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魔法香水は秘密の香り11
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何となく不気味なものは残り眠れそうになかったが、残念ながら明日も仕事である。
例の植物はハンカチに包んで机の中にしまい、ヒオリは仕方なくベッドの中に入った。
悶々と考え事をしていたが、目を閉じてアロマの香りを嗅いでいると、やがて眠気はヒオリを夢の世界へと誘う。
だが不思議なことに、その日見た夢はリリアン女史がいるあの不気味な劇場が舞台では無かった。
夢の世界にいる、とヒオリが実感したとき、あの不気味な香りは漂って来なかったのだ。
「……花が好きなの?」
「うん。花の香りも、草木の香りも好き。ずっと嗅いでいたいと思うくらい」
「そうなんだ。花の香り、僕も嗅いでいい?」
暖かな夢だった。
その暖かさをヒオリはすぐ、うららかに太陽が照っているからだと察する。
春と夏の境目の、温暖な気候。草花が咲き乱れ、生命が活動する、様々な生ある香りに満ち溢れた時期。
草花の香りの深い、太陽が照る場所……故郷でよく足を運んだ小さな植物園にヒオリはいるのだ。そう思ったのは久々に『ヴォタニコス』の名前を見たからだろうか。
薄っすらと瞼を開けると、そこはやはり懐かしの植物園だった。
目の前には美しい薔薇の花があり、ちょうど満開の季節なんだなと考えながらヒオリは会話を続けた。
「いいよ。ここの植物は私のものじゃないけど。ほら、これが薔薇。薔薇の香り」
「へえ。薔薇、いい匂いだね」
「薔薇によっても全然香りが違うよ。こっちはもっと強い香りなんだ」
先ほどから己と会話をしているのは、どうやら年の近い子供のようだった。
じっくりと顔をみようとするが、どうもぼんやりとしていて視点が定まらず困ってしまう。
顔立ちや背格好どころか、性別すらもわからず、この子をどう呼んだらいいのかわからなかった。
(こんな友達、いたかな……?)
しばらく考えていたが、夢にはよくあることだと諦めて、ヒオリは子供の手を引いて植物園を歩き出す。
子供は少し驚いていたようだが、すぐに楽しそうに己の歩調に合わせ、先ほどよりもやや弾んだ声で訊ねて来た。
「いつも植物園に来てるの?君は花が好きなの?」
「うん。花っていうか、香りが好き。いつか花の香りを研究する魔法博士になりたいなあ」
「花の香りの魔法博士なんているのかな?聞いたことないけど」
背後で子供が首を傾げた気配を感じ、ヒオリは振り返って微笑む。
「いないんなら、作ればいいよ。私は香りの魔法博士になりたいんだもの」
そう言うと、背後の子供は少し呆気にとられたように目を見開き、そして同じように笑った。
彼、もしくは彼女が笑ってくれたことが嬉しく、ヒオリもまた笑みを深くした。
繰り広げられるのは、他愛ない子供同士の会話である。
ヒオリは幼いヒオリの中に入り込みながらも、何処か映画を見ているような気分で目の前の光景を眺めている。
笑い合い、手を引き引かれながら、植物園を回る子供たち。
彼らを見ていると胸が締め付けられるような感覚を覚えて、静かに吐息をもらした。二人の姿は妙に微笑ましく、懐かしく、何故だか切ない心地にヒオリをさせた。
何とも言い難い、だが叫びたくなるような衝動が胸をついていた。
こんな場面に覚えはないが、もしかしたら己が忘れているだけで実際に起きた出来事なのだろうか?
何かが掴めそうで掴めない。輪郭が見えたと思ったら、するりと目の前をすり抜けていく。
あまりのもどかしさに、ヒオリは頭を抱えたくなる。
(……何だっけ、やっぱり私は何かを忘れているの?これは夢?いいえ、これは……)
悩みぬいて悩みぬいた、刹那、まるで衝撃を受けたように頭にひらめいた言葉があった。
否、それは誰かの名前だったような気がする。
とても大切だったものなのに、記憶の奥底に眠らせたまま埃をかぶっていた大切な名前であった。
(そうだ、これはこの子の名前だ……!)
思いついた瞬間、ヒオリは子供に向き直り、その名を叫びかけた。
「ニー……!」
───その瞬間。何処かから大きな音が聞こえて、ヒオリはがばりと跳ね起きる。
そこは暖かい日差しの植物園ではなく、昨夜横になった自室のベッドの上だった。
しかし自分がどうしてここにいるのかしばらくわからず、ただぼんやりと前を見つめていた。
枕元に置いたままになっている携帯端末がけたたましくコール音を鳴らしていることに気が付き、ようやくヒオリは今の状況を理解する。
慌てて端末を確認すると表示されていたのは同僚メルの名前。しかも時間は深夜2時を回っている。
こんな時間に何だと思いながら、ヒオリは端末の通話ボタンを押した。
「もしもし?メル?こんな時間にどうしたの?」
『ヒオリちゃん!すぐに研究室に来て!大変なことになってるの!!私たちだけじゃ手に負えなくて!!』
どうやら遅くまで調べていたことがあったらしい。
その声に厄介なことが起こったのだと察し、ヒオリは片眉を跳ね上げながら「わかったわ」と頷いた。
例の植物はハンカチに包んで机の中にしまい、ヒオリは仕方なくベッドの中に入った。
悶々と考え事をしていたが、目を閉じてアロマの香りを嗅いでいると、やがて眠気はヒオリを夢の世界へと誘う。
だが不思議なことに、その日見た夢はリリアン女史がいるあの不気味な劇場が舞台では無かった。
夢の世界にいる、とヒオリが実感したとき、あの不気味な香りは漂って来なかったのだ。
「……花が好きなの?」
「うん。花の香りも、草木の香りも好き。ずっと嗅いでいたいと思うくらい」
「そうなんだ。花の香り、僕も嗅いでいい?」
暖かな夢だった。
その暖かさをヒオリはすぐ、うららかに太陽が照っているからだと察する。
春と夏の境目の、温暖な気候。草花が咲き乱れ、生命が活動する、様々な生ある香りに満ち溢れた時期。
草花の香りの深い、太陽が照る場所……故郷でよく足を運んだ小さな植物園にヒオリはいるのだ。そう思ったのは久々に『ヴォタニコス』の名前を見たからだろうか。
薄っすらと瞼を開けると、そこはやはり懐かしの植物園だった。
目の前には美しい薔薇の花があり、ちょうど満開の季節なんだなと考えながらヒオリは会話を続けた。
「いいよ。ここの植物は私のものじゃないけど。ほら、これが薔薇。薔薇の香り」
「へえ。薔薇、いい匂いだね」
「薔薇によっても全然香りが違うよ。こっちはもっと強い香りなんだ」
先ほどから己と会話をしているのは、どうやら年の近い子供のようだった。
じっくりと顔をみようとするが、どうもぼんやりとしていて視点が定まらず困ってしまう。
顔立ちや背格好どころか、性別すらもわからず、この子をどう呼んだらいいのかわからなかった。
(こんな友達、いたかな……?)
しばらく考えていたが、夢にはよくあることだと諦めて、ヒオリは子供の手を引いて植物園を歩き出す。
子供は少し驚いていたようだが、すぐに楽しそうに己の歩調に合わせ、先ほどよりもやや弾んだ声で訊ねて来た。
「いつも植物園に来てるの?君は花が好きなの?」
「うん。花っていうか、香りが好き。いつか花の香りを研究する魔法博士になりたいなあ」
「花の香りの魔法博士なんているのかな?聞いたことないけど」
背後で子供が首を傾げた気配を感じ、ヒオリは振り返って微笑む。
「いないんなら、作ればいいよ。私は香りの魔法博士になりたいんだもの」
そう言うと、背後の子供は少し呆気にとられたように目を見開き、そして同じように笑った。
彼、もしくは彼女が笑ってくれたことが嬉しく、ヒオリもまた笑みを深くした。
繰り広げられるのは、他愛ない子供同士の会話である。
ヒオリは幼いヒオリの中に入り込みながらも、何処か映画を見ているような気分で目の前の光景を眺めている。
笑い合い、手を引き引かれながら、植物園を回る子供たち。
彼らを見ていると胸が締め付けられるような感覚を覚えて、静かに吐息をもらした。二人の姿は妙に微笑ましく、懐かしく、何故だか切ない心地にヒオリをさせた。
何とも言い難い、だが叫びたくなるような衝動が胸をついていた。
こんな場面に覚えはないが、もしかしたら己が忘れているだけで実際に起きた出来事なのだろうか?
何かが掴めそうで掴めない。輪郭が見えたと思ったら、するりと目の前をすり抜けていく。
あまりのもどかしさに、ヒオリは頭を抱えたくなる。
(……何だっけ、やっぱり私は何かを忘れているの?これは夢?いいえ、これは……)
悩みぬいて悩みぬいた、刹那、まるで衝撃を受けたように頭にひらめいた言葉があった。
否、それは誰かの名前だったような気がする。
とても大切だったものなのに、記憶の奥底に眠らせたまま埃をかぶっていた大切な名前であった。
(そうだ、これはこの子の名前だ……!)
思いついた瞬間、ヒオリは子供に向き直り、その名を叫びかけた。
「ニー……!」
───その瞬間。何処かから大きな音が聞こえて、ヒオリはがばりと跳ね起きる。
そこは暖かい日差しの植物園ではなく、昨夜横になった自室のベッドの上だった。
しかし自分がどうしてここにいるのかしばらくわからず、ただぼんやりと前を見つめていた。
枕元に置いたままになっている携帯端末がけたたましくコール音を鳴らしていることに気が付き、ようやくヒオリは今の状況を理解する。
慌てて端末を確認すると表示されていたのは同僚メルの名前。しかも時間は深夜2時を回っている。
こんな時間に何だと思いながら、ヒオリは端末の通話ボタンを押した。
「もしもし?メル?こんな時間にどうしたの?」
『ヒオリちゃん!すぐに研究室に来て!大変なことになってるの!!私たちだけじゃ手に負えなくて!!』
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