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しおりを挟む久我家。それはこの国では知らぬ者はいないと言われる大財閥である。血縁者全てが優秀で、容姿、頭脳、全てにおいて優れた一族だ。
その優秀な久我家に産まれた伊吹だが、彼は何もかもが平凡だった。
両親も兄姉も、伊吹以外は久我家としてどこに出しても恥ずかしくない美貌と頭脳を兼ね備えていた。しかし伊吹は同じ久我の血を引いていながら、あまりにも凡庸だった。
そのため、伊吹は家族の中で浮いていた。不細工と罵られ、出来の悪さを嘲笑され、家族全員から疎まれ、顔を合わせることすら避けられる。特に母親は酷かった。自分の腹からこんな出来損ないが生まれてきたなんて、と嘆き、いつしか伊吹の存在を意識的に忘れるようになった。
勝手に部屋から出ることも許されなくなり、伊吹は常に一人で過ごした。家族にとって伊吹の存在は恥でしかなく、学校は通信制にされた。顔を合わせるのは使用人だけで、家族とは同じ屋敷で暮らしながら一切関わることがなくなっていた。
久我家の一族が集まるパーティーにも、うんと幼い頃に二、三回参加したがそれ以降はずっと欠席させられていた。
数年間、伊吹が一度もパーティーに顔を見せないことに疑問を抱いたのは、同じく久我の血を引く親戚の貴生、栞夫妻だ。彼らと伊吹は以前パーティーで顔を合わせていた。挨拶を交わした伊吹のことを覚えていて、伊吹がずっとパーティーを欠席していて、家族の誰も伊吹の名前を口にしないことに異変を察知してくれたのだ。
貴生と栞は伊吹の置かれた現状を知り、伊吹を引き取ることを決意する。引き取りたいと願い出た二人に、伊吹の両親は快く快諾した。これで漸く家の恥部を手放せると心から喜んだ。
それから、伊吹は貴生と栞の二人が暮らす家で一緒に生活するようになった。
二人には子供がいなかった。伊吹が来てくれたことを心から喜び、実の子供のように可愛がってくれた。
平凡な伊吹を貶めることなどなく、同じ食卓で食事をしてくれる。顔を合わせ、目を合わせて話をしてくれる。蔑みの視線ではなく、笑顔を向けてくれる。伊吹が声をかけても嫌な顔をせず受け答えしてくれる。家の中を自由に歩くことを許され、同じ空間にいることを許してくれる。
本当の家族には許してもらえなかったことを、貴生と栞は許してくれた。
最初の頃はまだ慣れなくて、伊吹は部屋に閉じ籠っていることが多かった。自分の顔を見せたら不快な思いをさせてしまうのではないか、家族から受けた仕打ちを思い出して、貴生と栞の二人の反応が怖くて、まともに顔を合わせられなかった。人と接することに恐怖を感じていた。
けれど貴生と栞が根気よく、時間をかけて伊吹と向き合ってくれたことで、伊吹も徐々に心を開くことができた。
食事中も最初はただ黙々と食べ、早く食事を終わらせて部屋に戻らなくてはと焦っていた。だが貴生と栞が笑顔で声をかけてくれて、徐々に会話が増えていった。貴生と栞の会話に伊吹が思わず笑みを零せば、二人は嬉しそうに微笑んでくれた。伊吹が笑えば、二人も笑ってくれる。それが嬉しくて、少しずつ伊吹の笑顔も増えていった。
部屋に籠りっぱなしだった伊吹が、部屋の外で過ごす時間が多くなっていった。
リビングで、貴生と栞と一緒にテレビを観たり、ゲームをしたり、勉強を教えてもらったり、そんな何気ない、和やかな時間に伊吹の心は癒されていった。本当の家族からは与えられなかった愛情を、貴生と栞から惜しみなく注がれ、伊吹はいつしか自然と心から笑えるようになっていった。
今の生活に慣れ、伊吹の精神が安定すると、二人は伊吹を外へ連れ出してくれた。
遊園地に動物園に水族館、一度も行くことのできなかった色んな場所へ連れていってくれた。三人で、たくさんの思い出を作った。
二人と過ごす時間は、家族と一緒に暮らしていたときとは比べものにならないくらい本当に楽しくて、幸せで、毎日笑顔が絶えなかった。
伊吹も二人を本当の父と母のように思うようになっていた。
中学へ進学し、伊吹は学校へ通うようになった。久我家の人間に相応しい格式高い有名校ではなく、一般家庭の子供が通う普通の学校だ。「久我伊吹」と名乗っても、誰も伊吹があの久我財閥の血縁だとは思っていない。だから伊吹が優秀じゃなくても、誰もそれを馬鹿にしたりしない。「久我」であることを気負わずにいられる。周りの目を気にする必要はない。そんな環境が、伊吹にとってとても気が楽だった。
学校にも慣れた頃。
貴生と栞の家に新しい家族がやって来た。
同じく久我の血を引いている、伊吹よりも五つ年下の少年だ。
清一郎というその少年も、事情があって貴生と栞の家で引き取ることになったのだという。詳しく説明はしてもらえなかったが、その少年も心に傷を負っているのだと教えられた。仲良くしてあげてほしいと、家族として受け入れてほしいと言われた。
伊吹はもちろん了承した。伊吹が貴生と栞の優しさに救われたように、伊吹もその少年の傷を少しでも癒してあげたいと思った。
家にやって来た清一郎を一目見て、伊吹はその美しさに驚いた。目を瞠るほどの美少年だった。肌は透き通るように白く滑らかで、色素の薄い艶やかな髪は思わず手を伸ばしたくなるほど綺麗だ。
宝石のようなその瞳は暗く曇っている。はじめて訪れる場所に緊張しているのもあるだろうが、顔は強張り、酷く警戒しているのが伝わってきた。
安心してもらいたくて、伊吹は笑顔で彼に近づく。
清一郎はビクッと肩を竦ませた。
仲良くなりたいのだと、怯える必要はないとアピールしたくて、伊吹はにっこり微笑んで優しく声をかける。
「はじめまして、清一郎くん。僕は伊吹。これからよろしくね」
そう言って、彼に向かって手を差し出した。
その瞬間、バチンッと手を叩き落とされた。
「触るな不細工! 俺に気安く話しかけるな!」
伊吹に向かって清一郎が叫ぶように言った。そして、その場から走り去る。彼に宛がわれた部屋へと閉じ籠ってしまった。
伊吹は呆然と立ち竦んでいた。
叩かれた手がじんじんと痛む。
ショックだったのは、言われた言葉ではなく、彼に恐怖を与えてしまったことだ。
清一郎の顔は明らかに怯えていた。伊吹を睨み付ける瞳は潤み、声は震えていた。
きっと彼は人に触れられることに恐怖や嫌悪を感じている。それなのに、伊吹が不用意に近づき、無神経に手を伸ばしてしまった。
怖がらせてしまったことを、伊吹は深く反省した。
失敗してしまったが、伊吹はめげなかった。
清一郎と仲良くなりたい。家族になりたい。屈託なく笑えるようになってほしい。
しかし、不細工と言われてしまった。家族が伊吹に向ける視線を思い出す。伊吹の顔は、見ているだけで不快なのだろう。
ならば、顔を隠せばいい。伊吹は単純にそう考えた。
そこで伊吹が引っ張り出したのが、お祭りで買ってもらったキャラクターのお面だ。当時観ていた戦隊もののヒーローのお面。これで顔を隠してしまえば、清一郎に不快な思いをさせることはない。
伊吹はその日から、家ではお面をつけて過ごすことにした。
清一郎の前では決してお面は取らない。
清一郎と話すときは必ず一定の距離を保って声をかける。
清一郎には触れない。彼に向かって伊吹から手を伸ばさない。
彼と接するときは、そう自分に課していた。
清一郎がやって来て、数週間が過ぎた。厳重に心を閉ざしていた清一郎だが、貴生と栞の優しさに触れ、彼らには徐々に心を開きつつあった。部屋に閉じ籠りっぱなしだったが同じ食卓について食事をするようになった。部屋から出てくる時間も増えた。かつての伊吹のように、少しずつ心が癒されているようだ。
そんな彼を刺激し、また怯えさせてしまわないよう、伊吹は二人きりにならないように気を付けた。伊吹と二人きりになると清一郎の顔があからさまに強張り、緊張しているのがわかるのだ。だが貴生と栞が一緒にいれば、伊吹と話してくれることはないが、普通に過ごすことができるようになっていた。
清一郎と仲良くなりたいが、一気に距離を縮めようとしてはいけない。仲良くなりたいのなら余計に、清一郎には時間が必要だとわかったから。伊吹は決して焦らなかった。
休日は、家族全員で過ごすことが多くなっていった。皆でお菓子作りをしたり、カードゲームをしたり、清一郎はまだ外出できる精神状態ではなかったので、家の中でできる一家団欒を楽しんだ。
貴生と栞にはだいぶ打ち解けてきた清一郎だが、それでも彼が笑顔を見せることはまだなかった。
自分がここへ来て心から笑うことができたように、清一郎もいつか屈託なく笑えるようになってほしい。伊吹は強くそう願っていた。
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