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喪失と執愛
76.約束
しおりを挟む玄関先で靴紐をベアティが結び直したところで、私は彼に声をかけた。
休日の今日、王都で起こっている異様な現象に繋がると思われる怪しい人物がいると、それを突き止めるべくベアティに調査依頼が来た。
「ベアティ。本当に気をつけてね」
「はい。必ず帰ってくるので安心してください」
私の顔を見たベアティが目を見開き、それからくすっと笑うと私の手を掴んだ。
いつもなら大きな手に包まれて安心するのに、この日は妙に胸がざわついて、この手を離してはいけないとぎゅっと力を込めた。
「どうしたんですか?」
「不安なの」
外は雨が降り、ベアティが出かける準備をしたところでさらに激しさを増した。
ざぁざぁと音を立てる雨音に窓の外を見ると、強烈な稲光が走る。それをやり過ごすと、ベアティは屈み込み目線を合わせながら私の手を握り直した。
「俺なら大丈夫です」
「でも、スタレット侯爵がどう出るか……」
この世で唯一の瞳を見つめる。
死に戻り前は見ることのなかった美しい瞳は、緩火のような穏やかな熱で労わろうとどんなときでも私を捉えてくる。
それと同時に、夜の空が強烈な炎で朱と金に染まったとてつもない熱で焦がそうとでもいうような、苛烈さを感じさせるものが入り混じる。
それらは大抵すぐに消えるけれど、一瞬見せる熱っぽさに少しずつ囚われていく気がして、ここ最近視線を合わせるたびにどうしようもない息苦しさを覚えた。
「もう二度と、あいつらには負けません」
「これがもし向こうの罠だったら?」
何が起こり、どうなっているのかもわからない。
わからないからこそ先が見えなくて、巨大な何かに取り込まれて出口を見失ってしまいそうで怖い。
そこから抜け出せなくなってしまったら?
捕らえられた本来の檻さえ見えず、苦しむだけの日々はもう二度と嫌だ。誰も苦しんでほしくない。
悪意に歪められることなく己の意思で生きたい。生きてほしい。自分の人生なのだからそれは当然の権利だ。
だけど、マリアンヌやスタレット侯爵がいるだけで、私たちにはその当たり前の権利を行使することが難しい。
普通に生活をしたいだけなのに、悪意の手が伸びてくる。
そこに一番先に突っ込んでしまうかもしれないベアティの手を、離したくない。
私は無言で首を振り、掴んだ手に力を込めた。
どうしようもなく、薄暗い外の景色とともに気分が沈んでいく。
「俺にはエレナ様にいただいたお守りがあります。それに弱いままの、何も知らなかった子供ではもうない」
「でも……」
強いのは知っているが、この連日毎晩屋敷から出てベアティは動いていた。
何かと王都で問題が発生し、頼られているのもあるのだろうが、ベアティは率先して出向いていた。
朝には変わった様子もなくいるのでいつ帰ってきているのかわからないが、明らかに睡眠時間は足りていないので体調面でも心配だ。
「エレナ様、俺を信じて」
「信じてるけど、それとこれとは話は別だから」
そう簡単にやられるベアティではないことは知っているけれど、それは一対一のとき、相手が卑怯な手を使わない場合だ。
相手がどのような手段を用いてくるのかわからず、それらにどこまでベアティの強さが通用するのかわからない。
重くなった息を吐き出す。
だが、何も変わらず吐き出した分だけ溜まっていくようで、息をすることさえつらくなった。
「エレナ様」
名を呼ばれ顔を上げるとベアティの顔がもう目の前にあり、私の唇の端にふわりと柔らかな感触が落ちる。
「……えっ!?」
「今夜、帰ってきたら俺の話をしても?」
突然のことに思考が停止する。
先ほどからずっと聞こえる雨音さえもなくなり、ベアティが立てる音だけが耳に入ってくる。
「どうして、今?」
「いつでも話せたけど、話すなら俺のことだけに向き合ってほしくて」
「……私が気にしていたから?」
呪詛のように吐かれたマリアンヌの言葉はじわじわと侵食し、ベアティの話も気になっていたが思考はそちらに引きずられていた自覚はある。
それを見て、ベアティもタイミングを計っていたようだ。
「この件が片付かないとエレナ様は集中できないかと思って」
「だから、ここ最近あんなに動いていたの?」
訊ねると、ベアティは肯定も否定もせずにこりと笑うと続けた。
「今夜、必ず帰ってくる。だから、それまで俺のこと意識してて」
唇の横がじわじわと熱を持ち出す。
それが意味することに気づくと、顔まで熱くなっていく。
心の奥底で気づいていたけれど、様々な理由を並べて見えないようにしていた。そして、私がそうすることをベアティは何も言わなかった。
だけど、そういった時間はもう終わりだと宣言されるとともに、帰ってくると約束してくれる。
「――……待ってる」
ベアティが無事でいてくれるなら、そこまで言うのなら、この怖さを押し込めよう。
言い知れぬ不安はまだ私を支配しているが、きっと大丈夫なのだと言い聞かせる。
私はゆっくりと肩の力を抜いた。
「俺の帰る場所はエレナ様のところだから」
すかさずベアティに手を引かれ、彼の腕の中に捉えられる。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」」
小さな温もりと約束を交わしたその日、どれだけ待ってもベアティは帰ってくることはなかった。
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