悪役令嬢はゲームのシナリオに貢献できない

みつき怜

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 執務室近くで警護の近衛騎士ともめている女の声に、シャルトは盛大に眉を顰めた。
 
「なにをしているんだ……」

 ここにいるはずがないアレイナ・エシャーがいた。


 
「シャルト……!この方がわたくしに意地悪をするの。イスハークに会いたいのに通してくれないのよ」
 
 シャルトは腹の中で舌打ちした。

 王太子殿下の執務室に、誰でも出入りを許していては大変ではないか。許可がない者は通さない、侵入者は排除する、騎士は職務を全うしているだけだ。
  
「エシャー伯爵令嬢、こちらへの立ち入りが許可されている者は限られている。これ以上騎士たちの職務を邪魔されては困る」
 
「だからイスハークに会わせてくれるわよね?」

 無邪気そうな顔で首をこてりと傾げると、王国ではめずらしい淡いローズピンクの髪が揺れた。どうして自分の言う通りにならないのかと、不思議そうに瞬いている。
 
 シャルトは虚脱感に襲われる。
 
「殿下は執務中誰にもお会いにならない。例え王妃殿下がいらっしゃってもだ」

 母君でさえ会わないのにお前に会うと思うのかと皮肉を言ったのだが、
 
「わたくしには会ってくれるわ」

 全く通じていない。思い込みが激しくてそれ以外の意見など受け付けないのか。

 苛立ちを感じ始めたシャルトの腕へアレイナがすっと手をかけた。しなだれかかり大胆に開けたドレスの胸元を寄せる。背が高いシャルトを下から覗き込むように、鮮やかな瞳で捉えようとする。

 色のない瞳でシャルトは見つめ返し、違和感のようなものを感じた。

 赤い唇が弧を描いたその時。

 シャルトは少し雑に、寄りかかる肢体を押し退けた。思っていたのとは違う反応に驚くアレイナに、シャルトは淡々と告げる。
 
「謹慎中のはずでは?王宮への立ち入りを止められているだろう。伯爵に連絡をしようか」

(短慮で愚かしい。考えが透けて見えるし顔にも出過ぎだ。……彼女も素直で顔に出る質だが、なにもかも違う)

 
「……わかったわ!!」
 

 相手にされず腹を立てたのか、綺麗な顔を歪ませてアレイナは踵を返した。シャルトは側に控えている近衛騎士に王宮の外へ出るまで彼女から目を離さないよう合図した。

 
 時間を無駄にして怒りたいのはこちらだと、シャルトは溜め息を吐いた。
 
 先程感じた違和感はなんだったのか……

 また思い出すだろうと執務室の扉の前に立つ。甘ったるい香水の匂いが纏わりついて、これ以上ないくらい気分が下降した。

 眼鏡をぐっと持ち上げ気持ちを切り替えると扉を開いた。





「――帰ったか?」 
 
「はい。お騒がせして申し訳ありません」
 
 イスハークは端正な顔に深い憂いを帯びていた。先程の騒ぎは聞こえていたが、会いたいと騒ぐアレイナの声を無視した。

 
 発端はあの茶会だった。
 
 押されたと騒ぐアレイナと倒れ込むハティス。違和感を感じたが身体が動かなかった。

 いつもアレイナの話を信じ、ハティスの話は聞かなかった。そしてハティスは悲痛に瞳を揺らしてイスハークを見つめる。そんな顔させたくないのになにもできないでいた。

 なぜ、と落ち着いて考えられるようになったのは最近になって。なぜアレイナが側にいる事を許していたのかわからない。あの日ハティスの今にも泣きだしそうな声を聞いて、少しずつ靄が解けていった。
 
 ダヴィトとアレイナには謹慎を言い渡した。
 
 何度もハティスに手紙を送ったが反応がない。おそらく彼女の兄が手を回しているのだろう。もどかしくて直接会いに行こうかと考えたが、会いたくないと拒絶されるのが怖くて動けない。
 
 シャルトに遣いを頼み、執務をしていても手がつかないところへ先程の騒ぎだ。
  
「シャルのせいではない。すまなかった」
 
「私の仕事ですのでお気になさらず。彼女は謹慎中であるのに出歩いていたのです。エシャー伯爵に一言申しておきます」
 
「そうしてくれ」

 これまでと違うイスハークの反応にシャルトは一瞬固まった。


『あれはまだ王都での暮らしに慣れていない』

『そう厳しくするな』


 彼女をなにかと庇っていたのに。

「よろしいのですか?」

「ああ。考えているんだ。だがなぜあんな振る舞いをしたかわからない。……いや、ハティスには会えたか?」
 
「はい、お預かりした手紙はフスレウ侯爵令嬢にお渡ししました」
 
「そうか、それでハティスはどうだった?」
 
「お元気そうでした。こちらへうかがうと返事をいただきました」
 
「ハティスは本が好きだから。私はこういう時どうしたらいいかわからない。だがよかった」
 
 感情の起伏に乏しいイスハークの安堵した様子にシャルトは胸を撫で下ろす。だがこれから告げなければならない事に鬱々とした。

  
「――なぜだ?」

 
 レヴェントに遭遇した報告をすると執務室の空気が一気に重苦しくなった。
 
「フスレウ侯爵令嬢はまだ身体が本調子ではないため、シェリノール団長が付き添うそうです」
 
「だがなぜレヴェントが?」
  
「――フスレウとシェリノールは昔から深い付き合いがあるからですよ、殿下」

 柔らかな声に二人が視線を向けると、その先に人好きのする笑みを浮かべるエディが立っていた。

「失礼、返事がなかったので。外にいる騎士をお叱りにはならないでください。僕が無理を言いました。取込み中なら出直しますが」
  
「構わない。ディライル、どうした?」
 
「イスハーク殿下におかれましては本日も見目麗しく……」
 
「よせ、用件を言え」
 
「こちらを殿下にお渡ししたかったのです」
 
 エディが執務机に置いたのは数枚の書類だった。
 
「ディライル、これは?」 
 
「妹の診断書、それと婚約解消に関する書類です。署名していただけますよね?」
 
 表情を変えないままイスハークは書類へ視線を落とし、さっと目を通した。
 
「怪我を負わせた事は申し訳ないと思っている。ハティスを見舞いたい。何度も面会を申し込んでいるがディライル、お前が会わせてくれない」
 
「当然でしょう。またかわいい妹を傷つけられたら困りますから。僕がいないと知っていて邸に訪れるとは」
 
 エディはシャルトへと視線を向けた。
 
 もう知られているのかと伝達の速さにシャルトは驚いた。だがレヴェントがあの場に駆けつけた時点でわかっていた。だから穏便に目礼して返した。

「どうしても様子を知りたかった。もう二度とハティスを傷つけたりはしない」 
  
「二度目などありません。書類は最後まで目を通してください」
 
 含みのある言い方にイスハークは書類へと再び視線を落とした。


 右肩の外傷についての詳細。
 
(酷いことをしてしまった……)

 診察した医師の署名、ヒュリヤ・ギレスン。立会人の署名、近衛騎士団団長レヴェント・シェリノール。

 眉を顰め二枚目の診断書へ視線を走らせる。そして、ある箇所に視線が縫いとめられた。何度も読み返す。
 
 
『日常ではあり得ない恐怖に直面した事による過度の心身への負担』
 
 
『それによる記憶の喪失』


 イスハークは目を瞠った。
   
「ディライル、説明をしろ。これは一体どういう事だ?」
 
「説明していただきたいのはこちらです。王宮を訪れたかわいい妹が虐げられ負傷しなにもかも忘れた。なにもかもだ。一体どこからつっこめばいいかわからない。我々は大変憤っているのですよ、殿下」
 
 エディはイスハークを見据えた。

 いつものやわらかな甘い笑みなどない。どこまでも冷淡で酷薄。これが本来の彼だとイスハークは知っている。
 
「ディライル」
 
「このような事態になり非常に残念です。診断書にある通りハティスはなにも覚えていません。故に王太子殿下の婚約者は務まりません」
 
「話を勝手に進めるな。ハティスは私の婚約者だ。記憶などなくても構わない」
 
「ちっ……」
 
 このしつこさはなんだ、とエディは舌打ちした。
 
「妹は婚約を解消すると殿下に言われたそうですね。床に座らされた上、一方的に責められてどんなに心細かったでしょう。考えるだけで胸がムカついてその場にいた奴ら全員を叩きのめしたくなるのですよ。ご署名をお願いします」
 
「私は考え直す必要があるかもしれないと言っただけだ。ハティスに謝罪をしたい。許してもらえないだろう。だがハティスと話をさせてほしい」
 
「悪いが殿下と言葉あそびをしている時間はありません。署名を」
 
「ディライル殿」

「シャルト、構わない」
 
 さすがにこれは、と咎めようとしたシャルトをイスハークは制した。
 
 取り繕うのをやめたエディは眉を顰めた。
 
 婚約解消するに当たり、速やかに終わらせるため診断書を用意して教えたくもないハティスの記憶喪失について明らかにした。原因は未だわからないが記憶を失くしたのは事実なので押し通せば同意するだろうと思っていた。なのになんだこのしつこさは。
 
 なぜかあの日以降イスハークはハティスを気にかけるようになった。面会の申し入れ、たくさんの手紙。婚約の打診があった時のようだ。

 これまで散々無視を通してきたのになぜ。

 調べる必要があるかもしれない。どんな些細な事でも突き詰めるのがエディの職務上の習慣だった。
 
 
「私は言葉が足りない。だから時間をかけてハティスにこれまでの事を謝罪していきたい」
 
「はは、ふざけた事をおっしゃる。こちらが用意したのが診断書だけだとお思いですか?」

 エディの手元にはレヴェントが用意した調書がある。

「どういう意味だ?」

「リファート伯爵家の息子がした事はフスレウ侯爵家への侮辱だ。暴行罪として訴えましょう。ああ、父親が愚かな息子を取り調べればいい。騎士団団長は辞職かな。どこまで庇えますか、殿下」
 
 さすがのエディもここまでするつもりはないが、イスハークの顔を見ていたらすらすらと嫌味が出てきた。
 
「僕は職務上面白いものを目にする機会が多い。わかりたくない事までわかってしまうのですよ。公表されて困る者が陛下の周りにどれくらいいるか興味はおありですか?一度王宮中を掃除してみたいと思っていました。僕はただの事務官にすぎないから財務長官である父へも話を通して……」

「脅しか、ディライル」

「僕が?まさか、そんな畏れ多い」

 わざとらしく驚いてみせるエディをイスハークは表情を変えず静かに見つめる。

「取引を」
 
「条件は?」

「署名しよう。だがハティスと面会する機会がほしい。今のように囲うのはやめてくれ」
 
「いいでしょう」
 
 じき婚約者になるお前がなぜ妹に面会する必要があるのか。優先すべきは婚約の解消だ、とエディは了承した。

「それから先程の件は私が王位を継ぐ際にまとめて始末するつもりでいる。それまで手元に置いておくように」

「仰せのままに」
  
「感謝する、ディライル。ではハティスに伝えてほしい。次会える日を楽しみにしている」
 
「ご丁寧にわざわざ僕が視察で王都を離れる日を指定してくださるとは。では署名をいただけますか、殿下」
 



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