櫻雨-ゆすらあめ-

弓束しげる

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◆ 一章五話 空ろの胸 * 元治元年 八月

身の振り

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「……俺達は似てるのかもなぁ」

 それは独り言とも取れる、静かな呟きだった。

 土方は自嘲めいた笑みを浮かべて一度まぶたを閉じると、すぐに「何でもねぇ」と首を振る。

「斎藤お前、ちっと後ろ向きすぎんだよ。……あるいは無意識に諦めちまってるのか」
「諦める……?」
「どっちにしろ、その女が死んでから少なくとも四、五年は経ってるわけだろ。そろそろ前を向いたってバチは当たらんだろうよ。でなきゃ人生、損しちまう」

 つらつらと言い重ねると、土方は後ろ手に畳に手をついた。そのままぐっと伸びをして、それまでよりもわずかに声音を明るくする。

「話を戻すが、永倉のこと頼んだ。大ごとにはしたくねぇ。また何かあっても、せめて事が穏便になるよう手を回してもらえねぇか」
「え? ああ、それは構いませんが……」

 斎藤は狐につままれたような心持ちで曖昧な返事をした。しかし続く言葉が見つからず、「いえ、承知しました」と畳に両手をつき、改まって頭を下げる。

「あれ? 斎藤、顔洗いに行くって言ってなかったっけ……?」

 そこへ忍ぶような声が割り込んできて、斎藤と土方は揃って首を廊下に回した。すると部屋の障子の端から、縦一列に頭を並べて覗き込む沖田と愁介の姿が目に入る。

「……何遊んでやがる」

 土方は機嫌を急降下させて、遠慮のない舌打ちをした。苦々しげに眉根を寄せ、背を向けて文机に向かいながら「お殿様のご側近とやらは随分と暇らしい」なんて皮肉を言う。

「まあまあ、土方さん」

 沖田がなだめすかすような猫なで声で、土方の側に寄った。真後ろに膝立ちをして、軽く叩くように広い両肩に手を置く。

「別にいいじゃないですか。逆に私が足しげく会津様のご本陣に通ったら、土方さん怒るでしょう?」
「当たり前だ、立場をわきまえろ」
「ほらぁ、ね?」

 そんなやり取りを横目に、愁介は気まずそうに斎藤を窺って、部屋を入ってすぐのところで腰を下ろした。

「何の用だ」

 振り向くことなく、土方が厳しく問う。

「いや、まぁちょっとしたお節介を……」
「いらん」
「土方さん、話くらい聞きましょうよ」

 間髪容れず切り返した土方に、さすがの沖田も苦笑する。

「……永倉さんのことではないですか」

 斎藤が口を挟むと、土方が頑なに書面に落としていた視線を上げて振り返った。沖田が穏やかに頬をゆるめ、愁介は目を丸くして斎藤を見返す。

「斎藤さんって頼りになりますよねぇ」

 土方の肩に頬杖をついて、沖田がのんびりとした声を上げた。

 土方は「痛ぇ、刺さる」とその腕を払いながら愁介を睨み据える。

「新選組が内部分裂しそうですって、会津様に密告でもする気かよ」
「いや、何ですかそれ。しないよ、それは」

 思いもよらぬとでも言うように、愁介は吐息した。

「前にも言いましたけどオレ、別に組の内部事情を探るためにここに来てるわけじゃないですから」

 どこか不服そうに言って、しかしすぐ、愁介は憑き物が落ちたような顔で「でも、いいや」と首を振った。

「斎藤が一枚噛んでくれるなら、オレがお節介する必要なんてないだろうし」
「当たり前だ。お呼びじゃねぇんだよ」
「……確かに身分は気にしなくていいって言いましたけど、オレも人の子なんでその物言いには傷付きますよ?」
「知るかよ。だったら来んなよ」
「子供か!」

 愕然と突っ込んだ愁介に、沖田がおかしそうに肩を震わせた。

 土方は再び舌打ちをして書類に目を戻す。愁介も苦りきった顔でそんな土方の背中に舌を出していた。

 呆れの吐息を一つ漏らし、斎藤は土方に「私はこれで」と声をかけた。

「おう」と短く返され、それを区切りに立ち上がる。

 と、部屋を出ようとしたところで足元にわずかな引っ掛かりを感じた。視線を下げると、袴の裾を掴んでいる愁介の手が目に入る。

 しかし、声をかける前にその手はあっさり離れていった。

 愁介は斎藤を見上げるでもなく、何事もなかったかのように「ねえ総司、鴨川に涼みに行こうよ」と明るく言う。

「あ、いいですねー。行きましょうか!」
「さっさと行け。仕事の邪魔だ」
「もう、土方さんは口が悪いんだからなぁ! 誘ってあげませんよ!」
「いらねぇよ、馬鹿か!」

 賑やかな会話を背に、斎藤は改めて部屋を出た。

 渡り廊下で一度だけ肩越しに振り返ると、土方と沖田のやり取りに無邪気に笑い声を立てている愁介の姿が見える。

 ――が、それに眉根を寄せた斎藤の姿を、その奥から沖田が何か物言いたげに見ていたことには、斎藤は全く気付いていなかった。
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