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10話 結婚生活
しおりを挟むお父様よりも年上の夫と結婚した私は、後継者の子供を産む義務もない。 だから毎日、老人の相手をしながら惨めに枯れてゆくのだろうと思っていた。
…でも現実は、私が予想していたよりもずっと過酷だった。
「こんな冷めた食事を持ってきおって!! 私を凍え死にさせる気か―――!!!」
寝室のベッドで背中にクッションをはさみ上半身をおこした夫が、大声で怒鳴りながらシチューの皿を私の顔にむけて投げた。
「…あっ!」
とっさに手を上げて自分の顔にあたらないようにしたけれど… ガツッ! と手首にあたり、お皿は床に落ちて割れてしまう。
絨毯があればお皿も割れずに済んだかもしれないが。
気に入らない食べ物を投げるクセがある夫のせいで、何度も絨毯の汚れを取りのぞくよりも、はじめから汚れないよう、絨毯を敷かなくなったのだと、使用人たちに聞いた。
「旦那様!」
ああ、最悪。 今はお腹がすいていないのね? ペコペコにお腹がすいていたら、文句を言いながらでも、食事を全部食べるのに……
これからは『お腹がすいた』と旦那様が言うまで、食事は用意しないようにしましょう。
「食事も満足に用意できないのかイヴォンヌ! この役立たずのウスノロめ!」
「…申し訳ありません、旦那様」
田舎にあるベントレー伯爵家の本邸で、女主人である私の名まえを呼べるのは、目の前にいる私の夫しかいない。
その夫が亡くなった前妻と間違えて、私を『イヴォンヌ』と呼ぶ。
お医者様にそのことをたずねたら、夫は記憶が混乱して私をおぼえられないのだと説明された。
…つまり私が後妻の『マリオン』だと、夫はいまだに知らないのだ。
「…自分の名まえを忘れてしまいそうだわ」
結婚してから半年近くすぎたけれど、誰にも自分の名まえ『マリオン』と呼ばれたことがない。
「ああ、もう嫌だ! なんて乱暴なのかしら?! ドレスまで汚れてしまったわ。 着替えないと」
幸か不幸か… 夫は耳が悪いから、少しぐらい私が罵っても聞こえない。
夫に投げられたシチューで汚れた顔や手を、ポケットから出したハンカチでぬぐうと… 床に落ちた皿の破片をひろい、食事を運ぶときに使ったトレーにのせた。
足が悪い夫は1日中ベッドにいて、少しでも気に入らないことがあると、子供のように癇癪を爆発させて、近くにいる人に八つ当たりをするのだ。
使用人がケガをしたら、また辞められてしまうから… なるべく妻の私が世話をするようにしている。
「…でも、髪をつかんで引っ張られるよりは、ドレスが汚れた方がマシね…」
結婚当初、何も知らなかった私は… 癇癪を爆発させた夫に髪をつかまれグイグイと引っぱられた。
その後、しばらく頭皮の痛みが続いて、髪が全部抜けてしまうのではないかと不安だった。
結婚したら生きながら死んだように、暮らすのだと思っていたけれど。 蓋をあけたらぜんぜん違った。
私は毎日、何がおきるか分からない、混乱した生活をおくっている。
割れた皿をのせたトレーを持って夫の寝室を出ると、ちょうど私を呼びにきた使用人と会う。
「奥様にお会いしたいと、お客様がいらっしゃいました」
「私にお客様?」
先触れが無いから、たぶん貴族ではないわね。
「はい」
「どなたかしら?」
「アドフォートン男爵様と… お名前をうかがっております」
「アドフォートン…? 聞いたことがない名前だわ」
「腰に剣を下げておられたので、騎士様だと思います」
「騎士様…? アドフォートン男爵……? やっぱりおぼえがないわ」
騎士に知りあいなんていないから。 旦那様の友人かしら?
私は使用人に割れた皿をのせたトレーを渡し、シチューで汚れたドレスを着替えるために急いで自室へもどった。
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