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第六章 グッバイ、旦那様。
6-5
しおりを挟む「亜子ちゃん!」
慌てて駆け寄ってくる匠くんを、玄関先で他人事のように見つめる。正面から抱き締められれば、涙が溢れてしまいそうできゅっと下唇を噛んだ。
「心配してたんだよ」
嘘。そう言っても騙されないよ。だって、連絡くれなかったじゃない。
「ごめん」
「冷たくなってる。行こう。温かいもの入れるね。・・・亜子ちゃん?」
くいっと引っ張られた手首に力を入れて抗う。焦っている匠くんを無視して、靴を脱ぐ。そして俯いたまま、匠くんの背中を押す。
「え? ど、どうしたの?」
「___開けて」
主寝室の前で押すのをやめて、ドアノブを指差す。私の様子に圧倒されているのか、匠くんは何も言わずに扉を開けた。そのまま入るように背中を押して、ベッドの前で止まる。
「亜子ちゃん。男にこういう事して、意味わかってる?」
「___わかってる」
「・・・っ」
一瞬で私は天井を仰ぎ見ていた。これまでの私なら拒んでいたはずだけれど、今日誘ったのは私。ちゃんとわかってる。
鼻から短くため息を出してから、覆いかぶさる匠くんを見た。暗くて表情がよく見えない。きっとそれはお互い様だから、むしろ好都合。恥じは外に投げ捨ててきた。両手を伸ばして匠くんの首元に絡めながら上半身を持ち上げる。
「抱いて」
匠くんの耳元で、精一杯に色っぽい声で懇願した。自暴自棄とかそんなんじゃない。心から、今夜匠くんに抱いて欲しかった。ひとつになりたかった。束の間でも、私だけを見て欲しかった。
溜息が降ってくる。直後、私の後頭部は優しくベッドに下ろされて、首筋をべろりと舐められた。もっととせがむ様に首筋を差し出せば、がぶりと噛まれてしまう。噛まれたそこは痛いはずなのに、直ぐに上から吸い付かれればそれは甘い快感に変わる。
「___ぅっ。んん」
「亜子ちゃん」
耳元で名前を呼ばれて、掠れた声に熱い吐息が背筋を震わせる。匠くんの首に絡めていた手を解いて、そのまま腰へと移動させた。厚手のトレーナーの下から手を入れれば、温かく筋肉質なお腹に触れる。つつ、と指先で撫でればくすぐったそうに腰が揺れた。
愛しい。なにもかも、髪の一本も吐息でさえも。好きで好きで堪らない。
「何かあった?」
「___え?」
「顔、見せて?」
匠くんの指に顎が捕まって、隠そうとしたってビクともしない。こんな時でも神様は意地悪で、月光が窓から差し込んできて私たちを照らした。寝室の壁には、私たちの重なった影が伸びている。
「僕が泣かせた?」
「ううん。違う」
「誰が泣かせた?」
「___月が、綺麗ですね」
「・・・」
涙は重力に従って、耳の中に落ちてきて気持ち悪い。嗚咽の出ない、静かな涙が溢れていた。顔は燃えるように熱い。止まれ、止まれ、止まれ。やめて。匠くんをそんな顔にさせてしまうくらいなら、私の感情、死んでしまえ。
「明日、明日言うね」
「___約束だよ?」
「うん。約束」
それ以上匠くんは何も言わずに隣に寝転んだ。月明かりに照らされたまま、見つめ合う。お互い何も言わずに、心の声が漏れてしまわぬように。
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