俺の好きな人は誰にでも優しい。

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幻のような存在は幻じゃなかった

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 学園中どこにいてもついつい五感すべてを活用して探してしまう麗しのフィリオン様の話がよく耳に入ってくるようになった。
 これまで俺が意識していなかっただけで、意識してみればあちらこちらでフィリオン様の名前は風にのって流れてくる。

 どうやら彼は、俺より2つ上の現在基礎学年3年で伯爵家のご長男であらせるらしい。伯爵家といえば王族をのぞけば公爵家、侯爵家に次ぐ地位の高い貴族であり、長男であるならば彼が伯爵家当主になるのは間違いない。
 俺の身分では、この学園に入学していなければすれ違うことはおろか、髪の毛一本拝むことすらないような雲の上の人。
 そんな方のご尊顔を間近で拝見したうえ、一瞬だったが抱き締められてしまったのだ。短い時間だったが会話をしたことすらも夢だったのではないかと思うほど、彼の記憶は眩しく非現実的だった。

 基礎学年であるならあの日、俺と同じように授業があったはずで彼も急いでいたのではないだろうかと気付いたのは、それから数日後。しかしその答えもすぐに顔も名前も知らない誰かが噂話にのせて運んできてくれた。
 フィリオン様はすでに基礎学年で学ぶ課程を飛び級で修了し、すでに貴族科の仲間入りを果たしているようなのだ。
 容姿端麗、温厚篤実なうえ、頭脳明晰だとは出来すぎたお方である。ますます彼への尊敬の念が積もったのは言うまでもない。

 噂で流れてくる彼の話のほとんどは、今日は見かけられるかられないかの賭け事だったり、超難問と言われている基礎学年修了試験で過去最高得点を叩き出した話だったり、教師がフィリオン様を見習えとお小言を言うときである。
 やはり基礎学年1年の分際では彼の残り香すら掴めず、同級生たちも幻の存在なのではないかと疑うレベルまでになっていた。

 そんな彼が実在したという話は秋から冬へと変わり、ベルベットのマントを羽織らなければ寒さをしのげないまでに冷え込むようになった頃だった。
 俺は誰にもフィリオン様に助けてもらい会話をしたことは言っていない。しかし隣の組の目立ちたがり屋でいがぐり頭の男子生徒は違った。

「おい!聞いてくれよ!ついさっき、俺、あのフィリオン様と会っちまったんだよ!」
「えー?また作り話かよ?」
「本当なんだって!あの拒食症の鶏みたいな教師に呼び出されて説教されてたらそこへなんとフィリオン・ポーマント様がやってきたんだって!鶏教師に用があったとか何とか言ってさ!鶏が名前をしっかり読んでたから間違いねーよ!」
「なんでフィリオン様が鶏教師に用があるんだよ。胡散臭いな」
「俺もそう思ったんだけどよ、鶏があたふたしながら出ていった後、フィリオン様がこっそり片目を瞑ったんだ。後から気付いたが、ありゃ間違いなく俺を助けてくれたんだぜ!廊下まで説教垂れた怒声が聞こえてたんだと思うわ」
「まじ?フィリオン様は菩薩様のごとくお優しいと言われているから本当っぽいけどお前なんかを助けるか?」
「本当の話なんだって!」

 食堂で大声で話している彼の話は少し離れた席でカツサンドを貪っていた俺の耳にもよく聞こえてきた。
 いがぐり頭の友人たちは半信半疑のようだが、俺は話を聞いて内心大きく納得していた。俺のような人間を助けるなら、いがぐり頭のことも助けるに決まっている。
 フィリオン様は地位や身分の違い、容姿の優劣に限らず自然な優しさを持ったお方なのだろうと、いがぐり頭の話でフィリオン様の解像度が上がった。
 拒食症の鶏のように細い教師というのは金切り声で説教を長時間することで学園内で有名なのだ。フィリオン様は廊下で鶏教師の声を聞きつけ、対象の生徒を気の毒に思ったのだろう。用事などなかったはずなのに、声をかけて説教の尾を切ってくれたのだ。
 それにしても俺のときは見られなかった、片目を瞑ったフィリオン様はさぞかしかっこよく様になっていたことだろう。くそ、羨ましい。

 俺ももう一度フィリオン様にお会いできる幸運が巡ってこないかと思いを馳せたが、彼の直近の情報を得られただけでも今日はかなり運のいい日である。
 いがぐり頭でもったりとした頬、太い眉という容姿の彼にでさえ当たり前のように優しさを差しのべられる人。
 耳にキンキンと響く彼の声ですらピシャッと遮断したいとつい数分前まで思っていた自分が恥ずかしくなった。

 しかしこれで俺があの日助けてもらった彼は夢でも幻でもなく、現実だったのだと確信を持てた。
 目立ちたがり屋で声がうるさいいがぐり頭を無意識に心の内の"嫌い"箱に分別していたが、今は"やや嫌い"行きのレールに乗っている。なるべく関わりたくはない人種だが、勝手に話を聞かせてくれる拡声器のような存在なので便利ではある。
 それからもいがぐり頭たちの会話に耳をそばだてていたが、これといった有力な情報は得られず、ただただフィリオン様の優しさの幅が広がっただけだった。

 しかしこの会話を皮切りに今まで幻のような存在と思われていたフィリオン様の目撃情報や、彼の優しさの恩恵に預かったという同級生たちの話をちらほらと聞くようになったのである。


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