魔法博士ヒオリは青い瞳と夢を見る

天藤けいじ

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青い瞳の記憶06

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 遠くで誰かがヒオリを何度も呼んでいる。
 体を包み込む温もりを感じ、どうやら自分は柔らかい太陽の日差しの下で眠っているのだとわかった。

 同時に鼻孔をくすぐるのは咲き乱れる花々の香り……嗅ぎなれた懐かしい香りである。
 魔法研究所の温室よりも野性的で開放的なそれは、幼い日に『ヴォタニコス』で幾度も嗅いだかぐわしい匂いだ。

 自分は今あの植物園にいるのだと、目を閉じていてもわかった。

 「ああ、これはあの夢の続きなんだな」と納得してゆっくりと目を開く。
 すると寝そべる自分を覗き込むように、己の隣に誰かが座っていることがわかった。

「ヒオリちゃん、ヒオリちゃん、ごめんね、僕のせいで……」

 泣き声だった。
 細く震えたその声を上げているのは、頼りない小柄な体の少年。
 手のひらで顔を覆っており顔は見えないが、黒髪で褐色の肌を持っていることがわかった。

 かよわい指の隙間からいくつもの雫がこぼれ地面に落ちていくのを見て、ヒオリの胸は酷く痛む。
 会ったことのない少年だと思うのだが、今すぐに起き上がり彼の華奢な肩を抱きしめてあげたい衝動を持った。

 しかし何故だか体が重く動かせなかった。
 もどかしい思いを抱えていたが、自分の意思と関係なくヒオリの口は言葉を紡いでいく。

「いいんだよ、ニール。これは私が決めたこと。私がニールを助けたかったんだよ」
「でも、僕のせいで、僕の魔法で、ヒオリちゃんは……!」

 少年が大声を張り上げ、勢いよく顔を上げてヒオリを見た。
 手のひらの下から現れたのは、深い海を思わせる美しい青い瞳。
 そこには涙が湛えられており、褐色の頬には幾重にもぬぐい擦ったあとが付いていた。

 この瞳には見覚えがある。
 それに己が呼んだ名前は───ニール。

 ああ、そうだ。間違いなくこの少年はニールなのだ。
 そう理解すると同時にことりと心の穴に何かがはまり込み、ヒオリは口元に笑みを浮かべて「大丈夫」と彼に告げた。
 安心して欲しいのに、その言葉にニールはことさら顔を歪めるだけ。

 涙がさらにぽろぽろと溢れ、本当に彼の瞳が海になってしまったようだった。

「ヒオリちゃん、ごめんね。僕が、僕がいたから……」
「大丈夫だよ、ニール。泣かないで、泣かないで……」

 ゆるゆると、ようやく右手が動き、ヒオリは彼の頭を撫でる。
 柔らかな癖がある黒髪をすきながら幾度も「大丈夫」「大丈夫」と繰り返していたが、ニールの涙は止まりそうにない。
 彼を慰めることも出来ないひ弱な自分が嫌で、こちらまで泣き出しそうになってしまった。

 ───そこでにわかに場面が変わる。

 目をつむっているため、何処にいるのかはわからない。ただ体はどうやらベッドの上に寝そべっているようで、シーツは清潔な匂いがしていた。
 今度もやはり体は動かせず、近くで誰かが会話をしていることだけがわかった。ヒオリは夢現をさまよいながら、二人の話を聞いている。

 二人とも硬質な声で、酷く緊張感に溢れている。どうやら良好な関係ではないということが理解できた。

「魔術師のことは協会の外へ漏らすわけにはいかない。彼女の記憶は消させてもらう」

 冷徹で無慈悲な声が部屋の中に響き渡った。年配の男の声である。
 それが妙に恐ろしく感じ、ヒオリの背中にじわりと嫌な汗が浮かび上がってきた。

「構いません。このことは忘れていたほうがいいと思います。魔法のことも、僕のことも、全て彼女の中から消してください」

 次いで聞こえてきたのは少年の……ニールの声だ。
 自分と接しているときとはずいぶん違う、冷ややかで感情の無い声である。
 いったいどんな表情で彼がこの言葉を口にしたのか、まったく想像できない。

 今すぐ目を開けて、ニールの顔をのぞき込みたい衝動に駆られる。
 しかし相変わらず体は言うことを聞いてくれない。
 鉛をつけられたかのように重い手足をもどかしく思っていると、ふいにニールの声がこちらへ近づいてきたことがわかった。

「ヒオリちゃんは、平和に過ごすべきなんです。今後も魔法協会は彼女に関わらないように」

 こつこつと響く足音とともに聞こえたのは、相変わらず冷ややかで静かな声だ。
 しかしその中に僅かな切なさが滲んでいる気がして、心臓が締め付けられる。

 ニールの気配が近い。恐らくベッドに眠る自分を見下ろしているのだろう。
 体を動かせぬまま彼の様子をうかがうと、再びぽつりと声が聞こえた。

「彼女は……僕の魔法に彼女は巻き込まれたんです。怖いことは知らないほうがいい。思い出せば、きっと傷が残るでしょう」

 最後に独り言のように放たれた言葉。
 その瞬間、ヒオリは自分の身に何が起こったかをようやく思い出す。

 そうだ、自分はニールの周りで暴発するように燃えていた炎の中に突っ込んだのだ。
 皮膚が焼けるのも構わず彼の手を取り、抱き寄せた。「ニール」と名を呼んだときに炎が消え、意識が飛んだことを覚えている。

(嫌だよ、ニール。忘れるなんて出来ない。二人でいるのはあんなに楽しかったのに!)

 思い切り叫んだつもりだったが、それは結局喉を通って音となることはなかった。
 頭の中だけでばたばたと必死に手を動かすが、己の願いも虚しくニールはヒオリから遠ざかって行く。

 去っていく彼の足音を聞きながら、幾度もその名を呼ぶ。

(ニール、絶対に思い出すから。待ってて、ニール)

 それだけを最後に思った瞬間、ヒオリの意識は本格的な暗闇の中に落ちていった。
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