劉備が勝つ三国志

みらいつりびと

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張松と法正

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 孫尚香は長江の岸に立っていた。
 大河に漂う小舟に兄の孫策が乗っていた。
「策兄さん」
 尚香が呼びかけると、孫策は妹を見て微笑んだ。
「結婚したんだな、尚香。おめでとう」
「ありがとう、兄さん」
「劉備という男、面白いやつだと思う。ただちょっとのろまなところがあるな。おまえがしっかりと支えてやれ」
 そう言うと、孫策は舟を漕ぎ、どこかへ行ってしまった。
「兄さん、待って」
 尚香は叫んだが、もう兄も小舟も見えなかった。
 長江の水面が見えるばかりだった。
 そこで目が覚めた。
 尚香は涙を流していた。
 彼女は公安城の寝室にいて、隣には夫の劉備が眠っていた。
 
 起き出して、尚香はむしょうになにかをしなければならないと思った。
 趙雲に会いに行き、「弟子にしてください」と頼み込んだ。
「弟子?」
「はい。わたしはもっと強くなりたいのです。武術を教えてください」
「あなたはわが主の奥方様です。内助の功をしていればよいのではないのですか。武術など必要ありません」
「わたしは英雄孫策の妹です!」
 尚香の言葉には力が籠っていて、趙雲の目を見張らせた。
「夫の覇業を助けたいのです。ふつうの妻でいる気はありません」
 趙雲は尚香の目をじっと見つめた。このお嬢さんは本気らしい、と思った。
「あなたは私から見ればひ弱だ。私の鍛錬にはついて来られまい。毎日三時間、公安城内を走りなさい。そして二時間、剣の素振りだけをしなさい。体力がついたら、武術を教えてあげましょう」と趙雲は言った。

 その日から、尚香は走り始めた。
 毎日四時間走り、三時間の素振りをした。
 それが一か月間、一日も欠かさずつづいた。
 趙雲は、尚香の体力よりも根性を認めて、弟子にした。
 師匠は弟子を走らせつづけた。
 素振りが、趙雲への打ち込みに変わった。
 木刀を持つ師匠に向かって、ひたすら木刀を振る。
 趙雲はただ木刀を持っているだけで、反撃はしなかった。
 さらに一か月後、「ではこれで打ち合ってみようか」と師匠が言って、互いに棒を持って試合をした。
 そのとき尚香は、自分の実力が趙雲に近づいていることを実感した。

 劉備は馬良と馬謖の兄弟と昼飯を食べていた。
 馬良が兄で、馬謖が弟。兄はゆったりと落ち着いた性格で、一緒にいると安心感があった。弟は才気煥発という感じで、やる気に満ちあふれている。
 劉備はこの兄弟を気に入っていた。
「尚香が子龍の弟子になったのだ。どうやら才能があるらしく、子龍が本気になって教えている」
 焼き飯を食べながら、劉備が言った。
「奥方様は活発な方なのですね」
 馬良が答えた。彼はゆったりと箸を動かして飯を食べている。
「活発すぎて困るほどだ。元気があり余っておる」
 そう劉備は言ったが、別段困っているふうではない。むしろ楽しんでいるように見えた。
「殿、尚香様とふたりで天下を取ってください」と馬謖は言った。
 彼はもう焼き飯を食べ終えていた。食べるのが早いのだ。
「諸葛亮様は天下三分の計を殿に伝えました。しかし、それは通過点でしかありません。殿は曹操を倒し、天下を統一なさってください」
「気の早いことを言うな。おれはまだ荊州の主でしかない」
 劉備も焼き飯を食べ終えた。従者に三人分のお茶を持ってくるよう命じた。

 211年春、益州牧劉璋の使者、張松と法正が公安城を訪れた。
 劉備と孔明、龐統がふたりに会った。
「益州には宗教独立国のような郡があるのです。漢中郡です。五斗米道の指導者、張魯がその地を支配していて、劉璋様と対立しています」と張松が言った。
「うん。そういう情勢であることは、おれも知っているよ」と劉備は答えた。
「実は、劉備様にご助力をお願いしたいとわが主は考えているのです。劉備様、漢中郡へ行き、張魯を討っていただけませんか」
 劉備は首をかしげた。
「劉璋殿が張魯を倒せばよいではないか。できないことはなかろう」
「残念ながら、主は軍事があまり得意ではないのです」
「さようか」
 劉備はあまり乗り気ではなさそうに言った。
「正直に言うと、他人の領地へ行って戦争をするのは気が進まない」
「劉備様」
 張松が身を乗り出した。
「いまの話は、表向きのことに過ぎません。私はもっと重大なことを伝えたいと考えて、劉備様に会いに来たのです」
「なにを伝えたいのだ?」
 
 張松はしばらく黙っていた。法正と顔を見合わせ、険しい表情になって語り始めた。
「劉璋様は凡庸な領主です。このままではいずれ曹操に侵略されて、益州は併呑されてしまうでしょう。劉璋様にかわって、劉備様に益州を守ってもらいたいのです」
 劉備は張松と法正を睨んだ。
 ふたりの使者は、決死の覚悟で見つめ返した。劉備に益州を取らせようと思っている。劉璋に対する裏切り行為である。
「それでは、曹操のかわりにおれが侵略者になるだけではないか」
「この国は劉氏のものです。曹操は献帝陛下をないがしろにしています。これを正すことができるのは、劉備様だけだと思っています」
 張松は言葉に力を込めた。
 彼は本気で劉備に益州を取らせたいと思っていたが、動機は嘘である。
 曹操のもとへ使者として赴いたことがあり、そのときに軽くあしらわれて、恨みに思っていた。
 劉備を利用して、曹操に仕返しをしたいというのが、張松の隠している本心であった。

「どうか益州とこの国を救ってください」
 法正が低い声で言った。
 彼には憂国の心があり、漢王朝を救いたいと本気で思っていた。この点、張松とは裏切りの動機がちがう。
「少し考える時間をくれ」と劉備は答えた。

 張松と法正が退室した後、劉備は孔明と龐統に語りかけた。
「おれはどうするべきだ?」
「好機です。彼らの話に乗り、益州を取るべきです」と龐統は即答した。
「益州を有して、ようやく殿は曹操と戦えるようになります。劉璋様には去ってもらうしかありません」と孔明も言った。
「わかった。益州へ出陣する。準備を進めよ」 
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