櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

文字の大きさ
59 / 219
◆ 一章四話 望みの鎖 * 元治元年 六~七月

生きること

しおりを挟む
 斎藤はゆったりとした動作で足を返して、体ごと後ろを振り返った。

「……生きてたね。良かった」

 途端に藤堂と同じことを、けれど藤堂よりも安堵しきった声音で呟いて、愁介が口元をほころばせる。

 斎藤は目礼し、周囲に他に人の気配がないかを確かめてから口を開いた。

「……殿は、ご無事ですか」
「うん。帝のお側にずっとついてたみたい。実はまた体調崩して臥せってたんだけど……寝てる場合じゃないって御所に入ってったよ。おかげで取り乱されていた帝も、父上の姿見てからは落ち着いた様子だったって聞いた」

 言い終えると共に、愁介は斎藤の目の前に歩み出た。木々の合間から降り注ぐ月光に照らされ、それまでよりも姿がはっきりと浮かび上がる。

 池田屋の時ほどではないが、それでも愁介は煤と返り血に汚れ、また池田屋の時と同じく瞳の光を失うことなく凛と佇んでいた。

 いつかの時よりも心なしか涼しい夜風が、草木を揺らしながら吹き抜ける。

 紅鬱金べにうこんの結い紐が髪と共にやわらかく流れた。月光を反射した結い紐がちかりと輝き、やはりいつかと同じように桜色を錯覚させる。

「……ひと月ぶりだね」
「ええ。貴殿がおいでにならず文だけを寄越すので、沖田さんがぼやき倒していましたよ」
「う、そっか……オレも総司には会いたかったんだけど……ていうか、総司のほうから会津本陣に来てくれてもいいんだけどなぁ」
「無理ですよ、あの人の立場では。組に余計な波風を立ててしまいます」

 抑揚のない声で答えると、愁介は「それもそうか」と納得の声を上げた。生真面目な顔をして「後で謝らないと」と呟きつつ、かと思えば突然、ふっと表情を崩して苦笑いする。

「あー、もう……本当、生きてて良かったぁ」

 先刻以上に切実で、いっそ気の抜けたような呟きだった。

 斎藤は目を伏せて、声色を変えず淡々と返した。

「……此度の戦では、死ぬつもりはありませんでしたから」
「此度の戦では、か……」
「ええ。貴殿が、会わせるとか会わせないとか、そのようなことをおっしゃっていたので」

 だから死ぬ気になれませんでした、とありていに言う。

 愁介は複雑に顔をしかめ、「んん」と相槌なのか呻きなのかわからない声を上げた。

「……オレさあ。このひと月、新選組の屯所に行かなかったのは、忙しいのもあったけど、斎藤と顔を合わせられなかったからでさ」
「私としては、できればさっさとおいでになってかづら様のことを洗いざらい話していただきたかったのですが……私も私で用もなく本陣へ向かうわけにはまいりませんので、叶いませんでした」
「トゲあるなぁ……」

 愁介は軽く頭を引っかいて苦笑を深める。

「オレは色々……考える間が欲しかっただけなんだけどね」
「会いにきてくださったということは、話す気になっていただけたのでしょうか」
「お前、葛のことになると本当に饒舌になるね……」

 愁介は目元を手で覆いながら、戸惑ったように独り言ちた。

 細く長い息を吐いて愁介が口をつぐむのを、斎藤はじれったく見据える。

 少しして愁介が顔を上げ、ようやく何か聞けるだろうかと思ったものの、

「……オレ、ほんっとーにわかんないんだよね、何が正しいのか」

 その声は言葉通り、本当に困惑しきった様子で普段より上ずっていた。

「あのね。斎藤がもうちょっと生きてくれたら、話してもいいかなって思うんだ」
「もうちょっとって……」

 斎藤は苦りきった顔をした。

「葛様が亡くなったと聞かされて、既に四年もだらだらと生き続けているのですが」
「その言い草が気に食わないんだよ、オレ。人生無駄みたいな……」
「無駄です」
「断言すんなよ、無駄じゃないよ」

 言葉と共に軽く向こう脛を蹴られた。池田屋の時でもそうだったが、愁介はどうも足癖が悪いらしい。

 少々じんとしびれた痛みを感じたが、表情を変えず見下ろすと、愁介は嘆息して頭痛に耐えるようにこめかみを押さえた。

「……生きるってね、投げ出さないことだと思うんだ、オレ」

 視線を横に流し、愁介は都に嘆くような目を向けた。

「葛はお前に後追いして欲しいなんて、これっぽっちも思っちゃいなかった。何があっても、お前にだけは生きて欲しいと望んでた」
「……勝手ですよ」
「うん、わかってた。それでも望んでたんだ、葛に『生きろ』って言ったのが、お前だったから」

 反論できず、口をつぐむ。

 愁介はそんな斎藤に目元をたわめて、薄く微笑んだ。

「ずるいのはわかってる。だからオレを恨んだっていい。でも、たぶん、今の斎藤に葛のことを話したって、本当に何も変わらない気がするから……それは、ダメだから」

 言葉を区切り、愁介は改めて斎藤に真っ直ぐ向き直った。

 曇りのない瞳で見上げ、腰に手を当てて軽くふんぞり返る。

「生きてよ。そしたら教えてあげる、葛のこと、全部」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

改大和型戦艦一番艦「若狭」抜錨す

みにみ
歴史・時代
史実の第二次世界大戦が起きず、各国は技術力を誇示するための 「第二次海軍休日」崩壊後の無制限建艦競争に突入した 航空機技術も発達したが、それ以上に電子射撃装置が劇的に進化。 航空攻撃を無力化する防御陣形が確立されたことで、海戦の決定打は再び「巨大な砲」へと回帰した。 そんな中⑤計画で建造された改大和型戦艦「若狭」 彼女が歩む太平洋の航跡は

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

『続・聖パラダイス病院』

菊池昭仁
現代文学
『聖パラダイス病院』の続編です。こんな病院なら入院生活も悪くはありません。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

戦国九州三国志

谷鋭二
歴史・時代
戦国時代九州は、三つの勢力が覇権をかけて激しい争いを繰り返しました。南端の地薩摩(鹿児島)から興った鎌倉以来の名門島津氏、肥前(現在の長崎、佐賀)を基盤にした新興の龍造寺氏、そして島津同様鎌倉以来の名門で豊後(大分県)を中心とする大友家です。この物語ではこの三者の争いを主に大友家を中心に描いていきたいと思います。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...