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◇ 二章八話 月明かりの窓 * 慶応元年 五月
涼夜の月窓
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夜になると、いっそ宿ごと流されるのではと思うほどに大振りだった雨がようやく止み、世間は静かになった。が、藤堂の寝息が聞こえるような時刻になっても斎藤は妙に目が冴え、静かに上体を起こす。明かりの漏れだした灯り障子の窓に指をかけ、引き開ける。
そうして顔を上げると、庇の向こう側に案の定、月が顔を出していた。
まだ所々厚い雲は残っており、見えるのは朧月だ。それでも、そよぐ風からは湿気が抜け、夜であることを加味しても雨が降る前より数段空気が冷たくなっている。
とはいえ、初夏の涼夜は気持ちが良く、斎藤は窓枠に腰をかけ、しばしの月見に興じた。
そのまま一人、ぼんやり夜風に当たっていると、四半刻ほど経った頃、カタ、とかすかに木枠の揺れる音がした。
聞こえたのは隣の部屋からで、誰かが窓を開けたのであろうと思うと同時、夜闇の空気に細い紫煙が漂ってくる。
「……何だ、起きてたのか」
漂ってくる支援の元に視線を動かすと、同じように隣の部屋で窓枠に腰かけながら煙管を咥えていた土方が、軽く身を乗り出すようにして斎藤を伺い見ていた。
「土方さんこそ……」
斎藤は、部屋の中で変わらない寝息を立て続けている藤堂を横目で確認してから、最低限の声量で呼びかけに答えた。
それに気付いた様子で、土方もふっと薄く口の端を上げて声を低める。
「むしろ雨が降ってたほうが寝やすかったかもな。雨音ってのは存外、嫌いじゃねぇ」
大雨はともかく、小雨の音は確かに眠気を誘うこともあり、共感ができて斎藤は「そうですね」と短く答えた。それに土方が小さく吐息を揺らして笑い、頷くようにあごを引く。
まるで何でもない雑談に、夜の空気感もあってか、心なしか肩の力が抜けるような心地がした。
「……土方さん。ここ数日、仕事以外では随分と不躾をしました。どうにも気まずかったので……面目次第もありません」
斎藤は、あまり気を張るでもなく、抜けた肩の力はそのままに小さく告げた。
そうして改めて隣室を見やれば、土方は面白そうに片眉を上げて目をたわめる。
「何だ。随分と殊勝なことを言いやがる」
「良くない態度であったことは自覚していましたので」
「藤堂に何か言われたか」
実に鋭い勘働きに、薄く苦い笑みが浮かぶ。
それだけで充分伝わったようで、ふ、と土方はまた小さく笑った。
「別に……気にしてねぇよ」
「そうおっしゃっていただけるなら、ありがたいですが」
「だが、そうだな。京に帰り着く前に改めてお前と話せたのは、良かったかもしれねぇ」
そんな呟きにゆるく首を傾けると、土方は口の中で転がした紫煙をぷかりと吐いて、手にしていた煙管の灰を室内に引っ込めた。恐らく煙草盆に灰を落としたのであろう、そこで揺蕩っていた甘苦い煙草の香りが薄らいでいった。
「帰る前に、ひとつだけ確認しておきたくてよ」
そうして顔を上げると、庇の向こう側に案の定、月が顔を出していた。
まだ所々厚い雲は残っており、見えるのは朧月だ。それでも、そよぐ風からは湿気が抜け、夜であることを加味しても雨が降る前より数段空気が冷たくなっている。
とはいえ、初夏の涼夜は気持ちが良く、斎藤は窓枠に腰をかけ、しばしの月見に興じた。
そのまま一人、ぼんやり夜風に当たっていると、四半刻ほど経った頃、カタ、とかすかに木枠の揺れる音がした。
聞こえたのは隣の部屋からで、誰かが窓を開けたのであろうと思うと同時、夜闇の空気に細い紫煙が漂ってくる。
「……何だ、起きてたのか」
漂ってくる支援の元に視線を動かすと、同じように隣の部屋で窓枠に腰かけながら煙管を咥えていた土方が、軽く身を乗り出すようにして斎藤を伺い見ていた。
「土方さんこそ……」
斎藤は、部屋の中で変わらない寝息を立て続けている藤堂を横目で確認してから、最低限の声量で呼びかけに答えた。
それに気付いた様子で、土方もふっと薄く口の端を上げて声を低める。
「むしろ雨が降ってたほうが寝やすかったかもな。雨音ってのは存外、嫌いじゃねぇ」
大雨はともかく、小雨の音は確かに眠気を誘うこともあり、共感ができて斎藤は「そうですね」と短く答えた。それに土方が小さく吐息を揺らして笑い、頷くようにあごを引く。
まるで何でもない雑談に、夜の空気感もあってか、心なしか肩の力が抜けるような心地がした。
「……土方さん。ここ数日、仕事以外では随分と不躾をしました。どうにも気まずかったので……面目次第もありません」
斎藤は、あまり気を張るでもなく、抜けた肩の力はそのままに小さく告げた。
そうして改めて隣室を見やれば、土方は面白そうに片眉を上げて目をたわめる。
「何だ。随分と殊勝なことを言いやがる」
「良くない態度であったことは自覚していましたので」
「藤堂に何か言われたか」
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「別に……気にしてねぇよ」
「そうおっしゃっていただけるなら、ありがたいですが」
「だが、そうだな。京に帰り着く前に改めてお前と話せたのは、良かったかもしれねぇ」
そんな呟きにゆるく首を傾けると、土方は口の中で転がした紫煙をぷかりと吐いて、手にしていた煙管の灰を室内に引っ込めた。恐らく煙草盆に灰を落としたのであろう、そこで揺蕩っていた甘苦い煙草の香りが薄らいでいった。
「帰る前に、ひとつだけ確認しておきたくてよ」
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