72 / 219
◆ 一章六話 揺りの根 * 元治元年 八月
永倉の覚悟
しおりを挟む
「斎藤先生も、永倉や原田さんと同じように?」
島田が窺うように口を開く。
斎藤は瞬き一つで永倉から視線を外すと、頷くようにあごを引いた。
「私は……永倉さんより、島田さんや尾関さんと意見が近いですね。近藤局長には江戸で世話になった恩がありますから否定しづらい部分はあるのですが、それでも今回の一件は少々呆れましたし、今後を思えば憂慮すべきかと」
憂慮すべきはこの集まりが存在していることである、という本音を建前にくるんで抑揚なく答える。
言葉に本音を混ぜると、嘘に真実味が増すので便利だ。以前、憤慨しきりで訴えてきた時のように永倉自身が動揺している場合は別だが、通常であれば永倉ほどの人物を相手取るのは厄介でしかない。だからこそこういう時、この話法は重宝する。長年日陰者として生きてきた中で身に着けた、一種の処世術だった。
周囲の反応を窺いながら、斎藤は続けて付け加える。
「ただ、憂慮すべきとは思いますが……実質これといった手立てが思い浮かぶわけでもありませんので、どう折り合いをつけたものかと悩ましいところではありますね」
現状の『穏便に収める』というのは、どこを終着点にすべきだろうか。それこそを悩ましく思いながら視線を巡らせると、ここまで口をつぐんでいた永倉が、含みのある笑みを深めてようやく沈黙を破った。
「そのやきもき感をね。どうしたものかなって俺も悩んでたんだけど……そんな時にさ、葛山が面白い案を持ってきてくれたわけなのよ」
「面白い案?」
思わず反復する。
永倉は片眉を上げて、先ほどは受け流した斎藤の視線に改めて答えるように頷いた。
「会津侯に、建白書を差し上げる」
――呼吸が一瞬、止まった。
「皆に集まってもらったのは、この建白書に署名してもらえないかって相談したかったからなんだよね」
永倉は事も無げに言って、葛山に視線を流す。
葛山は厳めしい顔をしたまま懐から書を取り出し、円座の中央に広げた。
それには神経質そうな字で、訴えが書き連ねられていた。最近の近藤が、仲間と共にお国を盛り立てるという初志を忘れているのではないかということ。これにより、立場の違いはあれど、本来隔てなく働くべき同志を蔑ろにしているのではないかということ――など、それらしく言葉を整えて、全五か条にまとめ上げられている。
文末には既に永倉を筆頭に、原田、葛山の署名と拇印が揃っていた。
「葛山は字が上手いからね、書くのは任せたんだ。まあ、知っての通り葛山は元会津侍ってこともあって、多少伝手もあるみたいだしね」
永倉が葛山を許容していた理由が知れ、急速に喉が渇いていく。
——穏便に、どころの話ではなくなった。このままいけば、ただでさえ心労の多い容保の手を、新選組内のいざこざでわずらわせることになる。
先の禁門の戦の後始末も一段落した先日、会津と新選組には揃って幕府老中から戦の功績を称える賞状が下された。池田屋、明保野亭、禁門の戦、そしてそれぞれの後始末。一つ一つを共に乗り越えてきた両者が着実に、かつ急速に親密さを増しているのは間違いない。頼り頼られ、改めてより良い関係を築いていこうと距離を縮めている最中なのだ。
が、それと今回の一件とはまた話が違う。斎藤は内心で頭を抱えずにいられなかった。
会津が新選組と良い関係を築こうというのであれば、それは結構なことだ。斎藤は従って尽力するのみだが、だからと言って新選組で起きた火の粉を会津に飛び火させても良いかと問われれば、それは否やしかない。
しかもこの月半ば、会津には幕府からの賞状ばかりでなく、先の戦の元凶であった長州を諸国と共に征伐せよという朝廷からの命も下されている。そんな中、容保の肩には先の戦で不安を抱かれた帝の警護ものしかかっているのだ。ただでさえ病弱な体を押して右へ左へ奔走する容保に、どうしてさらなる負担をかけようというのかと頭の芯が痛くなる。
「あ……」
が、そうして言葉を詰まらせたのは何も斎藤だけではなかった。同じく今初めて聞かされたのであろう他の二人も、さすがに動揺を隠しきれない様子だった。
「あ、会津侯へ直接建白書を差し上げるなど……いくら何でも畏れ多くはありませんか」
「永倉、本気か?」
生真面目な尾関だけでなく、島田も不安げに永倉を見る。
永倉は口元に笑みを浮かべたまま、瞳を爛々とぎらつかせて答えた。
「本気だし、正気」
「……永倉さん。下手をすれば切腹ものですよ」
斎藤が言葉を継ぐ。
けれど永倉は、それでも迷いのない目で頑然と言い放った。
「腹を切れと言われるなら、どの道それまでだよ、斎藤。むしろその覚悟もなく建白書なんか差し上げられるもんか。これくらいしないと、今の近藤さんには伝わらないんだよ」
島田が窺うように口を開く。
斎藤は瞬き一つで永倉から視線を外すと、頷くようにあごを引いた。
「私は……永倉さんより、島田さんや尾関さんと意見が近いですね。近藤局長には江戸で世話になった恩がありますから否定しづらい部分はあるのですが、それでも今回の一件は少々呆れましたし、今後を思えば憂慮すべきかと」
憂慮すべきはこの集まりが存在していることである、という本音を建前にくるんで抑揚なく答える。
言葉に本音を混ぜると、嘘に真実味が増すので便利だ。以前、憤慨しきりで訴えてきた時のように永倉自身が動揺している場合は別だが、通常であれば永倉ほどの人物を相手取るのは厄介でしかない。だからこそこういう時、この話法は重宝する。長年日陰者として生きてきた中で身に着けた、一種の処世術だった。
周囲の反応を窺いながら、斎藤は続けて付け加える。
「ただ、憂慮すべきとは思いますが……実質これといった手立てが思い浮かぶわけでもありませんので、どう折り合いをつけたものかと悩ましいところではありますね」
現状の『穏便に収める』というのは、どこを終着点にすべきだろうか。それこそを悩ましく思いながら視線を巡らせると、ここまで口をつぐんでいた永倉が、含みのある笑みを深めてようやく沈黙を破った。
「そのやきもき感をね。どうしたものかなって俺も悩んでたんだけど……そんな時にさ、葛山が面白い案を持ってきてくれたわけなのよ」
「面白い案?」
思わず反復する。
永倉は片眉を上げて、先ほどは受け流した斎藤の視線に改めて答えるように頷いた。
「会津侯に、建白書を差し上げる」
――呼吸が一瞬、止まった。
「皆に集まってもらったのは、この建白書に署名してもらえないかって相談したかったからなんだよね」
永倉は事も無げに言って、葛山に視線を流す。
葛山は厳めしい顔をしたまま懐から書を取り出し、円座の中央に広げた。
それには神経質そうな字で、訴えが書き連ねられていた。最近の近藤が、仲間と共にお国を盛り立てるという初志を忘れているのではないかということ。これにより、立場の違いはあれど、本来隔てなく働くべき同志を蔑ろにしているのではないかということ――など、それらしく言葉を整えて、全五か条にまとめ上げられている。
文末には既に永倉を筆頭に、原田、葛山の署名と拇印が揃っていた。
「葛山は字が上手いからね、書くのは任せたんだ。まあ、知っての通り葛山は元会津侍ってこともあって、多少伝手もあるみたいだしね」
永倉が葛山を許容していた理由が知れ、急速に喉が渇いていく。
——穏便に、どころの話ではなくなった。このままいけば、ただでさえ心労の多い容保の手を、新選組内のいざこざでわずらわせることになる。
先の禁門の戦の後始末も一段落した先日、会津と新選組には揃って幕府老中から戦の功績を称える賞状が下された。池田屋、明保野亭、禁門の戦、そしてそれぞれの後始末。一つ一つを共に乗り越えてきた両者が着実に、かつ急速に親密さを増しているのは間違いない。頼り頼られ、改めてより良い関係を築いていこうと距離を縮めている最中なのだ。
が、それと今回の一件とはまた話が違う。斎藤は内心で頭を抱えずにいられなかった。
会津が新選組と良い関係を築こうというのであれば、それは結構なことだ。斎藤は従って尽力するのみだが、だからと言って新選組で起きた火の粉を会津に飛び火させても良いかと問われれば、それは否やしかない。
しかもこの月半ば、会津には幕府からの賞状ばかりでなく、先の戦の元凶であった長州を諸国と共に征伐せよという朝廷からの命も下されている。そんな中、容保の肩には先の戦で不安を抱かれた帝の警護ものしかかっているのだ。ただでさえ病弱な体を押して右へ左へ奔走する容保に、どうしてさらなる負担をかけようというのかと頭の芯が痛くなる。
「あ……」
が、そうして言葉を詰まらせたのは何も斎藤だけではなかった。同じく今初めて聞かされたのであろう他の二人も、さすがに動揺を隠しきれない様子だった。
「あ、会津侯へ直接建白書を差し上げるなど……いくら何でも畏れ多くはありませんか」
「永倉、本気か?」
生真面目な尾関だけでなく、島田も不安げに永倉を見る。
永倉は口元に笑みを浮かべたまま、瞳を爛々とぎらつかせて答えた。
「本気だし、正気」
「……永倉さん。下手をすれば切腹ものですよ」
斎藤が言葉を継ぐ。
けれど永倉は、それでも迷いのない目で頑然と言い放った。
「腹を切れと言われるなら、どの道それまでだよ、斎藤。むしろその覚悟もなく建白書なんか差し上げられるもんか。これくらいしないと、今の近藤さんには伝わらないんだよ」
0
あなたにおすすめの小説
改大和型戦艦一番艦「若狭」抜錨す
みにみ
歴史・時代
史実の第二次世界大戦が起きず、各国は技術力を誇示するための
「第二次海軍休日」崩壊後の無制限建艦競争に突入した
航空機技術も発達したが、それ以上に電子射撃装置が劇的に進化。
航空攻撃を無力化する防御陣形が確立されたことで、海戦の決定打は再び「巨大な砲」へと回帰した。
そんな中⑤計画で建造された改大和型戦艦「若狭」 彼女が歩む太平洋の航跡は
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
戦国九州三国志
谷鋭二
歴史・時代
戦国時代九州は、三つの勢力が覇権をかけて激しい争いを繰り返しました。南端の地薩摩(鹿児島)から興った鎌倉以来の名門島津氏、肥前(現在の長崎、佐賀)を基盤にした新興の龍造寺氏、そして島津同様鎌倉以来の名門で豊後(大分県)を中心とする大友家です。この物語ではこの三者の争いを主に大友家を中心に描いていきたいと思います。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる