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28 私は……
しおりを挟む肩を押された瞬間、ぱちん!と眩い光が弾けた。
誰かが叫び、辺りは騒然とする。
ハティスには遠い世界、ヴェールの向こう側で起きているようだった。
眩い光たちはきらきらと、美しい。
光の欠片たちが輝いて、瞳の中に浮かび上がってきたのは亡くなった母や父、兄、それにハティスの大好きな王子様。
忘れていた大切な記憶が、光と共にハティスを優しく包み込んだ。曖昧だったものが輪郭を持ち始めて、ゆっくりと色づいていく。
ああ、そうだった……
私の名はハティジェ・スフェリエム・フスレウ。
エクシオウル建国以来続くフスレウ侯爵家に生まれた。
父の名はデルヴィシュ・フェティ・フスレウ。亡くなった母の名はメリエム。とても美しい人だった。
フスレウ侯爵家の嫡男は代々二つの名が付けられてきた。父デルヴィシュ・フェティ、兄エフェ・ディライルのように。
女子であるハティスには関係がない。けれど母が亡くなり、気落ちした父は娘が元気で成長するようにと強い願いを込めて、ハティスにも二つ名を付けた。
ハティジェ・スフェリエムと。
表向きにはハティスとこれまでどおり名乗ってきたので、親しい人だけが知るとても大切な名前。
王宮勤めの父はなにかと忙しかった。だから7歳年上の大好きなエディ兄様がずっと親代わり。
そしてもう一人。いつも側にいて見守ってくれた王子様がいた。
「おいで、本を読んであげよう。ハティスは騎士が好きなんだね」
「はい。騎士様は王子様もお姫様も守って、強くてすてきだと思います」
「じゃあ僕は大きくなったら騎士になるよ。ハティスを守ってあげる」
「本当ですか?レヴィ様はこの絵本に出てくる王子様みたい。王子様で騎士様で、すてきです」
「ハティスは僕のこと好き?」
「はい、レヴィ様大好きです」
「ありがとう。僕も大好きだよ、ハティス。だからずっと一緒にいよう。約束だ、僕から離れたらダメだよ?」
「お約束ですね、レヴィ様とずっと一緒にいます」
優しく頭を撫でられて微笑む小さなハティスと彼。夢ではなかった。これは母を亡くした頃の記憶だ。
レヴィ様……
ずっと、ずっと大好きだった。ずっと一緒にいるのだと信じていた。
王家から婚約の打診があった。
だから忘れる事にした。この想いは誰にも知られてはいけないのだと、深く深く閉じ込めた。
レヴィ様は王家に連なるシェリノール公爵家の嫡男で名誉も地位も人望も、全て備えた大人の男性。子どもの自分には手を伸ばしても届かない方だから。
再会した王太子殿下は優しそうな方だった。本が好きだと知った殿下は王宮図書館を案内してくれた。穏やかで誠実な方。この方をお支えしようと心に決めた。
優しかった眼差しはいつからか冷たくなって、イスハーク殿下に疎まれるようになった。
理由がわからなくて、苦しい日々が続いた。
あの日お会いしたレヴィ様にずっと愛していると抱きしめられた。
私もあなたが好き、愛してる。
それでも私は王太子殿下の婚約者だった。殿下の名前を呼ぶ事さえ許されない惨めな婚約者だった。
あの頃のように、あなたが大好きだと言葉にできたら……
シェリノール公爵家に迷惑をかける事態は絶対に避けなければならない。だから言えない。レヴィ様が差し出した手を拒絶するしかなかった。
その手に縋りたかった。その手がいつも正しく導いてくれる事を知っている。
ずっと、ずっと私にはレヴィ様だけ。心を捧げたいのはレヴィ様だけ。
記憶を失くしてもレヴィ様をまた好きになった。きっと、また記憶を失くしても好きになる。
何度だって…………
永遠みたいな時間が過ぎたのか、それとも瞬きする一瞬だったのか。
そういえば押された。落ちていくのだと意識がはっきりして、衝撃と痛みに備えようとハティスは身体を硬らせた。
エディ兄様はお泣きになるだろうな、レヴィ様に心配ばかりかけてしまう、まさかまた記憶が失くなるかしらなんて暢気に考えながら。
いつまでも痛みは来ない。抱きしめられているのだと、ハティスは気がついた。
(どうしてこの方を忘れていられたの。どうして……)
後ろ向きに抱きとめられたハティスは、ゆっくりと振り向いた。階段という不安定な場所なのにレヴェントはしっかりと支えてくれていた。揺らいでいた視線がまっすぐ交わった。ハティスを見つめるレヴェントの表情は硬く、憂いの色が濃い。
レヴェントの手が確かめるようにハティスの頭、背中……と順に触れていく。その手は震えていた。
「頼むから俺の目が届かない場所に行かないで。本当に心配したんだ。痛むところはないね?」
「ごめんなさい……」
私の王子様。誰よりも優しくて誰よりも強い騎士様。手が届かない存在だと思っていた。
「ずっと、ずっと守ってくださっていたのね。あの日も私を見つけてくれたわ。今も。離れたらいけなかったのに、約束を守れなくてごめんなさい……」
「ハティス……?」
上着を握って身体を寄せた。レヴェントの体温を感じる。覚えている。小さな頃もこうやってよく纏わりついていた。
「レヴィ様……」
「……思い、出したのか?」
頭を撫でていた手が止まり、掠れた声で問いかけたレヴェントをハティスは見上げた。
「はい、レヴィ様」
身じろぎもせずハティスを見下ろすレヴェントの胸に頬を寄せる。
「思い出してもあなたを嫌いになったりしないわ、約束したでしょう?」
このまま離れたくない。しがらみがない今なら言える気がする。吸い込まれてしまいそうな菫色の瞳をのぞいてゆっくり言葉を紡いだ。
「お慕いしています、レヴィ様。ずっとずっとあなただけ」
「……俺もだ。俺もずっと愛してるよ、スフェリエム」
声を震わせるレヴェントの胸の中で目を瞑った。騒がしいくらい跳ねる心音は自分だけのものではない。強く抱きしめられて、ハティスは身を委ねた。
「スフェリエム……」
「はい。はい、レヴィ様……」
「……俺の。もう離さない。無かった事にはできないよ、嫌だと言っても受け付けない。あなたは俺のものだ」
「離さないでください。ではレヴィ様も私のものですね?嫌だと言われても受け付けませんから」
「そ、そうだ。俺もあなたのものだっ……!」
目元を赤くするレヴェントを、ハティスは愛おしげに見つめた。
*****
29話、30話とR18描写がつづくので苦手な方、読みたくない方はご注意ください。
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