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26 敵わない
しおりを挟む「ハティス、疲れてない?」
「大丈夫です」
「無理をしてはいけないよ」
「はい、レーヴェ様」
何度か繰り返されたやり取りに、ハティスは心の中で苦笑いする。
この日レヴェントとハティスはシェリノール公爵夫妻の代理として、夜会に出席していた。
公爵家と古い付き合いがある商家主催の夜会はかなり大規模なもので参加者も多く、これまで顔を出してきたものとは明らかに異なる。
だから余計に気を遣われているのかもしれない。例の休憩室での一件があってから、レヴェントは社交の場でハティスの傍を離れなくなった。
「今日のドレスもかわいい」
「ありがとうございます」
もう何度目かわからない賛辞にハティスは礼を述べる。ドレスはこの日のために公爵夫人と選んだものだ。
「かわいいな、ずっと見ていられるよ」
「私もずっと見ていられます」
正装姿のレヴェントに、ハティスは眩しそうに瞳を細めた。
「……本当に仲がいいね、声をかけるのを躊躇うよ」
颯爽と現れたのはイルディスだった。
レヴェントがハティスのため、母を通して準備した詳細をよく知るイルディスは、義兄の独占欲そのものである菫色のドレスを褒めちぎった。
「ハティス、ドレスよく似合ってるね。この色はハティスだから似合うんだよ、うん」
「ありがとうございます。イルディス様もすてきです」
端正な面差しのレヴェントとイルディスの二人が並び立つとかなり目立つ。ハティスはイルディスの正装姿を褒めた。
その場の空気が凍てつく。
「……うん、ありがとう。社交辞令として受け取っておくよ。頼むから義兄さんの前で他の男を褒めたりしないで」
「イルディス様?」
顔を引き攣らせているイルディスにハティスは首を傾げる。
「いいんだ、こっちの話だからね。義兄さん、デュネ伯爵家の彼女も来てる。気をつけてあげて。じゃあ邪魔をしては悪いから、俺はこれで失礼するよ」
またね、とイルディスは来た時と同じように、颯爽と行ってしまった。
「風のよう。ゆっくりなさったらいいのに……」
「イルディスがいなくて寂しい?」
咎めるような口調を不審に思って、イルディスの後ろ姿を追っていたハティスはレヴェントへと視線を向けた。伸ばされた手が頬に触れる。冷たい指先が熱った頬に心地よくて、ハティスは瞳を細めた。
「美しく着飾ったあなたを自慢したいのに、他の誰にも見せたくないんだ。どうしたらあなたを俺だけのものにできる……?」
いつもと同じ穏やかな声音なのに、知らない男の人と向き合っているみたいだった。
「すまない、イルディスに嫉妬した。あなたとあいつは年が近いし、いつも楽しそうに話しているから」
頬の輪郭をなぞっていた手が離れていく。
「レーヴェ様が嫉妬……」
嘘、と零したハティスにレヴェントは困ったように微笑んだ。
「ですがレーヴェ様は大人で……。私がイルディス様と話すのはあなたの義弟だからだわ」
レヴェントは気まずそうに目を伏せると、途切れ途切れ言葉を紡いだ。
「大人だけど、するんだよ。もうずっとだ……」
しばらく二人は静かにお互いを見つめ合っていた。
「おいで、ハティス。仲直りしよう」
差し出された手に、手を重ねると柔らかく包まれた。長い指がハティスの手の甲を撫でる。
「怖がらせた?」
「どうしたらいいかわからなくて、ほんの少し困っただけです」
「……幻滅して嫌いになる?」
「そんなこと絶対にあり得ません。このお話前にもしたわ」
幻滅なんてしない。いつも冷静なレヴェントが見せた意外な一面に驚かされただけ。
挨拶を交す時も、ワインを勧められる時も、ずっとレヴェントはハティスに寄り添っていた。
「少しも離れたくないので」
レヴェントのその一言で、皆が微笑ましいものを見るような雰囲気になってしまう。でもハティスはそれどころではない。
「あの、レーヴェ様……」
「どうしたの?」
「少し、近すぎませんか?」
「近すぎってなにが?」
ハティスはレヴェント以外のエスコートを受けた事がない。仮にあったとしても覚えていない。純粋な疑問を口にしたら怪訝な顔をされてしまった。
「あの、私たち離れてみませんか?」
「離れるってどうして?」
「どうしてって……他の方たちは、こんなに寄り添ってはいません」
「そう?ハティスは俺にこうされるのが嫌なんだね……」
「え……?」
「俺に触れられるのが嫌だから、離れろって話だろう?」
「いいえ、違います……っ!」
そんな顔をさせたかったわけではない。そんな悲しそうな顔しないで。ハティスは慌てて否定する。
「違うの?」
「違います。嫌ではありませんから」
「うん、ならこのままでいいね」
「はい…………え?」
どういうことか瞬いていると、腰に回された腕に力が入った。
「ハティス、もっとこちらにおいで」
そうするのが当然であるかのように、レヴェントはハティスの指に指を絡めてくる。固まっていると顎を掬われ視線が交わった。
気づけば先程よりもぴたりと身を寄せ合っているではないか。至近距離で蕩けそうな菫色の双眸に見下ろされて、ハティスは目眩がした。
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