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6.守りたいもの
10話
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最悪の事態が起きた予感がした。
シオンは胸元の魔法石をぎゅっと握りしめ、息を潜めた。
空から叩きつけるような強さで降り注いでいた雨が、爆風に乗って横薙ぎに飛んでくる。
ぎゅっと潰れたような、甲高い鳴き声が空気を割くように駆け抜けた。
それからややあって、湿った空気に不釣り合いな……何かが焼け焦げたような匂いが漂ってくる。
――判断を誤った。
シオンはベルとユウリの姿を思い描いていた。
彼らは無事なのだろうか。
自己嫌悪に、胸が潰される。
背を流れる冷たいものは、汗なのか雨なのか。
強く土を蹴り付ける足音が、異様な速さで迫る。
蹴り上げられた泥が宙を舞う。
そこには――異様に長い爪を光らせた二足歩行の大トカゲの姿があった。
「パイロリザード……」
想像よりもはるかに凶悪なその姿に、シオンは血の気が引いていくのを感じた。
……雨を避ける習性があると聞いていた。
警戒していなかったわけではない。
それでも、出会うにはあまりに最悪なタイミングだ。
シオンとセレスがいかに息を潜めていようとも、まるでショーケースに並んでいるかのように檻に詰められたこの状態では見つかることを避けられない。
おあつらえ向きの餌だ。
シオンの背に隠されたセレスが身を捩る。
ガチャガチャと鉄の枷が擦れる音と、体内で早鐘を打つ心臓の音が混じり合い、警報のように頭の中を駆け抜ける。
トカゲのぎょろりとした目が、こちらを向いてぴたりと止まる。
はああ、と吐く息が空気を白く濁らせた。
パイロリザードがぐっと前傾姿勢をとる。
そして、頭から転がるようにこちらへと飛びかかると、大きく振りかぶった鋭い爪が格子越しに頭上へと振り下ろされた。
シオンは思わず目を瞑る。
――金属が弾けるような音がした。
目の前の格子に叩きつけられたのは、折れた爪。
それから一拍遅れて土が跳ね、転がるものにシオンは思わず声を上げる。
「ユウリっ!?」
ゴツゴツとした岩肌へと強かに体を打ちつけながら、ユウリはすぐに体勢を整えて小刀を構えた。
彼の後ろ姿はどこかアンバランスに傾き、四肢の痛みを想像させる。
爪の一本を失って弾き飛ばされたパイロリザードが、牙を剥き出しにして威嚇する。
「ユウリ、どうして……っ」
城へ向かうよう指示したはずだ。
それに、ベルの姿が見当たらない。
困惑と焦燥が入り混じる。
それでもどこかで安心してしまった自分を、シオンは心の中で激しく叱咤した。
こんなにボロボロになった小さな背中に、縋ろうとした。
そんな自分が、途方もなく嫌いだ。
「僕の判断です」
ユウリは短くそう答えた。
「城にはベルを向かわせています。途中で村の方向に向かっていくコイツの姿を見かけて……とにかく止めなきゃと思いました」
そこまで一気に語ってから、ユウリが咳き込んだ。
口の端に滲んだ血を、手の甲で乱暴に拭って呟く。
「お説教は勘弁してくださいよ……」
弾かれるようにユウリは前方に駆け出し、小刀をパイロリザードの首へ突き立てるが、すんでのところで長い爪に阻まれる。
ユウリは咄嗟に回転し、足を腹に叩き込んだ。
……それでも、パイロリザードは倒れない。
先ほど爪の先端が掠めたのだろう。
ユウリの肩口からは、新たに血が流れていた。
……シオンは咄嗟に魔法石を握りしめる。
もう、込められた魔力は全て使い果たしてしまうだろう。
ごくりと喉を鳴らして、シオンは意識を集中させる。
自分のありったけの魔力を、ユウリへ。
シオンは傷だらけのユウリの背中に向かって、届け……!と強く念じた。
激しい脱力感に襲われながら、シオンは必死にユウリの姿を目で追う。
明らかに先ほどよりも速度を上げて、ユウリは敵の懐へと飛び込んだ。
瞬間、パイロリザードは体を反らして腹を膨らませると、そのまま首をムチのようにしならせ、激しく炎を吐き散らした。
踊るような炎の中、ユウリが高く跳躍する。
パイロリザードは瞳を素早く回転させてユウリの姿を捉えると、爪を交差させて着地点を狙った。
「駄目っ……!!」
シオンの悲鳴が、血の匂い漂う空気を鋭く揺らした。
ユウリがパイロリザードの頭を掴んで体を捻ると、長い爪は空を切った。
ユウリは着地の勢いを使って、硬い鱗を纏うパイロリザードの体を地面へと引き倒す。
そのまま、体重をかけて小刀を喉元へと突き立てた。
噴水のように飛沫をあげてパイロリザードは出血し、数度びくりと体を大きく震わせる。
むせかえるような、土と血の匂い。
「……っ」
あまりに凄惨な光景に、シオンは息を呑んだ。
緊迫した、命のやりとり。
硬い爪で土を引っ掻く音が鈍く響き、やがて止んだ。
いつの間にかシオンの胸元の魔法石は光を失い、ただシオンの呼吸に合わせて揺れていた。
「ユウ……」
震える声でシオンがユウリに呼びかけようとした時。
――急速に伸びたパイロリザードの爪が、ユウリの腹部を深々と穿った。
シオンは息を飲み、目を見開いた。
まるで、パイロリザードの断末魔だ。
吹き出した血が頬をしとどに濡らしたことにも気付かないほど、――シオンの頭は真っ白になっていた。
ずるりとその場に倒れ込むユウリの姿に、シオンの呼吸が早くなる。
現実味の無いその光景に目がくらみそうになるが、ユウリの腹部から突き出る鋭利な爪は本物で、苦し気にうめく彼の声が耳にこびりつく。
「ユウリ! 待ってて、今……っ」
まだ、魔力は残っている。
それはシオンの体を動かすための分だ。
すべてを使い果たそうと、シオンは意識を集中させる。
――しかし。
傷塞ぐには、彼の体を貫く爪を取り除かなければならない。
「……っ、お願い、セレスさん、檻を壊すのを手伝って」
セレスの表情は変わらない。
それでも、視線は僅かに揺れている。
「私が必要なら、あげるから……逃げたりしない、だからお願いっ……」
シオンは冷たい格子に体を何度も打ち付ける。
木枠が軋む音が聞こえるが、格子が外れる気配はない。
その間も流れ出ていくユウリの血液を見て、シオンは歯を食いしばった。
最低限の止血だけでも出来たなら、と残り僅かの魔力を彼に向かって送る。
意識が途切れそうになり、視界が歪む。
その時、ふ……と頭上に大きな影が現れ、雨が屋根を叩く音がピタリと止む。
飛竜の羽ばたきとは比べ物にならないほどの、力強い風圧。
小さな岩が転がり、雨水と血で濁った水たまりが激しく波打った。
気付けば大きな黒い影は消え失せ、シオンの目の前に長身の男性がひとり立っている。
燃えるように赤く輝きを放つ見事な尾、腕から手の甲までを埋める、艶やかな鱗。
雨を受けてその体に張り付く、長く見事な黒髪。
それは、シオンが初めて見る……竜族の姿だった。
そしてその長くしなやかな腕が、倒れ伏すユウリの首元へと伸びた。
シオンは胸元の魔法石をぎゅっと握りしめ、息を潜めた。
空から叩きつけるような強さで降り注いでいた雨が、爆風に乗って横薙ぎに飛んでくる。
ぎゅっと潰れたような、甲高い鳴き声が空気を割くように駆け抜けた。
それからややあって、湿った空気に不釣り合いな……何かが焼け焦げたような匂いが漂ってくる。
――判断を誤った。
シオンはベルとユウリの姿を思い描いていた。
彼らは無事なのだろうか。
自己嫌悪に、胸が潰される。
背を流れる冷たいものは、汗なのか雨なのか。
強く土を蹴り付ける足音が、異様な速さで迫る。
蹴り上げられた泥が宙を舞う。
そこには――異様に長い爪を光らせた二足歩行の大トカゲの姿があった。
「パイロリザード……」
想像よりもはるかに凶悪なその姿に、シオンは血の気が引いていくのを感じた。
……雨を避ける習性があると聞いていた。
警戒していなかったわけではない。
それでも、出会うにはあまりに最悪なタイミングだ。
シオンとセレスがいかに息を潜めていようとも、まるでショーケースに並んでいるかのように檻に詰められたこの状態では見つかることを避けられない。
おあつらえ向きの餌だ。
シオンの背に隠されたセレスが身を捩る。
ガチャガチャと鉄の枷が擦れる音と、体内で早鐘を打つ心臓の音が混じり合い、警報のように頭の中を駆け抜ける。
トカゲのぎょろりとした目が、こちらを向いてぴたりと止まる。
はああ、と吐く息が空気を白く濁らせた。
パイロリザードがぐっと前傾姿勢をとる。
そして、頭から転がるようにこちらへと飛びかかると、大きく振りかぶった鋭い爪が格子越しに頭上へと振り下ろされた。
シオンは思わず目を瞑る。
――金属が弾けるような音がした。
目の前の格子に叩きつけられたのは、折れた爪。
それから一拍遅れて土が跳ね、転がるものにシオンは思わず声を上げる。
「ユウリっ!?」
ゴツゴツとした岩肌へと強かに体を打ちつけながら、ユウリはすぐに体勢を整えて小刀を構えた。
彼の後ろ姿はどこかアンバランスに傾き、四肢の痛みを想像させる。
爪の一本を失って弾き飛ばされたパイロリザードが、牙を剥き出しにして威嚇する。
「ユウリ、どうして……っ」
城へ向かうよう指示したはずだ。
それに、ベルの姿が見当たらない。
困惑と焦燥が入り混じる。
それでもどこかで安心してしまった自分を、シオンは心の中で激しく叱咤した。
こんなにボロボロになった小さな背中に、縋ろうとした。
そんな自分が、途方もなく嫌いだ。
「僕の判断です」
ユウリは短くそう答えた。
「城にはベルを向かわせています。途中で村の方向に向かっていくコイツの姿を見かけて……とにかく止めなきゃと思いました」
そこまで一気に語ってから、ユウリが咳き込んだ。
口の端に滲んだ血を、手の甲で乱暴に拭って呟く。
「お説教は勘弁してくださいよ……」
弾かれるようにユウリは前方に駆け出し、小刀をパイロリザードの首へ突き立てるが、すんでのところで長い爪に阻まれる。
ユウリは咄嗟に回転し、足を腹に叩き込んだ。
……それでも、パイロリザードは倒れない。
先ほど爪の先端が掠めたのだろう。
ユウリの肩口からは、新たに血が流れていた。
……シオンは咄嗟に魔法石を握りしめる。
もう、込められた魔力は全て使い果たしてしまうだろう。
ごくりと喉を鳴らして、シオンは意識を集中させる。
自分のありったけの魔力を、ユウリへ。
シオンは傷だらけのユウリの背中に向かって、届け……!と強く念じた。
激しい脱力感に襲われながら、シオンは必死にユウリの姿を目で追う。
明らかに先ほどよりも速度を上げて、ユウリは敵の懐へと飛び込んだ。
瞬間、パイロリザードは体を反らして腹を膨らませると、そのまま首をムチのようにしならせ、激しく炎を吐き散らした。
踊るような炎の中、ユウリが高く跳躍する。
パイロリザードは瞳を素早く回転させてユウリの姿を捉えると、爪を交差させて着地点を狙った。
「駄目っ……!!」
シオンの悲鳴が、血の匂い漂う空気を鋭く揺らした。
ユウリがパイロリザードの頭を掴んで体を捻ると、長い爪は空を切った。
ユウリは着地の勢いを使って、硬い鱗を纏うパイロリザードの体を地面へと引き倒す。
そのまま、体重をかけて小刀を喉元へと突き立てた。
噴水のように飛沫をあげてパイロリザードは出血し、数度びくりと体を大きく震わせる。
むせかえるような、土と血の匂い。
「……っ」
あまりに凄惨な光景に、シオンは息を呑んだ。
緊迫した、命のやりとり。
硬い爪で土を引っ掻く音が鈍く響き、やがて止んだ。
いつの間にかシオンの胸元の魔法石は光を失い、ただシオンの呼吸に合わせて揺れていた。
「ユウ……」
震える声でシオンがユウリに呼びかけようとした時。
――急速に伸びたパイロリザードの爪が、ユウリの腹部を深々と穿った。
シオンは息を飲み、目を見開いた。
まるで、パイロリザードの断末魔だ。
吹き出した血が頬をしとどに濡らしたことにも気付かないほど、――シオンの頭は真っ白になっていた。
ずるりとその場に倒れ込むユウリの姿に、シオンの呼吸が早くなる。
現実味の無いその光景に目がくらみそうになるが、ユウリの腹部から突き出る鋭利な爪は本物で、苦し気にうめく彼の声が耳にこびりつく。
「ユウリ! 待ってて、今……っ」
まだ、魔力は残っている。
それはシオンの体を動かすための分だ。
すべてを使い果たそうと、シオンは意識を集中させる。
――しかし。
傷塞ぐには、彼の体を貫く爪を取り除かなければならない。
「……っ、お願い、セレスさん、檻を壊すのを手伝って」
セレスの表情は変わらない。
それでも、視線は僅かに揺れている。
「私が必要なら、あげるから……逃げたりしない、だからお願いっ……」
シオンは冷たい格子に体を何度も打ち付ける。
木枠が軋む音が聞こえるが、格子が外れる気配はない。
その間も流れ出ていくユウリの血液を見て、シオンは歯を食いしばった。
最低限の止血だけでも出来たなら、と残り僅かの魔力を彼に向かって送る。
意識が途切れそうになり、視界が歪む。
その時、ふ……と頭上に大きな影が現れ、雨が屋根を叩く音がピタリと止む。
飛竜の羽ばたきとは比べ物にならないほどの、力強い風圧。
小さな岩が転がり、雨水と血で濁った水たまりが激しく波打った。
気付けば大きな黒い影は消え失せ、シオンの目の前に長身の男性がひとり立っている。
燃えるように赤く輝きを放つ見事な尾、腕から手の甲までを埋める、艶やかな鱗。
雨を受けてその体に張り付く、長く見事な黒髪。
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