魔法博士ヒオリは青い瞳と夢を見る

天藤けいじ

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魔法アロマは夢の香りを連れて来たのか?02

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 劇場の壁際の方へ歩み寄り、何処か抜け出せるような道は無いかとあたりを見回す。
 すると最前列の座席が並んだ左手側に、目立たないが小さな扉があることに気が付いた。

「……出入口、かしら?」

 首を傾げて扉に近づき観察する。重い扉がついた押戸式のドアであった。
 大きさからして、一般客が出入りする扉と言うよりも非常口かスタッフ専用口に近いのかもしれない。

 恐る恐る引手に手を伸ばしぐっと力を込めて引くと、意外なほどすんなりと扉は開き、隙間からは冷たい空気が流れてくる。
 そこから顔だけ覗かせてきょろりと見渡すと、どうやら廊下に続いているらしいことがわかった。

 ほんの僅かな間逡巡したが、ヒオリはやがて音をたてないように静かに退室し、後ろ手に扉を閉める。
 どうやら劇場は突き当りに位置していたらしく、すぐ目の前には人の気配もない寒く暗い廊下が真っ直ぐに伸びていた。

 映画館の廊下にも似て足元には赤いカーペットが敷き詰められていたが、他の部屋へ続く扉は見当たらない。
 警戒心と僅かな恐怖が背筋を撫でたが、意を決してヒオリは廊下を進みはじめた。

(……これは本当に夢なのかな?やっぱり何かの魔法が関わっているんだろうけど)

 しかし昼間ニールと話したように、夢を見せる魔法などヒオリは今まで出会ったことがない。
 だったら今己がいるこの場所は何なのか?

 ここまで現実味のある空間を作るなど、既に失われて久しい『精神を操作する魔法』に等しいのではなかろうか?

(何が私をこの夢に導いた?魔法をかけた『原因』は何なの?リリアン女史?クロード所長?ヴェロニカ女史?……それとも、やっぱりニールさん?)

 頭の中で考察を重ねるが、所詮は証拠も確証もないただの空想にしか過ぎない。
 もう少し手掛かりが欲しい。苛立ちを紛れさせるように廊下を速足で歩いていると───ヒオリの目の前に扉が現れた。

 俯きがちだった顔をはっと前に向けて、扉を凝視する。
 いつの間にか廊下の端まで歩いてきてしまったらしい。他に扉や曲がり角が無かったことを考えると、先ほどの劇場とここ以外に部屋が無いのか?

(……奇妙な作りの建物だったわね)

 劇場からここまで長い廊下しかなく、外に出られそうな扉や別の場所に繋がる廊下も無い。
 もしかしたら先ほどいた場所やこの扉の向こうに別の出入り口もあるのかもしれないが、部屋を通らないといけない仕組みなのは面倒だ。

 こういう不合理な所は夢らしいんだな。と呆れてヒオリが苦笑した瞬間、にわかに鼓膜に微かな声が届く。
 耳を澄ますと、どうやら目の前の扉の向こうから聞こえてきていることがわかった。

 思わず息を呑み、気配を消しながら、扉の前まで歩み寄り見上げる。
 取り付けられたプレートに、『STAFF ONLY』という文字が記されていることがわかった。
 
(スタッフルームかしら。中に劇場関係者がいるの?)

 耳を澄ますと聞こえてくるのは、鈴を転がすように小さく愛らしい声だった。
 女性の声、しかも聞き覚えのあるそれに、ヒオリは思わず眉間にしわを寄せる。

(リリアン女史?いいえ、だけど彼女は劇場に……)

 不思議に思ったが、しかしここは夢。
 建物の構造と同じように、整合性を求めるのがおかしいのかもしれない。
 無理矢理そう納得しながら、ヒオリは扉に耳を当ててリリアンらしき女性の声を盗み聞くことにした。

「ヴェロニカさん。貴女はいじわるで嫉妬深くて目的のためなら手段をえらばない悪い人。貴女は私をいじめるでしょう?卑怯な手で、卑劣な手で」

 独り言か?少女のように幼気な声はしかし、妙に不穏な単語を紡いでいる。
 しかもその声のトーンはやけに一定で感情が無く、本当に扉の向こうにあの愛らしい女性博士がいるのかと不安になった。

 どんどん眉間に深いしわが刻まれていくヒオリを置いて、リリアンはさらに話し続ける。

「それから新しく来た綺麗な人、ニールさん。貴方も劇に出て素直になってもらうわ。人形を作ってあげるから……」

 ニール?それに劇?人形とは何だ?
 ヒオリはそっとドアノブに手を伸ばすと、音をたてないように回す。
 ゆっくり扉を開き出来た隙間から中を覗くと、部屋には誰かが佇んでいた。

 その影はしかし、リリアンではない。あの女性博士よりも背が高く堂々とした佇まいだ。

 一体誰なのか見極めようとした───その瞬間、景色がどろりと溶けた。

「駄目ですよ、ヒオリ殿」

 えっと思った刹那、静かで落ち着いた海のような声が耳たぶをくすぐる。
 どろどろとチョコレートのように溶ける扉から視線を背後に転じ、慌てて声の主を探した。

 その時気付いたが、溶けているのは扉だけでなくヒオリがいる廊下全体だった。
 奇妙に歪んだ世界をきょろきょろと見回すが、目的の姿は見当たらない。ただマリンノートの香水の匂いだけが、鼻孔に届いている。

「ニールさん!どこにいるの!?」
「あとは私に任せてください。貴女をお手伝いすると言ったでしょう」
「あなた!やっぱり何か知って……!!」

 叫ぶ。が、届かない。
 どろりと溶ける世界とともに、ヒオリの意識は闇の中へと落ちて行った。
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