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表の顔と裏の顔
しおりを挟む連れてこられたのは、別の寮棟の最上階にある一番奥の部屋だった。
部屋に入ってまず目に飛び込んできたのは大きな窓からの眺望。夕空の下、森の向こうに広大な海がくっきりと広がっている。
室内は豪奢さはなりを潜めているものの、無駄がない。重厚な天蓋付きのベッド、磨き込まれた机、窓辺には深い色の椅子が一脚だけ置かれている。豪奢さを誇るための部屋ではなく、選ばれた者が思索と休息に身を委ねるための場所だった
扉が重く閉まった瞬間、俺を引きずっていた腕がふいに離れた。次の刹那、両肩を強く掴まれ、逃げ場のない距離で向き合わされる。
見上げた彼の顔は、いつも浮かべている穏やかな微笑を失い、静かな怒りだけが底に沈んでいた。無言で見下ろしてくるその眼差しが、俺の胸の奥をじわりと締めつけた。
「悪い子だね、ロラン。昨日約束したばかりなのにあの男の部屋にのこのこといるなんて」
「すっ、すみません…!あの、実は昨夜、フィリオン様との最後の方の会話をあまり覚えていなくて…とはいえ、フィリオン様の言い付けに背く行動をしてしまい申し訳ありませんでした…!」
背を折り、息が詰まるほど深く、過ちそのものを床に差し出すようにして謝罪する。
その上から、彼の視線が静かに降り注いだ。咎める声も、慰める言葉もない。ただ沈黙のまま見下ろされているその時間が、何よりも重く、逃げ場のない裁きのように感じられた。
重い沈黙が、部屋の空気を押し潰すように横たわっていた。しばらくの無言の間のあと、彼はわずかに息を吸い、ついに口を開いた。
「昨夜、君は私と約束したんだよ。ヒューゴ・ファレルとは話さない、顔を見ない、目を見ないって。彼と鉢合せたら即逃げるようにと言ったら頷いたじゃないか。覚えてないかい?」
「…す、すみません。そんな大切な約束を忘れてるなんて…」
「……私との会話が朧気になるほど、昨夜から体調が悪かったんだね。先週末から食欲も失っていたようだし、気付かなくてすまなかった。体はもう大丈夫なのかい?」
柔らかさを取り戻した声が静寂を裂き、その言葉が落ちた瞬間、張り詰めていた時間がゆっくりと動き出すのを感じる。
俺は下げていた頭を上げ、そっと彼の表情を窺うように下から覗き込む。心配を浮かべるその顔のどこにも怒りや失望は見受けられない。やっと正しい呼吸を取り戻した気分だった。
「薬を飲んで寝たらもうすっかり大丈夫です!ヒューゴ…様、に助けて頂いたのは偶然でしたが、もう彼と関わらないように気を付けます。ただ男爵家の方に看病して頂いたのにお礼をしないわけにはいかないので…あと一度だけ彼と話す許可を頂けませんか?」
「私から彼に伝えておくから必要ないよ。君はもう、あの男とは一切関わらないこと。いいね?」
「…はい」
聞きたい。あなたと彼が本当はどんな関係なのか、2人の間に何があったのか、すごく聞きたい。
でも彼の家令になる約束をしたとはいえ、彼が自ら話さないのであればそれは俺に言う気がないということ。俺は知らなくていいということ。
どんなに気になっても、どんなに知りたくても、彼と俺との間には踏み込んではいけない一線があるのだ。
「あの男と私のさっきの会話は気にしないで。それとも…彼に冷たく当たる私を幻滅したかい?」
「とんでもございません!ヒューゴ、様は不躾な方ですしフィリオン様がお怒りになるお気持ちも分かります。お二人の間に何があったのかは分かりませんし聞きませんが、困ったことがあったら俺も力になりたいので何でもおっしゃって下さいね!」
「ありがとう。早速ロラン、もうひとつ約束して」
「はい!」
「あの男の名前を様付けまでして呼ばなくていい。言いづらそうだったし、本当はロランも嫌なんだろう?」
「そう…ですね。はい、確かに違和感がありました。しかし貴族の方ですし一応敬称をつけなければなりません。フィリオン様の家令になる者として、私情は挟まず家令としての心構えを身に付けなければフィリオン様のお顔に泥を塗ることになってしまいます」
「ふふ、そんな真面目で律儀な君だから私の家令にしたいと思ったんだよ。でも彼のことは貴族だと思わなくていい。文句を言われたら私が黙らせる。――まぁ、もう君と彼が話す機会はないだろうけどね」
うっそりと笑った彼の唇とは裏腹に、その目は少しも笑っていなかった。光を失った瞳が静かにこちらを捉え、感情の底に沈めた何かだけが、冷たく揺れている。
その矛盾が言葉よりも雄弁に彼の本心を語り、ずんっ、と砂袋が胃の底に落ちたような感覚があった。彼の冷たさを、夕焼け色の彼の中にも見た気がして、背筋が震える。だが拒絶してはいけない。表情を変えないよう腹に精一杯の力を込め、返事をした。
「分かりました。あの男とはすれ違っても話さず名前も呼ばず、避け続けることを誓います」
「あぁ、そうしてくれ。あの男は本当に危険な人物なんだ。私は君を危険な男から守りたいだけなのだと分かってくれるね?」
「俺のことをそこまで気にかけて頂き、本当にありがとうございます。実は年越しのパーティーで彼にダンスパートナーを申し込まれたんですが、それも無しに…」
「――なんだって?」
フィリオン様に隠し事はいけないと思い、すべてを話そうと最初の取っ掛かりを口にした瞬間、彼は纏う空気を豹変させた。
肺の奥がひやりとした。次第に、ひんやりしていた肺の奥がそわそわしだした。ひんやりとそわそわが、肺の奥でせめぎ合った。俺はまた、何かまずいことを言ってしまったのだろうか。
「ダンスパートナー?君は彼と、パーティーで一緒に踊るつもりだったのかい?」
「え…と、踊るというより、パートナーになることが大事みたいなことを言われまして…」
「……あのクズ、やはり君にまで魔の手を伸ばそうとしていたか。消しておくべきだった」
瞬間、俺は眩暈に似た困惑を覚えた。焦点がぶれたような感覚だった。向き合った彼がというより、何か、自分の内側に生じたぶれのように感じられた。
圧し殺したような声でぼそりと呟かれた言葉が俺の耳の中を通り過ぎていく。唖然としているうちに、彼の顔には笑みが戻っていた。
「もちろんパートナーの話は無かったことにしておくから大丈夫。私から彼に言っておくから何も心配しないで。そもそもロランは今年の年末年始は実家に帰ったらどうだい?兄さんたちも会いたがっているだろう?」
「それもちょっと考えました。しかしフィリオン様が参加されるなら将来の家令として、参加しないわけにもいかないかと」
「…まぁ、確かに私の近くに置いておいて君は私の家令になる人間だと知らしめるのもいいかもしれないね」
「えっ…?そ、それはちょっと…まだ家令科1年の分際でそれは顰蹙を買います。あまり目立たず学園内で過ごしたいのですが…」
「あぁ、ロランはそうだったね。これについては他に良い案があるかもしれないからまた改めて話し合おう。君も病み上がりなことだしね。部屋に戻らず私の部屋で寝ていってもいいんだよ?」
「えぇ!?そ、そそそそれはご遠慮させて頂きます!あの!今日は本当にいろいろと申し訳ありませんでした!失礼致します!」
彼の言葉が届くと同時に、思考は白く弾けた。動転した俺は早口で一息に捲し立てると一礼した。その後は振り返りもせず、ただ衝動のまま扉を押し開けて飛び出す。
冷たい空気が頬を打ち、次の瞬間には廊下を駆け出していた。逃げた、という自覚だけを抱えたまま、俺は部屋から遠ざかっていった。
***
『気持ちわりぃな。わざわざ俺との会話にまで仮面をつけるのは、ソイツがいるからか?』
『あんたの本当の顔を知らないソイツを一生飼い慣らすつもりかよ。騙されて可哀想になぁ?』
『……あのクズ、やはり君にまで魔の手を伸ばそうとしていたか。消しておくべきだった』
眠りに落ちるその直前、闇に沈みかけた意識の底で、今日交わされた彼らの言葉が次々と浮かび上がった。
声の抑揚や、間に落ちた沈黙までが妙に鮮明で、思考はそこから逃げ場を失う。
人は見えている面だけがその人のすべてではないということくらい、分かっている。誰しもが表の顔と裏の顔を使い分け、隠したい面は上手に隠す。
俺はフィリオン様の"誰にでも優しい"顔しか見てこなかった。知らなかった。
彼にも人には言えないこと、隠したいことがあると頭では分かっていたはずなのに、彼の口から聞いたことのない言葉が見たことのない顔で吐き出されたあの瞬間、俺の中でなにかが動いた。
好きな人の新たな一面をさらに見れたことへの興奮か、それとも衝撃か、はたまたショックか。
俺の知らないフィリオン様の顔をヒューゴ・ファレルはよく知っている様子だった。なぜ知っているのか、どこまで知っているのか。
あんな態度を向けられるほどフィリオン様が彼には心を許しているということなのか。それとも並々ならぬ事情があり、あの態度になっているのか。
2人の間になにがあるのか、なにがあったのか。どんな関係性があり、なぜそれを俺には教えようとしないのか。
正反対の雰囲気を持つ2人の男たちなのに、フィリオン様の優しさの奥に隠された冷たさと、ヒューゴ・ファレルの野性的な冷たさから似たものを感じたのはなぜなのか。
答えの出ない問いを抱えたまま、俺は何度も同じ言葉を反芻し、やがて疲れ切った意識がそれらを引きずるようにして静かな眠りへと滑り込んでいった。
隣のベッドでピートが寝返りを打つ音すらも、次第に遠退いていった。
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