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第1話:婚約破棄は突然に
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きらびやかなシャンデリアが放つ光が、王宮のホールを眩しく照らしている。夜会が終わった直後の、どこか浮ついた熱気が残るその場所で、私の人生は音を立てて崩れ去った。
「ウェンディ・ホプリエル。貴様との婚約を破棄し、国外追放を命じる」
目の前に立つ、この国の王太子ジュリアン。その冷徹な声がホールに響き渡る。 彼の腕には、私の義妹であるエリスがこれ見よがしにしなだれかかっていた。エリスは潤んだ瞳で私を見つめながら、勝利を確信したような歪な笑みを唇の端に浮かべている。
「……殿下。今、なんと仰いましたか?」
喉の奥が攣り、絞り出した声は自分のものではないように掠れていた。 ジュリアンは忌々しそうに鼻を鳴らす。
「耳まで腐ったか。無能な置物はいらんと言ったのだ。我が国の王妃に相しいのは、稀代の魔力量を持つ聖女候補、エリスだけだ。貴様のような魔力もまともに扱えぬ女が、いつまでも婚約者の座に居座るなど滑稽極まりない」
魔力が扱えない。 その言葉が、胸に深く突き刺さる。 確かに、私の魔力量は測定不能と言われるほど微々たるものだ。それに比べてエリスは、王宮の魔力計を振り切るほどの莫大な魔力を持って生まれてきた。
けれど、私は……。
「殿下、お待ちください。私は無能などでは……。私が毎日、あの地下の魔導炉で行っている精密調整がなければ、この国の結界は維持できません。あれは、ただ魔力が多ければいいというものではないのです。針の穴を通すような繊細な回路の編纂こそが……」 「黙れ! 雑用の言い訳は見苦しい!」
ジュリアンの怒声が私の言葉を遮った。 エリスが追い打ちをかけるように、甘ったるい声で口を開く。
「お姉様、もうおやめなさいな。その『調整』とやらも、魔力がたくさんあれば力押しで解決できることなんですもの。お姉様が何時間もかけてちまちまやっていたのは、単純に効率が悪かっただけでしょ? 殿下をこれ以上、困らせないで」
力押しで解決できる。 この国の魔導技術の根幹を支える結界を、この子は何だと思っているのだろう。 複雑に絡み合った数万の魔導回路を、一本ずつ丁寧に解き、最適化する。それがどれほど神経を削る作業か。私がこの三年間、寝る間を惜しんで捧げてきた努力を、この二人は「手際の悪い雑用」だと切り捨てた。
「貴様の顔を見るのも反吐が出る。衛兵、この女を連れて行け!」
ジュリアンの合図とともに、屈強な衛兵たちが私の両腕を掴んだ。 抵抗する間もなく、私はホールの出口へと引きずられていく。
「殿下、後悔なさいますよ! 私がいなくなれば、結界のバランスはすぐに崩れます! 一ヶ月……いえ、一週間も持たずに……!」
私の必死の訴えは、ジュリアンの高笑いにかき消された。 城門の前まで連れて行かれると、衛兵の一人が私の胸元に手をかけ、伯爵令嬢の証である銀の紋章を強引に引き剥がした。
「ああ……っ」
ブローチのピンが肌をかすめ、鋭い痛みが走る。 そのまま、私は夜の闇へと突き飛ばされた。
城門の外は、激しい土砂降りの雨だった。 石畳に叩きつけられ、お気に入りのドレスが泥水にまみれていく。冷たい雨が容赦なく体温を奪い、指先が凍えるように震えた。
「荷物など必要ない。貴様のものなど、この国には一つも残してやらん」
上から降り注ぐ声に顔を上げると、城のテラスからこちらを見下ろす二人の姿があった。 シャンパングラスを片手にしたジュリアンと、彼に寄り添うエリス。二人の目には、私への哀れみすらなく、ただ邪魔なゴミを片付けた後のような清々しさだけが宿っていた。
「……さようなら、ウェンディ。もう二度と、その汚い顔を見せるなよ」
ジュリアンが吐き捨てると、重厚な城門が重い音を立てて閉ざされた。 私は、暗闇の中に独り、放り出されたのだ。
雨音だけが周囲を支配する中、私は泥だらけの膝をつき、しばらく動けなかった。 悔しさと、寒さと、虚無感。 今まで守ってきたものは何だったのか。 愛してきた人は、信じてきた家族は、私を一度でも人間として見てくれたことがあっただろうか。
ふと、背後の王宮を見上げた。 私の視界には、普通の人には見えない「魔力の流れ」が視覚化されて映る。
――ぷつん。
耳鳴りのような、微かな音が聞こえた。 王宮を包む巨大な結界。その最外郭を支える第十二階層の魔導回路の一本が、支えを失い、静かに断線した音だ。
編纂者が不在となった結界は、もう自律修復を停止している。 私が毎日、ミリ単位で調整していた歪みが、これから一気に拡大していくだろう。 魔力量だけで押し切ろうとすれば、回路は過負荷で焼き切れる。そうなれば、この国を外敵や魔物から守る防壁は、砂の城のように脆く崩れ去るはずだ。
「……もう、私の知ったことではありません」
私は震える唇でそう呟き、立ち上がった。 泥だらけの足を一歩、また一歩と踏み出す。 向かう先は、隣国との国境にある深い森。
この国を支えてきた誇りは、雨と一緒に洗い流した。 冷たい雨に打たれながら、私は暗い森の中へと消えていった。
この時、私はまだ知らなかった。 その森の奥で、私の運命を大きく変える「漆黒の皇帝」が待っていることを。
「ウェンディ・ホプリエル。貴様との婚約を破棄し、国外追放を命じる」
目の前に立つ、この国の王太子ジュリアン。その冷徹な声がホールに響き渡る。 彼の腕には、私の義妹であるエリスがこれ見よがしにしなだれかかっていた。エリスは潤んだ瞳で私を見つめながら、勝利を確信したような歪な笑みを唇の端に浮かべている。
「……殿下。今、なんと仰いましたか?」
喉の奥が攣り、絞り出した声は自分のものではないように掠れていた。 ジュリアンは忌々しそうに鼻を鳴らす。
「耳まで腐ったか。無能な置物はいらんと言ったのだ。我が国の王妃に相しいのは、稀代の魔力量を持つ聖女候補、エリスだけだ。貴様のような魔力もまともに扱えぬ女が、いつまでも婚約者の座に居座るなど滑稽極まりない」
魔力が扱えない。 その言葉が、胸に深く突き刺さる。 確かに、私の魔力量は測定不能と言われるほど微々たるものだ。それに比べてエリスは、王宮の魔力計を振り切るほどの莫大な魔力を持って生まれてきた。
けれど、私は……。
「殿下、お待ちください。私は無能などでは……。私が毎日、あの地下の魔導炉で行っている精密調整がなければ、この国の結界は維持できません。あれは、ただ魔力が多ければいいというものではないのです。針の穴を通すような繊細な回路の編纂こそが……」 「黙れ! 雑用の言い訳は見苦しい!」
ジュリアンの怒声が私の言葉を遮った。 エリスが追い打ちをかけるように、甘ったるい声で口を開く。
「お姉様、もうおやめなさいな。その『調整』とやらも、魔力がたくさんあれば力押しで解決できることなんですもの。お姉様が何時間もかけてちまちまやっていたのは、単純に効率が悪かっただけでしょ? 殿下をこれ以上、困らせないで」
力押しで解決できる。 この国の魔導技術の根幹を支える結界を、この子は何だと思っているのだろう。 複雑に絡み合った数万の魔導回路を、一本ずつ丁寧に解き、最適化する。それがどれほど神経を削る作業か。私がこの三年間、寝る間を惜しんで捧げてきた努力を、この二人は「手際の悪い雑用」だと切り捨てた。
「貴様の顔を見るのも反吐が出る。衛兵、この女を連れて行け!」
ジュリアンの合図とともに、屈強な衛兵たちが私の両腕を掴んだ。 抵抗する間もなく、私はホールの出口へと引きずられていく。
「殿下、後悔なさいますよ! 私がいなくなれば、結界のバランスはすぐに崩れます! 一ヶ月……いえ、一週間も持たずに……!」
私の必死の訴えは、ジュリアンの高笑いにかき消された。 城門の前まで連れて行かれると、衛兵の一人が私の胸元に手をかけ、伯爵令嬢の証である銀の紋章を強引に引き剥がした。
「ああ……っ」
ブローチのピンが肌をかすめ、鋭い痛みが走る。 そのまま、私は夜の闇へと突き飛ばされた。
城門の外は、激しい土砂降りの雨だった。 石畳に叩きつけられ、お気に入りのドレスが泥水にまみれていく。冷たい雨が容赦なく体温を奪い、指先が凍えるように震えた。
「荷物など必要ない。貴様のものなど、この国には一つも残してやらん」
上から降り注ぐ声に顔を上げると、城のテラスからこちらを見下ろす二人の姿があった。 シャンパングラスを片手にしたジュリアンと、彼に寄り添うエリス。二人の目には、私への哀れみすらなく、ただ邪魔なゴミを片付けた後のような清々しさだけが宿っていた。
「……さようなら、ウェンディ。もう二度と、その汚い顔を見せるなよ」
ジュリアンが吐き捨てると、重厚な城門が重い音を立てて閉ざされた。 私は、暗闇の中に独り、放り出されたのだ。
雨音だけが周囲を支配する中、私は泥だらけの膝をつき、しばらく動けなかった。 悔しさと、寒さと、虚無感。 今まで守ってきたものは何だったのか。 愛してきた人は、信じてきた家族は、私を一度でも人間として見てくれたことがあっただろうか。
ふと、背後の王宮を見上げた。 私の視界には、普通の人には見えない「魔力の流れ」が視覚化されて映る。
――ぷつん。
耳鳴りのような、微かな音が聞こえた。 王宮を包む巨大な結界。その最外郭を支える第十二階層の魔導回路の一本が、支えを失い、静かに断線した音だ。
編纂者が不在となった結界は、もう自律修復を停止している。 私が毎日、ミリ単位で調整していた歪みが、これから一気に拡大していくだろう。 魔力量だけで押し切ろうとすれば、回路は過負荷で焼き切れる。そうなれば、この国を外敵や魔物から守る防壁は、砂の城のように脆く崩れ去るはずだ。
「……もう、私の知ったことではありません」
私は震える唇でそう呟き、立ち上がった。 泥だらけの足を一歩、また一歩と踏み出す。 向かう先は、隣国との国境にある深い森。
この国を支えてきた誇りは、雨と一緒に洗い流した。 冷たい雨に打たれながら、私は暗い森の中へと消えていった。
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