢三十一にして昨年亡くなった。持病もなく、突然のことであったらしい。
 そしてその一月後、長く病に伏していた皇帝までも身罷みまかったことで、安妃が冥府に道連れにしたのではないか――などと噂が流れたという。

 今回の幽鬼は安礼宮に出ることから、安妃の仕業だろうと考えられているらしい。
 曄琳はふむと鼻を鳴らす。

(母親の安妃が息子たる主上を道連れにしたいなんて、普通思う? 先帝の件も偶然だろうし)
 
 想像力は人の首を絞める。
 実害もないのに勝手に怖がるなど、馬鹿らしい。死んで勝手に幽鬼扱いされては、安妃も浮かばれまい。
 曄琳はくだらないと一蹴しかけたが、はたと顔を上げた。

「それをなんで私に話すんですか?」
「んー?」
「……魂胆はなんですか?」

 茗は楽しい世間話をしようというような可愛い質の人間じゃない。宮妓は皆、したたかだ。利用し利用される宮廷で、大抵の女が逞しくなる。

「えへ。バレた?」
「そういう小細工はいいですから。なにが目的ですか?」
小曄シャオイェのよく聞こえる耳でさ、あたしらを助けてほしいんだわ」

 茗はニヤリと笑った。

「幽鬼の正体、暴いてきてよ」


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」 魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。 鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。 (な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?) 実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。 レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。 「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」 冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。 一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。 「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」 これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~

佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。 それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。 しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。 不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。 陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。 契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。 これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

処理中です...