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しおりを挟む翌日。殆ど眠れていないし体は疲れきっていたが、蓮斗は壱岐と一緒に大学へ向かった。
壱岐は「今日はこのままずっと油井と二人でいたい」と抱きついてきたが、宥めすかしどうにか説得して彼のマンションを出た。二人きりで部屋に籠っていたら、きっとまた抱かれる。それだけは避けたかったのだ。
受ける講義が違うので、校内に入り蓮斗は彼と別れた。名残惜しそうにこちらを見つめながらも、壱岐は教室へ向かう。
彼の姿が完全に見えなくなったところで、蓮斗は外へ出た。そしてそのまままっすぐ自宅へと帰る。
一日空けただけなのに、自分の暮らす古くさいアパートが酷く懐かしく感じられた。
部屋に入り、ベッドに直行する。安っぽいベッドの感触に安心感を覚えた。
体はくたくたで、眠気はピークに達している。蓮斗は気絶するように眠りに落ちていった。
ふと目を覚ますと、窓の外は夕暮れに染まっていた。すっかり熟睡してしまったようだ。バイトが休みでよかった。
時間を確認するためにスマホに手を伸ばす。画面を見てぎょっとした。着信とメッセージの通知が大量にきている。全て壱岐からだ。
というか、彼とはまだ連絡先の交換をしていないはずだが。いつの間にか勝手に彼の連絡先が登録されている。
とりあえず、一度彼に連絡しておいた方がよさそうだ。
そう思ったところでチャイムが鳴った。連絡を後回しにして玄関へ向かう。
ドアを開けると、そこにいたのは壱岐だった。
彼は息を切らせ、険しい表情で蓮斗を見つめる。
「油井……」
壱岐はふらりと上体を傾け、そのまま強く蓮斗を抱き締めた。
「良かった……。無事だったんだな」
「え……?」
「どこにも姿が見えないし、全然連絡がつかなかったから、何かあったのかと……」
壱岐は深く安堵の息を吐く。
どうやらかなり心配させてしまったようだ。
「ご、ごめん……。俺、疲れて爆睡してて……着信とか気づかなくて……」
「無事ならそれでいい」
ぎゅうっと、更にきつく彼の腕に抱き締められる。
というか、何故蓮斗の家を知っているのだろう。彼に教えた覚えはない。
そもそも、思えばバイト先を知っているのもおかしいのだ。
けれど、元々彼は蓮斗の進学先をひっそりと調べ上げ同じ大学に入学した。だとしたら家やバイト先を知られていても不思議ではないのか。後をつければ簡単にわかる事だ。
彼の背中をそっと撫でながら、改めて実感する。
執着というか執念というか……彼の愛は蓮斗が思っているよりもずっとずっと重いようだ。
自分にその全てを受け入れられるのか不安を覚えるほどに。
それから特に何事もなく数日が過ぎた。壱岐とは普通に恋人のような関係におさまっている。
変わった事と言えば、壱岐が変装しないでバイト先に来るようになった事だ。もう変装する意味がないので普通に壱岐としてやって来る。そしてバイトが終わると家まで送ってくれた。
蓮斗がバイト中は必ず客として現れる。今も、壱岐はコーヒーを飲みながらこちらをチラチラと気にしているのがわかった。
壱岐を意識すると落ち着かなくなるので、極力彼の存在を視界に入れないようにしながら仕事をする。
ドアが開き、新たな客が店に足を踏み入れる。そちらに目を向けると、同い年くらいの女性客だった。恐らくはじめて見る顔なのに、何故か彼女の事を知っているような感覚になる。
不思議な感覚に内心首を傾げながらも、他の従業員に彼女の接客を任せ蓮斗は自分の仕事に集中しようとした。
けれど。
「ひぃっ……!?」
席に案内されている途中でその女性客が短い悲鳴を上げ、蓮斗は再び彼女へと顔を向けた。
女性客の視線の先には壱岐がいる。彼女の顔からは血の気がうせ、体は震えていた。明らかに、その女性客は壱岐を見て怯えている。
そして壱岐も彼女を見た。彼女の存在を目に映し、壱岐は眉を顰めた。
壱岐と目が合い、女性客はビクリと肩を竦ませ踵を返す。そのまま逃げるように店から出ていった。
彼女が怯えていたその原因は壱岐のようだったが、彼は何もしていない。
だから残された店員は不思議そうに首を傾げつつ、業務に戻った。
しかし蓮斗は深刻な顔をしている壱岐が気になって、なかなか仕事に集中できなかった。
バイトが終わり、いつもなら家に送ってくれるのだが「話がある」と壱岐に言われ彼のマンションへと連れて行かれた。
何となくあの女性客の事だろうと予想はしていたが、彼の口から飛び出た言葉には驚いた。
「あの女は、前世で君の命を奪った王女だ」
ソファの隣に座る壱岐にそう言われ、蓮斗は目を丸くする。
彼女を見た時の事を思い出す。はじめて見たはずなのに、彼女の事を知っているような感覚。あれは、前世で彼女の事を知っていたからだろうか。
壱岐を見て、彼女は蒼白な顔で恐怖に震えていた。それは前世で彼に殺された事を思い出したからなのかもしれない。
そんな事を考えていると、壱岐に肩を掴まれた。彼は真剣な面持ちでこちらを見つめている。
「もしかしたら、あの女がまた君の命を狙うかもしれない」
「っえ……?」
「だとしたら、外に出るのは危険だ。バイトも大学も辞めて、ここにずっといてほしい。ここに俺と一緒に住んで、もう部屋からは出ないでほしい。油井には目の届くところにいてほしいんだ」
「ええっ……?」
いきなりとんでもない事を言われ、蓮斗は一瞬言葉を失う。
「…………いや、命を狙うって、なんで?」
「あの女の様子を見ただろう? あの女は確実に前世を思い出している。なら、また君の命を奪おうと考えてもおかしくない。前世でも、俺と君の仲を引き裂こうとして……そんな勝手な理由で簡単に君を殺したんだ」
壱岐はそう言うけれど、彼女の怯えようを見る限り、寧ろもう絶対に関わりたくないと思っているのではないだろうか。というか、あんなに怯えるなんて、彼女は彼に一体どんな殺され方をしたのか。
「頼む、油井……。君が心配なんだ。また君にもしもの事があったら……俺は……っ」
壱岐は懇願するように言う。彼は本気で蓮斗の身を案じている。
それも無理はないのかもしれない。もし自分が彼の立場だったら。前世で命を落としたのが、自分ではなく彼だったら。
愛する人を殺された事実に絶望し、殺した相手を心底憎み、きっと許す事なんてできない。
そして二度と会えないと思っていた愛する人に、奇跡的にもう一度出会う事ができたなら。その人を失う事が怖くて堪らなくなるだろう。
思いが強ければ強いほど恐怖は大きくなって、疑心暗鬼になる。
そんな彼の気持ちがわかるから、無闇に突っぱねる事などできなかった。ただの壱岐の杞憂に過ぎないとしても。
「…………バイトは、辞めるよ」
「本当か、油井っ」
「うん。でも、急にっていうのは迷惑になるから……来月いっぱいで辞めるって事で。そこは譲れない」
「わかった」
「あと、大学はこのまま通い続けたい」
少しでも壱岐を安心させてあげたいとは思うが、さすがに退学まではできない。どうにか彼を説得しなければ。
「だが……」
「だ、だって、折角壱岐と同じとこに行ってるんだから、一緒に通いたいよ。少しでも俺と一緒にいたいと思ってくれてるなら、俺も大学に行った方がいいだろ。講義は別でも、一緒に過ごせる時間は長くなるんだし」
効果はないかもしれないが、上目遣いで精一杯甘えるような声で言ってみた。媚びる以外に方法が思いつかないのだから仕方ない。
しかし壱岐に対して効果はてきめんだった。蓮斗の言葉を純粋に受け取り、目をキラキラさせて喜んでいる。壱岐は盲目過ぎる気がする。心配になるほどだ。
「じゃあ、ここに引っ越してきてくれるよな?」
期待に満ちた目で問われ、言葉に詰まる。しかし、一緒に住む事を拒めば大学の件も受け入れてもらえなくなるかもしれない。
斯くして、蓮斗は彼と同棲する事になった。とりあえず、大学に通えるならいい。そういう事にした。
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