85 / 110
一時休戦と、最悪の事実
しおりを挟む獣化したドロモアの背にしっかりと掴まり、俺を乗せた大きな虎は王宮の壁を凄い勢いで走り、高い塔の屋根まであっという間に駆け上がった。
魔王と女神の闘いが目の前で見えるまでの高さに来たことで、彼らの攻撃の余波を全身で感じる。しかし俺は、少しも怖くはなかった。
なぜなら、本来の自分の力と記憶を閉じ込めた箱がすべて開いたことで、自分の魔力がどれほどあるのか、どう使えば良いのか、分かるからだ。
魔界ではディラードに力を封じられる檻に閉じ込められていたから手出し出来なかったが、ここにはそれがない。俺の本来の力を惜しみなく使える。
しばらく魔王ディラードと女神レティシアの壮絶な闘いを、見守っていた。彼らの攻撃が地面に飛び火しそうになったときに防御魔法を使うだけで、俺はどちらかが倒れ、早くこの闘いが終わることを願っていた。
黒い光と水色の光がぶつかり合い続けるが、やはり俺の予想通り、女神レティシアの力は徐々に弱まっていく。憎悪で漲る女神の顔は女神らしからぬ醜さで、圧倒的な力の差があることにようやく気付いたようだった。
「あなたの力がころほどまでに増大していたとは…!推測を見誤りましたかね…ッ」
「ハッハッハッ!哀れなレティシアよ、貴様では我の足元にも及ばん。なぜなら今の我は本体ではなく思念体。どれだけ攻撃を受けようとも本体には影響がないのだ。その前にお前は思念体にですら全く歯が立たんようだがなぁ…?」
「おのれディラードめ…!」
魔王の姿は、黒い煙となり結界を破って侵入してきた。本来、下の層に落ちてしまえば上の層に行くことは出来ない。しかし本体ではなく思念体を飛ばせば本体は魔界にあるままだからいつでも魔界に戻れる。
女神レティシアは魔王ディラードの本体をこの底辺界に誘き出したかったようだが、それに失敗したというわけだ。
しかし思念体とはいえ、魔界から底辺界に分身を飛ばすことは容易ではない。魔王の魔力があるから出来ることだろうが、普通ではありえない。
そして魔王が魔界から出た瞬間、魔界は崩れていく。だから本体が底辺界にやって来るためには魔王の地位を返上しなければならない。
だから俺は、下の層に下りられればディラードから逃げられると思ったのだ。そして記憶の鍵を「ディラードの声」に設定した。魔界以外で彼の声を聞くことはありえないと思っていたから。
どうやって異世界召喚に乗じて魔界から底辺界に下りたのかは思い出せないが、自分が魔界人であることを魔力と共に7つの鍵がかかった箱に封じ込め、脳の隅に追いやった。
新たな人生を、新たな人間として生きるために。
「たとえ私を倒せたとしても、あなたがヌエと共にいることはもう叶わないのですよ…!ヌエはもう底辺界の人間なのですから!」
「何をバカなことを。ヌエは魔界の女王に君臨する存在、つまり我に次ぐ膨大な魔力と寿命を持っておる。寿命の短い底辺界の人間は下から上へ行くことは出来ないと思っているようだが…それは間違いだ」
「あぁ…それは私も知っていますよ?寿命5000年分を世界の番人に払えば下から上へと行けるのでしょう?ですが…ヌエにはもうそんな寿命は残っておりませんよ」
「は?そんなわけがなかろう!ヌエは元々1万年の寿命を持ち、約2500年を魔界で過ごした。残り7500年の寿命があるのだから5000年の寿命を払うことは容易である!」
「ふふふっ…本当に愚かなのはあなたですよ、ディラード」
服は破れ、顔は汚れ、ボロボロな様相なのに意味深な言葉と勝ち誇ったような笑みを浮かべる女神レティシア。俺も自分の寿命が今どれほどあるのか、なぜか全く思い出せず不可解だった。
「ディラード様!もう思念体を留めておくには限界が来ております!そろそろ戻られませんと本体と魔界に影響を及ぼしてしまわれます!」
突如、ディラードの背後から現れてそう叫んだ声は、年寄りのしわがれた声だった。
「バスタード、もう少し踏ん張れぬのか!」
「もう限界でございます!」
ディラードにバスタードと呼ばれた男は、おじいちゃん先生だった。そこで俺はようやく合点がいくと共に、とあることに気付き、絶望感が胸を締めた。
「くそが…ヌエ!その様子だともう我のことも自分のことも思い出したようだな。であればまた力を蓄え、迎えに来てやろう。我は常にお前の行動を蝙蝠によって監視していることを忘れるな。あの赤毛の男は必ず殺す…!お前は我のものだということを、常に覚えておけ!」
彼の命令口調は条件反射で頷いてしまいそうになるほどたくさん聞かされてきた。了承してしまいそうになる身体をドロモアの毛に身を深く沈めることで回避する。
ディラードは忌々しそうに俺、というよりドロモアを睨み付けたあと、黒い煙となってその場から消えた。雷雨は止み、空は晴れ、結界の穴は塞がっていた。
気付けば女神レティシアも、おじいちゃん先生…いや、バスタードの姿もなくなっていた。俺は深い絶望感に苛まれ、ドロモアの背に顔を埋めて動くことが出来なかった。
「…ミト」
「……」
「下に、行くか」
「……」
「ミト」
「……」
「俺は、味方」
「……」
「ずっと、ミトの虎」
ドロモアは、早くから分かっていたんだ。俺の足の裏にある、魔界の女王にしかない紋様を見たときから。俺が異世界人ではなく魔界人であり魔界の女王だと分かっていたんだ。
「ドロモア……ドーアのときの記憶は、どれくらいある?」
ほとんど声にならなかったけれど、彼ならどんなに小さな声でも拾ってくれるという信頼感があった。俺に仕えた虎は、強く逞しく、そして絶対的な忠誠心を持っていた。
「覚えてる。紋様見て、思い出した。ミトが主だと」
「そっか…ドーアはね、本当に強くてかっこよくて俺の一番の味方だった。本当は獣人界に生まれるはずだったのに……とある魔界人が獣人界に蝙蝠を送って獣人の生活を見るという悪趣味なことをしていた。その中で妊娠した女虎に一目惚れをして寿命と引き換えにしてまで魔界に拐ってきた。魔界で出産した彼女は魔界の瘴気に耐えられずそのまま亡くなったけど…子供は元気な雄虎だった。それがドーアだった」
「ん。ミト、たくさん遊んでくれた」
「覚えてるんだ…。そうだね、たくさん檻の中で遊んだね。魔界に獣人がいるなんて知られたら大問題だったから、ディラードはすぐにドーアを殺そうとしたけど俺が檻の中でドーアを育てるからって必死に頼みこんだんだ。ドーアがいてくれるならもう逃げ出そうとも死のうともしないって約束をして」
ドーアが俺の元にやって来たのは俺が魔界人として生まれてから1500年頃の話だ。生まれたときからディラードの檻の中にいた俺は、何度も自由を求めて逃げ出そうとしたり、寿命が尽きるまでの長い年月が嫌になって死のうともした。
それを何とかしなければとディラードも常々思っていたようで、俺が虎一匹で逃げ出さないのならと提案を渋々受け入れたのだ。
「俺はドーアにだけ、秘密を話したね。俺には前世の記憶があると。こことは全く違う、地球という丸い世界の中にある日本という国で生きていた時の話を聞かせたよね。ドーアは魔界の瘴気のせいか、獣人であるはずなのに虎の姿のままで言葉も話せなかった。だから俺の前世の名前を教えたんだよ。俺は鵺野心翔って名前だったんだって」
「ミト。ずっと心で、呼んでた」
「こうしてこの世界でまた巡り会えて、ドーアに名前をたくさん呼んでもらっていたなんて。こんなに近くに生まれ変わってくれていたのに、ずっと俺は忘れていて…ごめんね」
「思い出さない方がいい、思ってた。理由ある、思ってた」
「うん…本当に優しくて賢いね、お前は」
雨に濡れて湿ったドロモアの毛を掌全体で撫で回す。ぐるぐると嬉しそうな音が鳴り、俺はその音につかの間の癒しを求めた。
「その話は本当か、ミト」
ふと、背後から静かにかけられた声。愛する人の、愛しているはずの人の、固い声。俺はゆっくりと顔を上げて、後ろを振り向いた。
雨で全身ずぶ濡れのアルウィンとライナス王子が、険しい表情をして立っていた。俺はその表情から逃げるようにして顔を背け、晴れ上がった空を見上げた。
「お前…異世界人ではなかったのか?僕たちをずっと騙していたのか!?」
「殿下、それは違うかと。ミト、教えてくれ。ミトは本当に魔界人であり…あの魔王の……妻、なのか?」
そうであってほしくない、嘘だと言ってくれ、そんな副音声が聞こえてきそうな声を背中で受け止め、俺は音もなく涙を溢した。
底辺界まで来れば、ディラードの執着から逃げられると思っていた。ただ自由を求めたかっただけなのに。
まさかその先で、絶対に恋をしてはならない人を好きになってしまうなんて。たとえそれが、女神レティシアによる謀略だったのだとしても。俺は自分の気持ちをよく分かっている。
だけど、アルウィンは違う。アルウィンは、きっと彼は、真実を知ったら、俺を憎むだろう。俺を殺したいと思うだろう。どれだけ懺悔をしても、許されないだろう。
ここまで逃げてきても、ディラードは追ってきた。またいつ思念体を飛ばしてやって来るか分からないし、最悪の手段を取って完全体がやって来る可能性も捨てきれない。
俺はどこまで行っても、ディラードの執着からは、逃げられないのだと悟った。
だから、この恋を、終わらせなければいけない。
「―――うん、そうだよ。俺は魔王の妻、ヌエだ。そして……アルウィンの両親を殺した、元凶だ」
長い長い話をしよう。俺が、魔界人として過ごした、膨大な時間の話を。
34
あなたにおすすめの小説
ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?
灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
【完結】かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
番外編はTwitter(べったー)に載せていきますので、よかったらぜひ🤲
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
⋆┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈⋆
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました
あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」
完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け
可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…?
攻め:ヴィクター・ローレンツ
受け:リアム・グレイソン
弟:リチャード・グレイソン
pixivにも投稿しています。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
僕の恋人は、超イケメン!!
八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
追放オメガ聖帝の幸せな結婚〜クールなスパダリ騎士に拾われて溺愛されるまで〜
あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
ノルディーナ王国の聖帝サーナは、教皇のありもしない嘘のせいで聖宮から追放されてしまう。
行く当てがないサーナが国境に向かうと、そこで隣国ルミルカ王国の騎士であるムーシュと出会う。ムーシュから諸事情により偽装結婚を提案されて、サーナは期限付きの偽装結婚ならばよいと承諾し、一時的に保護してもらうことに。
異国暮らしに慣れていく中で、やがてムーシュから溺愛されるようになり……?
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻本作品(オリジナル)の結末をif(運命の番)ルートに入れ替えて、他サイトでの投稿を始めました。タイトルは「一度目の結婚で愛も希望も失くした僕が、移住先で運命と出逢い、二度目の結婚で愛されるまで」に変えてます。
オリジナルの本編結末は完全なハッピーエンドとはいえないかもしれませんが、「一度目の〜…」は琳が幸せな結婚をするハッピーエンド一択です。
胎児の頃から執着されていたらしい
夜鳥すぱり
BL
好きでも嫌いでもない幼馴染みの鉄堅(てっけん)は、葉月(はづき)と結婚してツガイになりたいらしい。しかし、どうしても鉄堅のねばつくような想いを受け入れられない葉月は、しつこく求愛してくる鉄堅から逃げる事にした。オメガバース執着です。
◆完結済みです。いつもながら読んで下さった皆様に感謝です。
◆表紙絵を、花々緒さんが描いて下さいました(*^^*)。葉月を常に守りたい一途な鉄堅と、ひたすら逃げたい意地っぱりな葉月。
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる