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8月26日 火曜日
第8話 去年の事案
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「僕も詳しいことは知らないんだけど、たしか審査結果が原因でちょっとした口論が起こったみたいで」
彼がそう言うと、真紀ちゃんがなぜか中村くんの方をちらりと振り返った。
私は(何だろう)と思ったけれど、その理由はすぐに明らかになる。
「ああ、俺ですね。それ」
中村くんが、それこそ何でもないことのように言ってのけたのだ。当然ながら、部屋中の目が彼に集まる。
「俺、ってどういうことよ……」
私が言うと、中村くんはのんびりした口調のまま答えた。
「新垣先輩の言う『口論』の渦中にいたってことですね。三年に喧嘩ふっかけられる一年とかまじ漫画かと思いました」
意味がわからない。いや、当事者であるらしいということはわかったけれど、いったい何がどうなって喧嘩になんかなったのか。
そんな空気を察してか、事情を知っているらしい真紀ちゃんがフォローに入る。
「あの、合唱祭って生徒審査もあるじゃないですか。去年中村も生徒審査員をやってたんですけど、なんかその審査内容が三年生の負けたクラスの人の耳に入っちゃったらしくて……」
なるほど。新垣くんが「審査結果が原因」と言ったのはそういうことだったのか。
うちの合唱祭では、教員だけじゃなく生徒──基本的には各クラスの学級委員だ──も審査に参加する。公平を期すため、生徒審査員が評価をするのはそれぞれ自分が属する学年以外の合唱なので、基本的には不正その他の問題は起こらない。それに、もちろんその審査内容は極秘だし、外部──特に審査対象の学年の生徒に漏れることなんてあり得ないはずなのだけれど。
「そうそう。それで『は!? なんで俺らが二位なんだよ!?』って突っかかられた感じです──こう、こんな感じで胸ぐらを掴まれながら」
中村くんはそう言って、無理矢理立ち上がらせた塚本くんの胸ぐらを掴んで見せた。
突然そんな再現劇場に巻き込まれた塚本くんは、一瞬眉間にしわを寄せたものの、文句を言わずに付き合っている。
「た、大変だったのね……」
ややおざなりな相づちを打ちながら、なんだか男子同士の関係って不思議だな、と思う。仲がいいのかそうでもないのか、見ていてもよくわからない。この二人に関しては少なくとも、仲が悪いわけではないのだろうけれど。
にしても、ただ自分の感覚に従って審査をしただけの中村くんにとってはとんだ災難だったわけだ。
所詮学校行事とはいえ、血気盛んな若者が溢れているのだ。大なり小なりもめ事の火種となりかねない情報の扱いは徹底してほしいものだと思う。まあ、本人があまり気にしていないようなのは救いだけれど。
「生徒同士の喧嘩か……それが原因って可能性は?」
乾の問いかけに、なんとなく嫌な感じの空気が部屋を満たした。というのも実際、部員が暴力沙汰を起こしたせいで強豪校が大会の出場資格を剥奪されたり、あるいは学校側の判断で出場を辞退させられたりといったニュースはたまに見かけるのだ。
もし学校側が密かに合唱祭の廃止を望んでいたのだとしたら、そんないざこざは恰好のネタになってしまう。
「……違う……んじゃないですかね」
遠慮がちに口を開いたのは塚本くんだった。中村くんに引っ張られて乱れた首もとを整えながら首をかしげている。
「もしその喧嘩が原因なら、学校側は去年の時点でもっとおおごとにして、『こんなことになったんだから合唱祭なんてもう廃止だ!』って言ってしまったんじゃないかって気がするんです……なんていうか、その方が説得力があるというか」
「なるほど、一理あるね」
新垣くんがうなずいた。たしかに、言われてみればその通りだ──去年のもめ事では、「今」中止になったことが説明できない。
「じゃあ、やっぱりもっと違う、もっと大きな問題があったってことか……」
言いながら、つい首をかしげてしまう。
私たちは今、まさにその「問題」を特定しようとして去年の合唱祭を振り返ったのだ。
実際に何かもっと大きな問題があったのだとしたら、喧嘩の件よりも先に少なくとも誰か一人くらいは思い至るだろう。
だとしたら、中止の原因は誰もが知るような「問題」や「事件」ではないということなのだろうか。それこそ、学校側が生徒に知られないよう隠蔽工作を図るレベルの──?
(ああ、だめだ……完全に行き詰まってる)
当たり前だけれど、原因がわからなければ対策の立てようがない。私はこっそりため息をついた。
「……そういえば、あとのメンバーってどうしたの?」
ふと思い出したように、山名さんが新垣くんに訊く。
「連絡はグループに流してるんだから、全員に届いてるでしょ?」
問われた新垣くんは一瞬、複雑な表情になった。
「今日は音沙汰ないね……二人とも」
「二人」というのは輝と、そして二年生の湯浅眞彦くんのことだ。今年の合唱祭実行委員会は、今ここにいる七人にその二人を足した九人で構成されている。
音沙汰がないということは、欠席の旨の連絡もなかったということだろうか。
「まあ、実際どん詰まりみたいなもんですけどね、こっちも」
中村くんの遠慮のない言葉に内心ぎょっとする。
だからあと二人くらいいてもいなくても同じだろう、という意味なのか。それとも、来たくない気持ちもわかる、という意味なのか。
さすがに目に余ると思ったのか、塚本くんが隣から小突くのが見えた。
「残念ながら否定はできないけどね。いかんせん情報が少なすぎる」
新垣くんの言葉に溜め息が交じる。
「……だから、何か気づいたことがあれば共有しておきたいし、些細なことでも遠慮なくメッセージででも知らせてもらいたいな」
新垣くんの言葉に、私たちは一斉にうなずいた。
それでも、夜になっても合唱祭実行委員会のグループメッセージが更新されることはなかったのだけれど。
彼がそう言うと、真紀ちゃんがなぜか中村くんの方をちらりと振り返った。
私は(何だろう)と思ったけれど、その理由はすぐに明らかになる。
「ああ、俺ですね。それ」
中村くんが、それこそ何でもないことのように言ってのけたのだ。当然ながら、部屋中の目が彼に集まる。
「俺、ってどういうことよ……」
私が言うと、中村くんはのんびりした口調のまま答えた。
「新垣先輩の言う『口論』の渦中にいたってことですね。三年に喧嘩ふっかけられる一年とかまじ漫画かと思いました」
意味がわからない。いや、当事者であるらしいということはわかったけれど、いったい何がどうなって喧嘩になんかなったのか。
そんな空気を察してか、事情を知っているらしい真紀ちゃんがフォローに入る。
「あの、合唱祭って生徒審査もあるじゃないですか。去年中村も生徒審査員をやってたんですけど、なんかその審査内容が三年生の負けたクラスの人の耳に入っちゃったらしくて……」
なるほど。新垣くんが「審査結果が原因」と言ったのはそういうことだったのか。
うちの合唱祭では、教員だけじゃなく生徒──基本的には各クラスの学級委員だ──も審査に参加する。公平を期すため、生徒審査員が評価をするのはそれぞれ自分が属する学年以外の合唱なので、基本的には不正その他の問題は起こらない。それに、もちろんその審査内容は極秘だし、外部──特に審査対象の学年の生徒に漏れることなんてあり得ないはずなのだけれど。
「そうそう。それで『は!? なんで俺らが二位なんだよ!?』って突っかかられた感じです──こう、こんな感じで胸ぐらを掴まれながら」
中村くんはそう言って、無理矢理立ち上がらせた塚本くんの胸ぐらを掴んで見せた。
突然そんな再現劇場に巻き込まれた塚本くんは、一瞬眉間にしわを寄せたものの、文句を言わずに付き合っている。
「た、大変だったのね……」
ややおざなりな相づちを打ちながら、なんだか男子同士の関係って不思議だな、と思う。仲がいいのかそうでもないのか、見ていてもよくわからない。この二人に関しては少なくとも、仲が悪いわけではないのだろうけれど。
にしても、ただ自分の感覚に従って審査をしただけの中村くんにとってはとんだ災難だったわけだ。
所詮学校行事とはいえ、血気盛んな若者が溢れているのだ。大なり小なりもめ事の火種となりかねない情報の扱いは徹底してほしいものだと思う。まあ、本人があまり気にしていないようなのは救いだけれど。
「生徒同士の喧嘩か……それが原因って可能性は?」
乾の問いかけに、なんとなく嫌な感じの空気が部屋を満たした。というのも実際、部員が暴力沙汰を起こしたせいで強豪校が大会の出場資格を剥奪されたり、あるいは学校側の判断で出場を辞退させられたりといったニュースはたまに見かけるのだ。
もし学校側が密かに合唱祭の廃止を望んでいたのだとしたら、そんないざこざは恰好のネタになってしまう。
「……違う……んじゃないですかね」
遠慮がちに口を開いたのは塚本くんだった。中村くんに引っ張られて乱れた首もとを整えながら首をかしげている。
「もしその喧嘩が原因なら、学校側は去年の時点でもっとおおごとにして、『こんなことになったんだから合唱祭なんてもう廃止だ!』って言ってしまったんじゃないかって気がするんです……なんていうか、その方が説得力があるというか」
「なるほど、一理あるね」
新垣くんがうなずいた。たしかに、言われてみればその通りだ──去年のもめ事では、「今」中止になったことが説明できない。
「じゃあ、やっぱりもっと違う、もっと大きな問題があったってことか……」
言いながら、つい首をかしげてしまう。
私たちは今、まさにその「問題」を特定しようとして去年の合唱祭を振り返ったのだ。
実際に何かもっと大きな問題があったのだとしたら、喧嘩の件よりも先に少なくとも誰か一人くらいは思い至るだろう。
だとしたら、中止の原因は誰もが知るような「問題」や「事件」ではないということなのだろうか。それこそ、学校側が生徒に知られないよう隠蔽工作を図るレベルの──?
(ああ、だめだ……完全に行き詰まってる)
当たり前だけれど、原因がわからなければ対策の立てようがない。私はこっそりため息をついた。
「……そういえば、あとのメンバーってどうしたの?」
ふと思い出したように、山名さんが新垣くんに訊く。
「連絡はグループに流してるんだから、全員に届いてるでしょ?」
問われた新垣くんは一瞬、複雑な表情になった。
「今日は音沙汰ないね……二人とも」
「二人」というのは輝と、そして二年生の湯浅眞彦くんのことだ。今年の合唱祭実行委員会は、今ここにいる七人にその二人を足した九人で構成されている。
音沙汰がないということは、欠席の旨の連絡もなかったということだろうか。
「まあ、実際どん詰まりみたいなもんですけどね、こっちも」
中村くんの遠慮のない言葉に内心ぎょっとする。
だからあと二人くらいいてもいなくても同じだろう、という意味なのか。それとも、来たくない気持ちもわかる、という意味なのか。
さすがに目に余ると思ったのか、塚本くんが隣から小突くのが見えた。
「残念ながら否定はできないけどね。いかんせん情報が少なすぎる」
新垣くんの言葉に溜め息が交じる。
「……だから、何か気づいたことがあれば共有しておきたいし、些細なことでも遠慮なくメッセージででも知らせてもらいたいな」
新垣くんの言葉に、私たちは一斉にうなずいた。
それでも、夜になっても合唱祭実行委員会のグループメッセージが更新されることはなかったのだけれど。
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