この歌声が届くまで

蒼村 咲

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8月25日 月曜日

第3話 合唱祭実行委員会

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 放課後、新垣くんがメッセージの中で指定した教室に向かう。
 入り口の引き戸を開けると、すでに六人の委員が集まっていた。私より先に教室を出ていた乾の姿もある。私はみんなと軽く挨拶を交わしてから、教卓にほど近い空席に荷物を下ろした。
 どうやら、今日出席できるのは私を含めたこの七人らしい。今年の合唱祭実行委員会のメンバーは九人なので、急な招集だったことを思えばまずまずの出席率だといえるだろう。

「それじゃあ、メンバーもそろったことだし、始めようか」

 その一言で、みんなの意識が新垣くんに向いた。
 
「まず、今日集まってもらったのは……って、もうわざわざ確認するほどのことでもないとは思うけど、始業式で発表された合唱祭中止について。僕を含め、ここにいる全員にとって初耳だったと思う。それで……」

 彼はそこでいったん言葉を切った。

「この件に関して、とりあえずうちの──実行委員会としての立場や見解は確認しておいたほうがいいと思って、招集をかけさせてもらった次第です。もちろん、学校側の中止の決定と僕たち合唱祭実行委員会は一切無関係ってことは、委員長として明言しておくけど」

 新垣くんはそう言って、委員の顔を見渡す。

「無関係というよりさ。少なくとも俺たちには事前に何か相談なり、せめて報告くらいはあってしかるべきだと思うけど」

 不満げに言ったのは乾だった。彼に賛同する空気が部屋に満ちる。
 そう、全校への発表が今日だったからといって、中止が決まったのが昨日今日の話なんてことは、いくらなんでも考えられないのだ。体育祭やマラソン大会が雨で流れるのとはわけが違う。例年から鑑みるに合唱祭は二カ月近くも先だ。
 その意味では中止が決まった時点で──もっと言うなら中止が検討され始めた段階で、少なくとも私たち合唱祭実行委員会には知らせてくれてもいいのにと思う。

「それに、そもそもなんで中止に……」

 乾が半ば独り言のように続けた。
 私は彼から目をそらし、ぼんやりと机の木目を眺める。本当に、中止の理由は一体何なのだろう。三大行事のうちの一つを中止するなんてよほどの理由があるに違いない。

(でもその、よほどの理由って?)

 つい一人の世界に入り込みそうになったところで、二年生の高野真紀ちゃんが口を開いた。

「……何か、理由はあるんですよね?」

 やや不安げな表情の彼女に、新垣くんはしっかりとうなずいてみせる。

「もちろん、何かしらの事情はあると思う」

 なんとなく含みが感じられるような言い方だった。それには真紀ちゃんも気づいたようだ。

「ええと、問題はそれが何か、ってことですか?」

 少し首を傾げて訊き返す。

「うん。でもそれだけじゃなくて……」

「その事情がどんなものであるにしろ、どうしてそれが僕たちには伝えられないのか、ですよね。乾先輩がさっき言った通り」

 新垣くんが始めかけた説明を引き取ったのは、真紀ちゃんと同じく二年生の塚本翔くんだった。
 新垣くんがうなずく。

「もちろん僕たちは、所詮有志の生徒集団に過ぎないわけだし、言ってしまえば別に、説明する『義務』なんてないのかもしれない。でも普通は……すると思う」

 学校側から軽視──されているのだろうか。
 合唱祭をめぐっては毎年、いろいろな雑務があちこちで発生する。たとえば各クラスの選曲の調整だとか、ピアノが使える練習室の割り当てだとか。それを一手に引き受けているのが私たち合唱祭実行委員会なのだ。もちろん当日の司会やタイムキーパーをはじめとする運営だって、すべて実行委員会が中心となって動いている──それなのに。
 そんな私の内心が伝わってしまったわけではないはずだけれど、なんとなく重い空気が部屋を満たす。
 が、そんな重苦しい空気には一切気づく気配のない呑気な声が聞こえてきた。

「ちょっと思ったんですけど、単純に音楽の先生が減ったから、とかじゃないんですか? ほら、去年までミッチーとヒデの二人体制だったのに、今年はヒデだけですし」

 中村幸貴くんだった。真紀ちゃんや塚本くんと同じく二年生だ。
 このマイペースさからもわかるとおりちょっと変わったところのある男の子だが、実は学年有数の優等生なのだという。

「音楽の先生、ねえ……」

 中村くんが言った「音楽の教員が減った」というのは一応、事実ではある。
 ミッチーこと道里晃子先生はこの春から産休で、今年度はヒデこと芦田英明先生が一人で音楽の授業を見ているのだ。
 もちろん私を含め大半の生徒は──というかおそらく中村くんを除く全生徒は──先生たちをミッチーだのヒデだのと馴れ馴れしいあだ名で呼んだりはしない、ということは念のため断っておきたい。

「うーん……一見ありそうな感じもするけど、違うと思う」

 私は中村くんの方を見ながら言った。音楽の先生が減ったことで合唱祭が中止になる、というのは考えにくいのだ。

「っていうのもね、私が一年の時は音楽の先生って道里先生だけだったのよ。それでもちゃんと合唱祭はあったから」

 常勤の音楽の先生については一人か二人、どちらが標準なのかはわからない。けれど少なくとも私が在校生として見てきた過去二年間については、人数が合唱祭の開催に影響を与えることはなかった、ということはいえる。それなら、きっとそれ以前だって同じだろう。なんなら私と入れ違いで卒業していった兄に訊いてみたっていい。

「うーん、そうですか……」

 中村くんは大してがっかりしたふうもなくつぶやき、頭の後ろで手を組んだ。


 それからは、残念なことにあまり有意義な時間とは言いがたかった。みんな小声でうなったり頭を抱えたりはするものの、特にこれといって有力な可能性は浮かばないのだ。
 下校時間だけが着実に近づいている。中止の原因や対策を考えるにしても、いきなりの今日ではこれが限界かもしれない。新垣委員長が時計を見上げ、メンバーの顔を見渡して口を開こうとしたときだった。

「──まさかとは思うけど……」

 今日初めて聞く声がした。

「学校に苦情が来た、とか言わないよね……?」

 クラスは違うけれど、私と同じく三年生の山名香苗さんだ。彼女の言葉で、部屋の中が急にがしん、となる。

「……苦情?」

 なんだか妙に嫌な響きの言葉だな、なんて思いながら訊き返すと、向こう側で乾が眉をひそめるのが見えた。

「いや、さすがにあのホールから音漏れってことはないんじゃ……」

 あのホールというのは、毎年合唱祭の会場として借りている市の文化ホールのことだろう。プロの楽団やアーティストのコンサートなども行われる大きなホールなので、確かに乾の言うとおり音が漏れるなんて心配は無用だと思う。いや、でも……。

「ホールじゃなくて本番前の建物外での練習とか……」

「ああ……でも待って、当日のこととは限らないんじゃ?」

「練習してる歌声が毎日うるさいって、近隣からの苦情ってことですか?」

「それ、遠回しに下手くそって言われてない?」

 私が少し考え込んでいる間にも、ポンポンと発言が飛び交っている。

(近隣住民からの苦情……?)

 なんとなく腑に落ちない。年がら年中活動しているはずの部活には何の苦情も出ないのに、ほんの限られた時期の合唱練習に苦情なんて出るだろうか。
 それでも、もし本当に山名さんの言うとおり学校への苦情が原因なのだとしたら、中止──最悪の場合、このまま「廃止」にもなりかねないけれど──になったのはうちだけじゃないかもしれない。市内には他にもいくつか学校があるし、規模はどこも同じくらいなのだ。うちの学校の周辺にだけ口うるさい人たちが住んでいる──という可能性は、できれば考えたくない。

「……ねえ。思ったんだけど、合唱祭が中止ってここだけなの? 他の学校とか──」

 私は途中で口をつぐんだ。教室の入口ドアがノックされたからだ。
 そして、私たちの返事を待つことなく、引き戸が開けられる──!

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