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第三章 大谷匠、という男。
3-2
しおりを挟む奇妙な結婚生活が始まって四日目の朝だった。相変わらず甲斐甲斐しく世話してくる匠くんに甘やかされてしまって、今日から出勤しなければいけないことを忘れてしまうところだった。引っ越しとしてもらった休暇はおしまいで、キャリーバッグに詰めたままで忘れていた制服はくしゃくしゃだが致し方ない。足が疲れないようにと買った、愛用のローヒールのパンプスを履いている時だった。
「ねえ、亜子ちゃん。お願い」
「いやです」
捨てられた子犬の目をしたって、私は頷いてなんかやらない。
「どうしてだめなの?」
「だめに決まってる。まだ結婚したこと誰にも言っていないの。それなのに職場に挨拶とか、無理無理無理」
「でも」
「でももヘチマもありません」
「へ、ヘチマ?」
「そんなとこに食いつかなくていいの。兎に角、絶対根掘り葉掘り聞かれるし、説明したって私だってよくわかんないことになっているんだから、ややこしくなって終わり。もう、めんどうなのはだめっ」
「でも・・・、もうアポ取っちゃったよ?」
「?!」
へへっと笑う匠くんはきっと確信犯だ。なんでもかんでも、私が逃げられないように外堀から埋めてくる。戦国時代に生まれていたら、策士として名を馳せていたかもしれない。
そして現在。匠くんの運転する車の助手席で、私はむくれている。
「そんな怒らないで、亜子ちゃん」
「・・・」
「大丈夫だから、ね?」
「大丈夫じゃない」
「僕が全部話すから、ね?」
「そんなの、私の立場が無いじゃない」
「それでも僕は亜子ちゃんの旦那として、ちゃんとしたいんだ」
そんなもっともなことを言われたらぐうの音も出ない。「周りに私のこと紹介してくれないの」とか嘆く友達の話は聞いたことがあるけれど、その逆に文句を言う人なんていなかった。つまり紹介するということは、それだけ本気の証なのだ。そう考えると、匠くんに対する私の態度は失礼極まりない。沸々と沸いていた怒りが落ち着いていくのと同時に、己の心の幼さに呆れてしまう。
「ごめんね、亜子ちゃん」
「___私も、ごめん。間違ってた。怒るんじゃなくて、お礼を言うべきだったのに」
私の頭の中が見えない匠くんは、急に百八十度違うことを言い始めた私についてこれていない様子だ。でも、それでいい。意地を張らずに直ぐ謝れてよかった。
「ありがとう」
進行方向を見たまま、ぽそりと呟いた匠くんの横顔を見る。甘えたな表情はなくなっていて、初めて会った時のような彼になっていた。そうやって、貴方はどんどん大人になってしまうのかな。ちょっぴりと寂しい気持ちのまま、車は私の働いている携帯ショップに到着した。
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