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セシルside
しおりを挟むセシルは平凡な一般家庭に生まれた。両親とセシルの三人家族。暮らしていた家は、父親が代々引き継いでいるものだった。立派な豪邸ではない。小さな家だが、地下に部屋がある作りになっていた。秘密基地のようで楽しくて、セシルは地下の部屋を自分の部屋として使っていた。
裕福ではないが、平和で幸せな毎日。
ところがある日、両親が事故で命を落とした。
身寄りのなかったセシルを引き取ったのは、ソフィアの家の執事だった。彼はセシルの父の昔馴染みで、交流は薄れていたが、訃報を聞き、訪ねてきてくれた。そこでセシルの現状を知り、引き取ろうと考えた。
セシルはまだ子供だった。けれど、甘えてはいけないと思った。血の繋がりもない自分が、なにもせず、ただ世話になるだけではだめだと。
働かせてほしいと頼んだセシルに、執事が与えた仕事は、従者だった。数年かけて必要な知識やマナーをみっちり仕込まれた。そうして、引き合わせても大丈夫だと執事から判断をくだされてから、セシルは自分が仕える主と対面した。それがソフィアだ。
可愛らしい少女だった。従者だと紹介されたセシルに、キラキラと瞳を輝かせ笑顔を向ける。「これからよろしくね」と、嬉しそうにはしゃいだ声で言った。
ソフィアはたくさん話をしてくれた。彼女の声は聞いていて心地いい。話しかけてくれるのが嬉しかった。他愛ない話にも、セシルは熱心に耳を傾けた。
彼女と出会い一緒に過ごすようになり、自然と彼女に惹かれていった。そうなると、セシルの意識も変わっていった。最初は生きるために必要だったから従者になるために頑張っていた。頑張らなければいけないのだと思っていた。
けれどいつの間にか、ソフィアに恥じない従者でありたいと思うようになっていた。彼女の誇れる従者になりたいと。セシルはそうなるために努力を重ねていった。
ある日、ソフィアと庭を散策していた。そのとき、風に靡く彼女の髪に見惚れた。「綺麗ですね」と思わず口に出して言ってしまった。それを聞いたソフィアは、顔を真っ赤にして喜んだ。嬉しそうな彼女の笑顔に心が揺さぶられる。でも、決して顔には出さなかった。
ソフィアの笑顔一つに言葉一つに、心は乱される。セシルは必死にそれを隠した。ソフィアと接するときは常に表情を引き締め、感情を表に出すことはなかった。
彼女に恋をしている自覚はあった。だからこそ、従者として適切な距離を保つのに必死だった。自分の気持ちを押し殺し、彼女に仕える。彼女の傍にいられるだけで充分だった。幸せだった。
そんなとき、ソフィアに婚約が申し込まれた。彼女はそれを受けた。
わかっていたことだ。いつかはこんな日が来るとわかっていた。それでもショックは大きかった。人前でそれを態度に出すことはしなかったが。
ソフィアが幸せになってくれるなら、それでいい。それ以上は望まない。彼女の幸せが、セシルの望みだ。
それからソフィアは、婚約者と度々顔を合わせるようになった。気になったのは、彼女があまり嬉しそうではないことだ。笑顔を見せてはいるが、あれは心からのものではない。彼女はこの婚約を望んでいないのだろうか。ソフィアは婚約について、嬉しいとも嫌だとも一言も口にしていない。彼女の気持ちがわからずやきもきする日々がつづいた。その上、ソフィアはなぜが、一人で行動することが多くなった。そして勉強と言いながら、他国について書かれた書物を熱心に読み漁っている。なんだか嫌な予感がした。
少しずつ婚約者と会う回数が減っていった。はじめは親しげだった婚約者の態度も、そっけないものになっていた。腹立たしかった。自分から婚約を申し込んでおいて、その態度はなんなのだ。セシルは心の内で強い怒りを感じていた。
そして言い渡された「婚約破棄」。怒りは殺意に変わった。もちろん殺しはしないけれど。頭の中で何度か殺人のシミュレーションはしてしまったが、行動に移すことはなかった。
そんなことよりも、大事なのはソフィアだ。婚約破棄を言い渡されてから、本格的に怪しい行動が増えている。そわそわして、隠し事をしているのは明らかだった。彼女は態度に出さないように気をつけているので、気づいたのはセシルだけかもしれないが。
気のせいならば、それでいい。杞憂に終わってくれるなら、それが一番だ。でも、そうではなかったら。ずっと嫌な予感がしているのだ。もしも、万が一、そんなことになったら、セシルは耐えられない。
セシルはソフィアの部屋を探ることにした。手遅れになるくらいなら、これくらいのことは厭わなかった。そして、他国についてびっしり書き込まれた紙を発見した。治安や気候、物価など様々な情報が書いてある。まるで、住みやすさを比べているような。どの国が一番暮らしやすいのかを考えて書かれているように思える。嫌な予感は一気に膨れ上がった。
それでもまだ、確証には至らない。そんなはずはないと思いたかった。信じたかった。それでも沸き上がった疑惑は消せない。信じたいと思いながら、もしものときに備えてセシルは冷静に準備を進める。既に冷静ではなかったのかもしれない。頭の隅ではわかっていた。自分の主人を軟禁する準備を整えるなんて、冷静であるはずがない。それでもセシルは止めなかった。
セシルは常にソフィアの動向を探っていた。夜中も彼女の部屋を見張る。いつ何時、彼女が行動を起こすかわからない。気の休まらない日々がつづいた。
そして、正式に婚約が破棄されたその日。遂に、ソフィアが動いた。真夜中、身なりを整えた彼女が、部屋から出てきたのだ。手には荷物も持っている。
やはりという思いと、信じたくない思い。
階段を下りていくソフィアに気づかれないよう、セシルは彼女の部屋に忍び込んだ。そこで、置き手紙を見つける。それを読んで、嫌な予感は当たったのだと知った。セシルは自室に戻り、ハンカチに用意していた薬を染み込ませる。まさか本当に使うことになるとは。それを手に、セシルは足音を殺して彼女のあとを追いかけた。
眠らせたソフィアを抱き上げ、セシルが向かった先は両親と暮らしていた家だ。既に準備は終えている。彼女をそこに閉じ込める準備は。
父が亡くなったあと、あの家はセシルのものになった。引き取ってくれた執事が手続きを済ませてくれたのだ。従者として稼いだ給金の一部ははあの家を維持するために使っていた。月に一、二回足を運び掃除もしている。
誰にも出くわさずに辿り着けた。ソフィアを連れ、地下に下りる。
このときのために綺麗に整えたベッドの上に、彼女を寝かせた。ソフィアはまだ目を覚まさない。
彼女の切られた髪を見つめる。胸が痛んだ。息が詰まるような苦しさを感じた。
ソフィアはあの男が好きだったのだ。あの、元婚約者の男が。あの男と会っているとき嬉しそうに見えなかったのは、きっと緊張していただけだったのだ。彼女はあの男に思いを寄せていた。それなのにあの男は、自分の勝手な都合で一方的に婚約を破棄したのだ。自分から婚約を申し込み、彼女の心を奪っておいて、結局突き放した。腸が煮えくり返る思いがした。
あの男に婚約を破棄されたショックで、彼女は髪を切ったのだ。あんなに長かった髪を。美しく、艶やかな。セシルが何度触れたいと願ったか。心から切望しながら、決して手を伸ばすことの叶わなかった。
あんな男のために。あんな男のせいで。
彼女は自分から、離れようとした。
家を捨て、家族を捨て、セシルも捨てて。
許せない。
傍にいられるならそれでよかった。彼女が誰と結婚し、誰と家庭を築いても。彼女が幸せならばよかった。
でも、自分の前から姿を消すのは許せない。それだけは、許せない。耐えられない。
こんなことなら、もっと早くにこうしていればよかった。結局こうなるのなら、あの男が現れる前に奪ってしまえばよかった。
そうしていたら、彼女が傷つくこともなかったのだ。
もう、迷わない。躊躇わない。罵られようと。恨まれようと。憎まれようと。後悔などしない。
彼女が自分から離れようとするならば、セシルは決してそれを許しはしない。
用意していたロープとタオルに手を伸ばす。
絶対に逃がさない。彼女から全てを奪い、自分のものにする。
セシルの仄暗い瞳は、眠るソフィアの顔を映していた。
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読んでくださってありがとうございます。
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