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魔法香水は秘密の香り08
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そのまま軽い報告をハオラン室長に終えた後、ヒオリは一人カフェテリアで茶を飲んでいた。
色々な情報を詰め込んだせいか、少々頭がぼんやりする。
ぐったりとテーブルにもたれかかるようなポーズをしばらく取っていると、にわかに背後から己を呼ぶ声があった。
「お疲れ様でした、ヒオリ殿」
「……うん」
肩越しに振り返るとニールが苦笑しながらこちらへ歩み寄ってくるところであった。
ヒオリが気だるく手を振って答えると、彼は今一度「お疲れ様です」と労って前の席に腰を掛ける。
眉目秀麗なその顔にも色濃く疲れが浮かんでおり、リリアン女史への対応に彼がどれだけ精神を摩耗させたかがわかった。
席に深く腰掛けてニールはゆっくりとため息をつき、苦く笑ったままヒオリに問いかける。
「明日からの調査はどうなりそうです?ハオラン室長は何かおっしゃていましたか?」
「ええ。室長が手の空いた人間を調査員として回してくれると言っていたから、念のため他の温室利用者の聞き取りと、リリアン女史の実家の調査でしょうね。まあその前に全員で集まってミーティングかしら」
本格的に植物が持ち込まれた経路の捜査が始まる。
ヴィクトル前所長の態度から、失態を隠匿したいという感情は読み取れなかったので、大々的なチームが組まれるかもしれない。
「それにメルも明日にはあの植物の分析が終わりそうだと言っていたわ。それで何かわかることもあるかもしれないし」
万が一を考え本格的な分析をしているが、メルと室長は件の草をただの雑草だと考えているだろう。
しかしヒオリは不安を覚えている。夢の中で嗅いだ香り、そしてリリアン女史から香った匂いが、あの植物と一致しているためだった。
分析の結果が更なる波乱をもたらさなければいいが、と考えながら、ヒオリはぽつりと呟く。
「……始末書一枚で片付けばいいわね」
「心配ですか?」
「杞憂かもしれないけれど」
唸るように言ってニールを見ると、彼はテーブルの向こう側で青い瞳を心配そうに揺らしている。
彼もまた植物の正体に不安を抱いているのだろうかと思ったが、どうやらそれだけでは無かったようだ。
青年はヒオリを見つめたまま柔らかい微笑の下に疲れを押し隠し、深い青の瞳を慈愛深く細めて穏やかに告げる。
「貴女が気を揉む必要はありませんよ。この研究所には優秀な博士たちがいますからね。きっと悪いことにはなりません」
「……慰めてくれるの?」
「言葉一つでヒオリ殿のお心が癒されるとは思いませんが」
そう言ってニールは首を横に振るが、案外悪くない気持ちになっている自分にヒオリは気が付く。
彼の言葉から感じるのは純粋な心配と好意であり、この年齢になってそれを向けられるのは久しぶりであった。
(……いけないわね。ヴェロニカ女史の言う通り、個人的な理由で疑問点を無視しかねないわ)
心の端で自分を戒めながら、それでもニールに笑いかけ「ありがとう」と礼を言う。
テーブルの向こうで彼は昼時に見た、花がほころぶかのような笑顔を見せると頷いた。
「それとヒオリ殿、約束のものが用意できています。手首を出してくださいますか?」
「約束の……?ああ」
首を傾げかけたが昼間の会話を思い出し、僅かに微笑んで白衣の裾をめくった。
ニールはスーツの内ポケットをまさぐると、小さなアトマイザーを取り出す。
シンプルな作りのそれには、ほのかな薔薇色に色づいた液体が半分ほど入っていた。
「それが貴方の魔法パフュームなのね。ふうん、見た目は普通の香水だわ」
「奇抜さを追い求めるのは好きではないのですよ。ではヒオリ殿、少々失礼いたします」
小さく断りを入れて、男はヒオリの腕をそっと取る。
そのまま静かにアトマイザーを近づけると、手首の内側にほんの少しだけ吹きかけた。
霧状になったパフュームが手首に付着した……と感じた途端に、ふわりとかぐわしい香りがあたりに漂る。
ヒオリはぱちくりと目を瞬かせ、甘い香りのする己の手首を鼻の近くまで持ち上げた。
「へえ。……すごい。これは、本当にいい香りだわ」
「お気に召しましたか?」
「ええ、すごくいい匂い。うん、これはずっと嗅いでいたくなる……」
あまり長い間嗅ぐものではないとわかっているが、ヒオリは夢中になって鼻をひくつかせる。
子供のようにはしゃぐ己をしかし、目の前のニールは咎めることなく目を細めて見守っていた。
「ううん、これはダマスカスローズとホワイトムスクにサンダルウッド?ジャスミンも入っているのかしら」
「流石ヒオリ殿、良い鼻をお持ちですね」
「と言うことはあたりね。この調合いいなぁ。すごく好きだわ」
告げるとニールは「良かった」と呟いて、顔をさらにほころばせる。
そしてまるで恋文をしたためた学生のように、手に持っていたアトマイザーをそっとヒオリへと差し出した。
「よろしければ差し上げます。アロマ専門の貴女には不要かもしれませんが」
「いえ、そんなことは無いけれど……。でも、いいの?」
「もちろん」
邪気なく頷くニールにヒオリは僅かな罪悪感が疼いたが、やがて苦笑して「ありがとう」と受け取った。
彼の笑顔を思わせるほのかな薔薇の香りは、いまだに己を惑わしていた。
色々な情報を詰め込んだせいか、少々頭がぼんやりする。
ぐったりとテーブルにもたれかかるようなポーズをしばらく取っていると、にわかに背後から己を呼ぶ声があった。
「お疲れ様でした、ヒオリ殿」
「……うん」
肩越しに振り返るとニールが苦笑しながらこちらへ歩み寄ってくるところであった。
ヒオリが気だるく手を振って答えると、彼は今一度「お疲れ様です」と労って前の席に腰を掛ける。
眉目秀麗なその顔にも色濃く疲れが浮かんでおり、リリアン女史への対応に彼がどれだけ精神を摩耗させたかがわかった。
席に深く腰掛けてニールはゆっくりとため息をつき、苦く笑ったままヒオリに問いかける。
「明日からの調査はどうなりそうです?ハオラン室長は何かおっしゃていましたか?」
「ええ。室長が手の空いた人間を調査員として回してくれると言っていたから、念のため他の温室利用者の聞き取りと、リリアン女史の実家の調査でしょうね。まあその前に全員で集まってミーティングかしら」
本格的に植物が持ち込まれた経路の捜査が始まる。
ヴィクトル前所長の態度から、失態を隠匿したいという感情は読み取れなかったので、大々的なチームが組まれるかもしれない。
「それにメルも明日にはあの植物の分析が終わりそうだと言っていたわ。それで何かわかることもあるかもしれないし」
万が一を考え本格的な分析をしているが、メルと室長は件の草をただの雑草だと考えているだろう。
しかしヒオリは不安を覚えている。夢の中で嗅いだ香り、そしてリリアン女史から香った匂いが、あの植物と一致しているためだった。
分析の結果が更なる波乱をもたらさなければいいが、と考えながら、ヒオリはぽつりと呟く。
「……始末書一枚で片付けばいいわね」
「心配ですか?」
「杞憂かもしれないけれど」
唸るように言ってニールを見ると、彼はテーブルの向こう側で青い瞳を心配そうに揺らしている。
彼もまた植物の正体に不安を抱いているのだろうかと思ったが、どうやらそれだけでは無かったようだ。
青年はヒオリを見つめたまま柔らかい微笑の下に疲れを押し隠し、深い青の瞳を慈愛深く細めて穏やかに告げる。
「貴女が気を揉む必要はありませんよ。この研究所には優秀な博士たちがいますからね。きっと悪いことにはなりません」
「……慰めてくれるの?」
「言葉一つでヒオリ殿のお心が癒されるとは思いませんが」
そう言ってニールは首を横に振るが、案外悪くない気持ちになっている自分にヒオリは気が付く。
彼の言葉から感じるのは純粋な心配と好意であり、この年齢になってそれを向けられるのは久しぶりであった。
(……いけないわね。ヴェロニカ女史の言う通り、個人的な理由で疑問点を無視しかねないわ)
心の端で自分を戒めながら、それでもニールに笑いかけ「ありがとう」と礼を言う。
テーブルの向こうで彼は昼時に見た、花がほころぶかのような笑顔を見せると頷いた。
「それとヒオリ殿、約束のものが用意できています。手首を出してくださいますか?」
「約束の……?ああ」
首を傾げかけたが昼間の会話を思い出し、僅かに微笑んで白衣の裾をめくった。
ニールはスーツの内ポケットをまさぐると、小さなアトマイザーを取り出す。
シンプルな作りのそれには、ほのかな薔薇色に色づいた液体が半分ほど入っていた。
「それが貴方の魔法パフュームなのね。ふうん、見た目は普通の香水だわ」
「奇抜さを追い求めるのは好きではないのですよ。ではヒオリ殿、少々失礼いたします」
小さく断りを入れて、男はヒオリの腕をそっと取る。
そのまま静かにアトマイザーを近づけると、手首の内側にほんの少しだけ吹きかけた。
霧状になったパフュームが手首に付着した……と感じた途端に、ふわりとかぐわしい香りがあたりに漂る。
ヒオリはぱちくりと目を瞬かせ、甘い香りのする己の手首を鼻の近くまで持ち上げた。
「へえ。……すごい。これは、本当にいい香りだわ」
「お気に召しましたか?」
「ええ、すごくいい匂い。うん、これはずっと嗅いでいたくなる……」
あまり長い間嗅ぐものではないとわかっているが、ヒオリは夢中になって鼻をひくつかせる。
子供のようにはしゃぐ己をしかし、目の前のニールは咎めることなく目を細めて見守っていた。
「ううん、これはダマスカスローズとホワイトムスクにサンダルウッド?ジャスミンも入っているのかしら」
「流石ヒオリ殿、良い鼻をお持ちですね」
「と言うことはあたりね。この調合いいなぁ。すごく好きだわ」
告げるとニールは「良かった」と呟いて、顔をさらにほころばせる。
そしてまるで恋文をしたためた学生のように、手に持っていたアトマイザーをそっとヒオリへと差し出した。
「よろしければ差し上げます。アロマ専門の貴女には不要かもしれませんが」
「いえ、そんなことは無いけれど……。でも、いいの?」
「もちろん」
邪気なく頷くニールにヒオリは僅かな罪悪感が疼いたが、やがて苦笑して「ありがとう」と受け取った。
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