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◆ 一章六話 揺りの根 * 元治元年 八月
へそを曲げると厄介な男
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「収拾つきそう?」
「殿が直々に動いてくださるというのです。これで収拾がつかないのであれば、新選組は長州征伐にかこつけて滅ぼしたほうがよろしいと進言します」
改めて新選組屯所へ向かいながら、今件について愁介と交わした会話はそれだけだった。
行きは小道に入れば内緒話ができたものだが、如何せん帰る頃には人の気配が増えており、会話に気を遣わざるを得なかった。いつの間にか日が少々傾き始めており、大通りの賑わいは勿論、其処ここの小宅でも、洗濯物を取り入れるためだ夕餉の支度だと塀や垣根の奥の気配が耳目をつく。
斎藤からすれば、滅多にない愁介との二人きりで、訊きたいことも話したいことも山ほどあるというのに、うかつに口を開くことができず消化不良を起こした気分だった。
「……御礼を、申し上げます」
壬生村に入った頃、伝え損ねていた言葉だけは改めて短く口にする。
「とんでもない。面倒にならずに済みそうなら、オレも良かったよ」
隣を歩いていた愁介は、それまでの沈黙を気まずそうにするでもなく、むしろ軽やかな足取りで笑みをたたえて前を向いていた。今日はともかく、これまで散々無様を見せて半月ほど前には幾度目かの「殺して欲しい」という心裏まで伝えている――そんな複雑極まりない斎藤との関係も一切気にしない様子は相変わらずで、だからこそ斎藤も愁介の考えは相変わらず何一つ読めずにいる。
「……ん? 何?」
しばらく横目に眺めていたからか、ふと愁介があごを上げた。
「いえ……沖田さんとの約束は、間に合うのかと思いまして」
誤魔化すように抑揚なく答えると、愁介は突然、悟りを開いたような笑みを浮かべた。
「いや、それが全然間に合ってないんだよね。結構な刻限すっぽかしてるんだよ、オレ」
「それは――」
さすがに申し訳なさが立った。思わず眉根を寄せて視線を流すと、愁介は額に手を当てながら深々と溜息をこぼす。
「いやぁ、もうさあ……凝華洞を出た時点で完全に遅れてて、走って間に合う状況でもなかったし、これは斎藤と一緒に行って一緒に言い訳してもらうしかないかなって」
「一緒に、と申されましても……」
「建白書は父上に渡った後だし、総司になら事情説明するくらいはいいでしょ?」
当然のように言われ、何ともはやと口をつぐむ。
途端に愁介は弾かれたように顔を上げて、斎藤にぐいと上半身を寄せた。
「えっ、何その沈黙。もしかして駄目なの? そうなると完全に予定が狂うんだけど」
上級武士らしい上品な香と椿油のにおいが鼻腔をくすぐる。が、その中に馴染みのあるようなないようなほろ苦い何かの香りも混ざっていた気がして、斎藤はつい首をかしげた。
しかし、あまりにもかすかで、すぐにわからなくなってしまう。
「ねえってば、斎藤!」
「あ……ええ。そう、ですね」
思考が遅れて追いつき、意識が引き戻される。
「まあ、沖田さんになら構いませんよ。永倉さんも承知の上で貴殿に託されましたので」
「良かった! びっくりさせないでよ、もう」
愁介は気が抜けたように胸を撫で下ろした。姿勢を正し、改めて適切な距離で隣を並び歩く。
白紙に小さな墨汁の一滴を落としたような違和感が胸に残ったが、正体を確かめる術はなかった。容保の別れ際の笑みといい、溶かしきれない澱が心に溜まるようで気味が悪い。愁介と関わると、やはり毎度のごとく訳のわからない疑問ばかりが募っていく。
「……ただ、予め断っておきますが」
「え、何?」
「沖田さんは、へそを曲げると少々厄介ですよ。私の加勢ごときでどうにかなる保証は致しかねますので、悪しからず願います」
些細な抵抗というわけでもないが、事実をありのまま告げると「んげ」と潰れた蛙のような声が愁介の喉から漏れ出てきた。
「厄介って、どれくらい……?」
「江戸にいた頃、稽古の約束を完全に忘れてすっぽかした原田さんが、毎日顔を合わせながらも半月ほど口を利いてもらえずにいたくらいですね」
愁介は声もなく肩を落として、両手で顔を覆ってしまった。
屯所は、もう目の前だった。
「殿が直々に動いてくださるというのです。これで収拾がつかないのであれば、新選組は長州征伐にかこつけて滅ぼしたほうがよろしいと進言します」
改めて新選組屯所へ向かいながら、今件について愁介と交わした会話はそれだけだった。
行きは小道に入れば内緒話ができたものだが、如何せん帰る頃には人の気配が増えており、会話に気を遣わざるを得なかった。いつの間にか日が少々傾き始めており、大通りの賑わいは勿論、其処ここの小宅でも、洗濯物を取り入れるためだ夕餉の支度だと塀や垣根の奥の気配が耳目をつく。
斎藤からすれば、滅多にない愁介との二人きりで、訊きたいことも話したいことも山ほどあるというのに、うかつに口を開くことができず消化不良を起こした気分だった。
「……御礼を、申し上げます」
壬生村に入った頃、伝え損ねていた言葉だけは改めて短く口にする。
「とんでもない。面倒にならずに済みそうなら、オレも良かったよ」
隣を歩いていた愁介は、それまでの沈黙を気まずそうにするでもなく、むしろ軽やかな足取りで笑みをたたえて前を向いていた。今日はともかく、これまで散々無様を見せて半月ほど前には幾度目かの「殺して欲しい」という心裏まで伝えている――そんな複雑極まりない斎藤との関係も一切気にしない様子は相変わらずで、だからこそ斎藤も愁介の考えは相変わらず何一つ読めずにいる。
「……ん? 何?」
しばらく横目に眺めていたからか、ふと愁介があごを上げた。
「いえ……沖田さんとの約束は、間に合うのかと思いまして」
誤魔化すように抑揚なく答えると、愁介は突然、悟りを開いたような笑みを浮かべた。
「いや、それが全然間に合ってないんだよね。結構な刻限すっぽかしてるんだよ、オレ」
「それは――」
さすがに申し訳なさが立った。思わず眉根を寄せて視線を流すと、愁介は額に手を当てながら深々と溜息をこぼす。
「いやぁ、もうさあ……凝華洞を出た時点で完全に遅れてて、走って間に合う状況でもなかったし、これは斎藤と一緒に行って一緒に言い訳してもらうしかないかなって」
「一緒に、と申されましても……」
「建白書は父上に渡った後だし、総司になら事情説明するくらいはいいでしょ?」
当然のように言われ、何ともはやと口をつぐむ。
途端に愁介は弾かれたように顔を上げて、斎藤にぐいと上半身を寄せた。
「えっ、何その沈黙。もしかして駄目なの? そうなると完全に予定が狂うんだけど」
上級武士らしい上品な香と椿油のにおいが鼻腔をくすぐる。が、その中に馴染みのあるようなないようなほろ苦い何かの香りも混ざっていた気がして、斎藤はつい首をかしげた。
しかし、あまりにもかすかで、すぐにわからなくなってしまう。
「ねえってば、斎藤!」
「あ……ええ。そう、ですね」
思考が遅れて追いつき、意識が引き戻される。
「まあ、沖田さんになら構いませんよ。永倉さんも承知の上で貴殿に託されましたので」
「良かった! びっくりさせないでよ、もう」
愁介は気が抜けたように胸を撫で下ろした。姿勢を正し、改めて適切な距離で隣を並び歩く。
白紙に小さな墨汁の一滴を落としたような違和感が胸に残ったが、正体を確かめる術はなかった。容保の別れ際の笑みといい、溶かしきれない澱が心に溜まるようで気味が悪い。愁介と関わると、やはり毎度のごとく訳のわからない疑問ばかりが募っていく。
「……ただ、予め断っておきますが」
「え、何?」
「沖田さんは、へそを曲げると少々厄介ですよ。私の加勢ごときでどうにかなる保証は致しかねますので、悪しからず願います」
些細な抵抗というわけでもないが、事実をありのまま告げると「んげ」と潰れた蛙のような声が愁介の喉から漏れ出てきた。
「厄介って、どれくらい……?」
「江戸にいた頃、稽古の約束を完全に忘れてすっぽかした原田さんが、毎日顔を合わせながらも半月ほど口を利いてもらえずにいたくらいですね」
愁介は声もなく肩を落として、両手で顔を覆ってしまった。
屯所は、もう目の前だった。
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