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8月29日 金曜日
第10話 かすかな含意から
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合唱祭の中止が伝えられてから四日目の朝。
SHR──連絡事項の伝達などのために、毎朝授業開始前に設けられている十分間のホームルームの時間だ──は滞りなく進んでいく。
いくら耳を澄ませてみても、合唱祭に関する一切が全く話題に上らない。
(それは覚悟していたことだからいいけど、それよりも……)
私はSHRが終わり、つかの間の休み時間となった教室を見渡す。
近くの席の子と喋ったり本を読んだり、クラスメイトたちはそれぞれ思い思いに過ごしている──そう、いつもとなんら変わらない光景が広がっていた。
(始業式の日にはあんなにざわついてたのに……)
驚くべき順応性とでもいえばいいのだろうか。私は半ば呆然とした気持ちになる。
というのも、端的に言ってこれは良くない傾向だからだ。
中止の原因が判明したとして、それだけでは何も変わらない。学校側か、あるいはまた別の存在か、いずれにしても合唱祭中止の判断を撤回させるためには、つまるところ生徒からの強い要望が欠かせないのだ。
それなのに肝心の彼らが、合唱祭の中止を受け入れ始めている。
私はなんとなく、後ろの席──宮下幸穂ちゃんの席だ──を振り返った。
彼女はこの夏引退するまで吹奏楽部の部長を務めていた、少し大人びた雰囲気の秀才だ。出身校が違うためもともと接点があまりなく、同じクラスになったのも今年が初めてだった。
思えばそれなりに親しくなったのも、夏休み前の席替えでこの席順になってからかもしれない。話してみれば見た目の印象よりはるかに気さくなタイプだったのだ。
「──ねえ、合唱祭って、やっぱりほんとに中止なのかな?」
私は小声で言った。
「え、なんで?」
幸穂ちゃんは机の中を整理する手を止めて私に向き直る。
「なんで、って……」
予想外の言葉にまごついてしまう。何に対して「なんで」と問われているのかわからない。
「あれ? この前休みだった? ううん、いたよね。だったら、先生から直接聞いたじゃない」
彼女は彼女で、私の言葉の真意を測りかねているのか、不思議そうにしている。
けれど私はすぐには答えられなかった。彼女の言葉の含意に気づいてしまったからだ。
「もしかして、もともと知ってたの? まさか噂、とか……あった?」
私はおそるおそる尋ねた。すると幸穂ちゃんはちらりと周囲に目を配る。
「ううん、知ってたわけじゃないよ。でも私たちは──吹部のことだけどね、変だなと思ってはいたの。夏のコンクールの後も先生が部活に顔出すなんて、今までなかったし……。ほら、一応平等に全クラスの合唱の指導をしないといけないわけだし、準備とかも大変じゃない? だから──」
彼女はそこで一旦、言葉を切る。私は何も言えないまま、続きを待った。
「──中止って聞いたとき、正直に言うと『謎が解けた』みたいな感じではあったの。あ、やっぱりそういうことだったんだ、って」
その瞬間、周囲のすべての音が遠のいた。
私は意識してつばを飲み込み、意識を引き戻す。
「吹奏楽部の人たちの間で、噂になってたってこと? その、今年は合唱祭がないかもしれないって……」
私の問いに、幸穂ちゃんは首を振る。
「まさか。普通はコンクールが終わった安心感と開放感でいっぱいだし、練習のせいで後回しにしてた宿題とも向き合わないといけないしでそこまで気が回らないよ。大半の部員は何も意識してなかったと思う。……でも、私も副部長だった子も気にはなっていたけど、聞けなかった。なんとなくね」
幸穂ちゃんはそう言って軽く肩をすくめた。
「そうだったんだ……」
私はまだ、受けた衝撃から立ち直れないままにつぶやいた。なんとかお礼だけは言い、前を向いて座り直す。
幸穂ちゃんの「先生から直接聞いたじゃない」という言葉──あれは、もう合唱祭の中止が「噂や憶測ではなくなったじないか」という意味だ。
現に彼女や副部長だったという子──誰かは知らない──も何か変だと感じていた。
そしてそれは何より、中止が私たち生徒の耳に入るずっと前から、合唱祭はないものとして物事は進んでいたという証拠なのだ。
合唱祭がない現実が、私たちの日常へと急速に染み込んでくる。
気持ちばかりが焦って落ち着かない。どうしてこんなにも無力なんだろう。
(何か──何かできることを探さなきゃ。考えなきゃ)
私は机の下でこっそりと拳を握りしめた。
SHR──連絡事項の伝達などのために、毎朝授業開始前に設けられている十分間のホームルームの時間だ──は滞りなく進んでいく。
いくら耳を澄ませてみても、合唱祭に関する一切が全く話題に上らない。
(それは覚悟していたことだからいいけど、それよりも……)
私はSHRが終わり、つかの間の休み時間となった教室を見渡す。
近くの席の子と喋ったり本を読んだり、クラスメイトたちはそれぞれ思い思いに過ごしている──そう、いつもとなんら変わらない光景が広がっていた。
(始業式の日にはあんなにざわついてたのに……)
驚くべき順応性とでもいえばいいのだろうか。私は半ば呆然とした気持ちになる。
というのも、端的に言ってこれは良くない傾向だからだ。
中止の原因が判明したとして、それだけでは何も変わらない。学校側か、あるいはまた別の存在か、いずれにしても合唱祭中止の判断を撤回させるためには、つまるところ生徒からの強い要望が欠かせないのだ。
それなのに肝心の彼らが、合唱祭の中止を受け入れ始めている。
私はなんとなく、後ろの席──宮下幸穂ちゃんの席だ──を振り返った。
彼女はこの夏引退するまで吹奏楽部の部長を務めていた、少し大人びた雰囲気の秀才だ。出身校が違うためもともと接点があまりなく、同じクラスになったのも今年が初めてだった。
思えばそれなりに親しくなったのも、夏休み前の席替えでこの席順になってからかもしれない。話してみれば見た目の印象よりはるかに気さくなタイプだったのだ。
「──ねえ、合唱祭って、やっぱりほんとに中止なのかな?」
私は小声で言った。
「え、なんで?」
幸穂ちゃんは机の中を整理する手を止めて私に向き直る。
「なんで、って……」
予想外の言葉にまごついてしまう。何に対して「なんで」と問われているのかわからない。
「あれ? この前休みだった? ううん、いたよね。だったら、先生から直接聞いたじゃない」
彼女は彼女で、私の言葉の真意を測りかねているのか、不思議そうにしている。
けれど私はすぐには答えられなかった。彼女の言葉の含意に気づいてしまったからだ。
「もしかして、もともと知ってたの? まさか噂、とか……あった?」
私はおそるおそる尋ねた。すると幸穂ちゃんはちらりと周囲に目を配る。
「ううん、知ってたわけじゃないよ。でも私たちは──吹部のことだけどね、変だなと思ってはいたの。夏のコンクールの後も先生が部活に顔出すなんて、今までなかったし……。ほら、一応平等に全クラスの合唱の指導をしないといけないわけだし、準備とかも大変じゃない? だから──」
彼女はそこで一旦、言葉を切る。私は何も言えないまま、続きを待った。
「──中止って聞いたとき、正直に言うと『謎が解けた』みたいな感じではあったの。あ、やっぱりそういうことだったんだ、って」
その瞬間、周囲のすべての音が遠のいた。
私は意識してつばを飲み込み、意識を引き戻す。
「吹奏楽部の人たちの間で、噂になってたってこと? その、今年は合唱祭がないかもしれないって……」
私の問いに、幸穂ちゃんは首を振る。
「まさか。普通はコンクールが終わった安心感と開放感でいっぱいだし、練習のせいで後回しにしてた宿題とも向き合わないといけないしでそこまで気が回らないよ。大半の部員は何も意識してなかったと思う。……でも、私も副部長だった子も気にはなっていたけど、聞けなかった。なんとなくね」
幸穂ちゃんはそう言って軽く肩をすくめた。
「そうだったんだ……」
私はまだ、受けた衝撃から立ち直れないままにつぶやいた。なんとかお礼だけは言い、前を向いて座り直す。
幸穂ちゃんの「先生から直接聞いたじゃない」という言葉──あれは、もう合唱祭の中止が「噂や憶測ではなくなったじないか」という意味だ。
現に彼女や副部長だったという子──誰かは知らない──も何か変だと感じていた。
そしてそれは何より、中止が私たち生徒の耳に入るずっと前から、合唱祭はないものとして物事は進んでいたという証拠なのだ。
合唱祭がない現実が、私たちの日常へと急速に染み込んでくる。
気持ちばかりが焦って落ち着かない。どうしてこんなにも無力なんだろう。
(何か──何かできることを探さなきゃ。考えなきゃ)
私は机の下でこっそりと拳を握りしめた。
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