Vを知らないアラサー男、崖っぷちV事務所に拉致られる。

けろり。

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第15話 遅れてきたバズと、躍進の予感

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 激動のアスクロ配信からはや数日が過ぎた。

 事務所の空気は特に変わらず、平穏な日常を取り戻している。例の配信以降、徐々に登録者数や同時接続数は上向きに伸びてきたが、まだ事務所の経営を劇的に好転させるほどの爆発には至っていない。

「須藤さん須藤さん、見てください! あれから三百人も登録者が増えたんですよー!」

 次の配信枠の準備をしていた黒木が嬉しそうに自分のチャンネルのアナリティクス画面を見せてくる。約二週間のマイクラコラボでの増加数が二百人弱だった事を考えると、かなりの数の新規層を取り込めたと言っても良い。

「…ええ。素晴らしい成果です」

 俺は素直にそう返す。だが、内心は少し焦りを感じていた。

(…正直、もう少し話題になると思ってたけど、やはり俺自身の知名度が低すぎるか…)

 その日の午後。黒木が雑談配信を始めた。
 俺は事務所の隅で次の配信に使うネタやサムネイルを思案しながら、彼女の配信のコメント欄を監視する。軽快なトークとファンとの掛け合いが自然と頬を緩ませる、そんないつも通りの平和な光景。

 ――異変は、唐突に訪れた。

【やあやあやあ】
【噂のVtuber、見に来ました】
【初見です】
【あれ、アスクロ配信やってないじゃん】
【動画から来ました!声めっちゃ可愛い!】

 配信開始から十数分後。コメント欄に普段とは毛色の違うコメントが流れ始める。それだけではなく、同時接続者数も普段の数倍の速度で増え始めた。

「え? え? なんの噂ですかー? 動画って、なんの動画でしょう?」

 恒例となっていた推しキャラトークを一時中断し、黒木は困惑の声を上げる。不穏な空気を感じ取った俺が、スマホを開いて情報収集をしようとした、その時。

 バタンッ!!!
 事務所のドアが、文字通り破壊されんばかりの勢いで開かれた。

「ふにゃあっ!?」

 突然の轟音に、黒木が素っ頓狂な声を上げる。配信のコメント欄も【今の音なに!?】【凸か?】【事件の香り】と、一瞬で騒然となった。

「す、すみません、皆さん! ちょっと、お外の音が大きかったかなー? 気にしないでくださいねー!」

 俺が振り返ると同時に、黒木が完璧なアドリブで視聴者の動揺を収めようとする。そのプロ根性に内心で舌を巻きながら、俺は血相を変えて立っている社長の元へと、静かに駆け寄った。

「…しゃ…社長、声が大きいですって。今は黒木さんが配信で…」
「分かっとる! だが、それどころじゃないんだ! 須藤くん、これを見ろ!」

 社長は、興奮を抑えきれないといった様子で、俺にだけ見えるように、スマホの画面を突きつけてきた。
 その間も背後では「いやー、最近うちの事務所の周り、工事が多くてー」などと黒木が場を繋いでいるのが聞こえる。

 俺は、彼女のプロとしての技量に感謝しながら、社長が突きつけた画面に目を落とした。そこに映っていたのは――

『【速報】深淵の神獣、まさかの"7ターン"で撃破した猛者現る。歴史を動かしたのは無名の新人Vtuber二人!?』

 カイザーではなく、界隈で最も人気のある『アスクロ攻略チャンネル』の最新動画だった。内容はシルヴィアという不遇扱いだったSSRキャラの特異性を活かした運用に触れつつ、細かなフォント装飾や演出、分かりやすい解説で口下手な俺の思考までも丁寧に書き起こしてくれていた。

(…さすが最大手チャンネル…、短期間でここまでクオリティの高い解説動画が作れるのか、すげぇな…)

 俺はつい配信者という立場を忘れ、動画作成者クリエイターだった頃の自分を思い返しながら、動画に見入っていた。

 そして動画の最後には「個人的にはこの黒木カナタさんの声、好きですね。応援してます」という投稿主の自我の籠もったメッセージまで添えられていた。

「……なるほど」

 これが着火点か。合点がいった。

 俺は礼を言おうとゆっくりと顔を上げた。が、社長はスマホを握りしめたまま、立ち尽くしている。その顔は驚愕とも、あるいは畏怖ともつかない複雑な表情に歪んでいた。

「…たった数時間で再生数10万だ、信じられん……。まさかと思うが、その…炎上したのかね、須藤くん?」
「い、いえっ!? 決してそのようなことは…」

 まるで過去のトラウマでも蘇ったかのように、軽いパニックを引き起こしている社長。実際動画のコメント欄にはやれ売名だのやらせだの、大手にありがちな質の悪いコメントが並んでいるので無理もない。

 俺は説明のため、Twitterを開いてみせる。

「…ほら、見てください。下の方ですけどトレンドになってますよ…まぁ、中には変な呟きもありますけど…えっと、これとかどうです?」
「お、おぉ…どれどれ…『黒木カナタ、声可愛い』、『カナタん推せる』、『シルヴィア愛を感じた』、『Sudoとかいう男Vの喋りが下手すぎて邪魔』…」
「…最後のは口に出さないでいいです…社長…」

 俺の小さなツッコミも聞こえていないのか、社長は「ふむ、ふむ…」と唸りながら、必死にスマホの画面をスクロールし続けている。

 やがて、これが事務所を破滅させるような炎上ではなく、肯定的な『バズ』であることをようやく理解した社長の口から出た言葉は――

「……ど、どうすればいいんだ、須藤くん」

 完全に思考が停止してしまい、助けを求める声だった。
 こればかりは俺も社長に同情する。

 この一年半常に赤字と戦いつつ、ただ耐え忍ぶことだけを考えてきたこの弱小事務所には、突然訪れた巨大な追い風にどう帆を張ればいいのか、そのノウハウが全くないのだ。

「こ、広告か? いや、しかし予算が…。グッズか? 今から発注しても間に合わん…。そもそも、黒木くんの次の配信は、どうすれば…!」
「お、落ち着いてください、社長。まずは…現状の分析と、情報の整理が先決です。今後の活動についてはまた日を改めて、きちんと会議を開きましょう」

 俺が必死になだめていると、プロとしての務めを終えた黒木がヘッドホンを外して、こちらに駆け寄ってきた。その顔は興奮と驚愕が入り混じり、頬には赤みまで差している。

「しゃ、社長! 須藤さん! 今、一体、何が起こってるんですか!? 登録者さんが、すごいことに…!」

 俺は何も言わず、社長が見ていたスマホの画面を、黒木の方へと向けた。

 そこに表示されていたチャンネル名と動画のタイトルを見て、彼女の目が信じられないものを見たかのように、大きく見開かれる。

「――え、うそ…!? 『アスクロ攻略チャンネル』に、私たちの配信が…!? えっ、えっ、なんで!? すごい! すごいですよ、須藤さん!!!」

 それは配信上で見る黒木ではない、演技なしの素の人格だった。
 目をぱちくりとさせ、心の底から湧き上がる喜びを声に乗せた、純粋な反応。

「…どうやらこの前のアスクロ配信を見たリスナーが、掲示板かどこかへ情報共有したみたいです。動画内では俺の話以外にも黒木さんの…その、声とか褒められてるようでして…それが新規登録者数の増加に繋がったんだと…えぇと、つまり…」

 黒木の真剣な眼差しに見入られて、中々上手い説明が思いつかない俺は、たった一つの揺るぎない事実だけを告げることにした。

「…あなたの声が、世界に見つかったんです。黒木さん」
「へ…?」

 間の抜けた声を漏らし、暫し沈黙する黒木。
 その後、ゆっくりと自分の身に何が起きたのかを理解したのだろう。

 わなわなと震える手で、自身の喉元にそっと触れた。
 まるで、そこに宿る『声』という宝物の存在を今、初めて確かめるかのように。

「…うそ」

 透き通った氷のように清らかな黒木の声。
 俺と黒木の間に流れるシリアスな空気は、突如として中年男性の覚醒によってぶち壊された。

「――そうだったあああああああああ!!!」

 事務所中に響き渡る、魂の絶叫。
 同時に社長の顔からは経営者としての苦悩や未来への不安が消え去っている。

 そこにあるのは、自分が信じ続けた才能が世界に見つかったことを心の底から喜ぶ、一人の「夢追い人」の姿だった。

「会議だ!? 分析だ!? 馬鹿野郎ッ! そんなものは後だ! 後!!」

 社長は、さっきまでの動揺が嘘のように、子供のようにはしゃぎ回り始める。

「今は祝うんだ! 俺たちの…いや、君たちの偉業をだ! 祝杯だ! 祝杯をあげるぞ、須藤くん、黒木くん! 今日はコンビニの一番高いビールと、一番高いアイスを買ってきてやるからな!!!」
「え! いいんですかっ! いつもは我慢しているハーゲンなダッツさんを買っちゃいますよ!?」
「おう、好きなだけ買ってこい! なんだったら、全種類買ってきてもいいぞ!!」
「にゃはは! やったー!」

 あまりにも脳天気で、しかし心の底からの喜びが伝わってくる言葉に、俺は知らず小さな笑みをこぼした。

 鳴りやまない登録通知の音がまるで祝福の鐘のように、いつまでも事務所に響き渡っていた。

 ――その日を境に、俺たちの世界は変わった。

 あの日、『アスクロ攻略チャンネル』の動画が投稿されてから、わずか三日間。
 黒木カナタのチャンネル登録者数は、3,300人から一気に9,000人近くまで跳ね上がった。そして俺のSudoチャンネルも、500人から2,000人へと成長した。

 だが、俺たち三人はまだ知らなかった。
 この数字が弱小事務所Starlight-VERSEの、そしてVtuber業界全体の勢力図を塗り替える、壮大な逆襲劇のほんの始まりの合図に過ぎないことを。
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