556 / 600
第二十六章 交差する思惑
第538話 隠れ家と拠点
しおりを挟む
西暦2320年。
フランス、プロヴァンスにある森の奥地。
「……フランチェスコ先生は、お前の話をよくしていた」
そこの地下にある通路の中で、ブロムは膝を抱え座り込んでいた。
正面には片膝を立て座るモーズ。斜め後ろには露骨に不機嫌な顔を浮かべたアンチモンが立っている。アンチモンは所長テオフラストゥスの命でブロムの見張りとモーズの護衛を任されてしまった為に、渋々ここに残っているのだ。
「共に何を食べていたのか、何処を歩いていたのか、何を話していたのか……。語ってくれたのはどれも、細やかな思い出ばかり。しかしその細やか思い出こそが、掛け替えのない宝物だったのだろう」
ブロムは語る。フランチェスコと過ごした日々を。
「その時、ブリオッシュが好きなのだと聞かせてくれた。珊瑚症の症状が進み、寝たきりとなって――ついには喋る事が叶わなくなっても、あの店のブリオッシュを持ってくれば、先生は反応してくれた。微かにだが指先が、動いたのだ。本当に」
ブロムがモーズを此処へ導く条件として求めた、ブリオッシュ。
それはフランチェスコが人の意思を保っている事を知る唯一の手段で、ブロムはそれを縁に、まるで神へ捧げる供物のように運び続けていた。
「持ってきたところで、先生が味わう事はもう出来ないというのにな。無意味な行為を、延々と繰り返して……」
「ブロム」
そこでモーズが口を開く。
「ステージ5にも、意識がある。人としての意識が、ちゃんと。今は芽胞という名の休眠状態で意識はないだろうが、君の思いは伝わっていた筈だ」
それは同情から来る慰めではない。
ステージ5の声を聞き続けてきたモーズが知る、事実だ。
「ブロム。君はずっとフランチェスコの命を、心を繋ぎ止めていてくれたんだな。ありがとう。本当に、ありがとう」
その上で、モーズは心からの感謝を告げた。
ぐ、と。ブロムが唇を噛み締める。意味があるかもわからないまま続けてきた、孤独な戦い。それが今、報われた。
人前でなければ、涙をこぼしていたかもしれない。
「しかし不思議だな。ステージ4以上になってしまえば、意識と関係なく暴力的になってしまうものだが……。外にも此処にも暴れた形跡がない。この寄生虫の効果で大人しかったのだろうか?」
「……詳しい事は、俺にもわからない。俺は、あまり頭が良くないから……」
フランチェスコが研究内容を掻い摘んで話してくれた事もあったのだが、ブロムはその十分の一もわからなかった。
わかっているのは、この通路を覆う蝿はフランチェスコを宿主とし、苗床とする代わりに彼の益になるよう動くというだけだ
「ただ先生は自分が正気を失う日を悟った後、意識が混濁する前にと直ぐに此処へ来た。3ヶ月前の事だ。それから間もなくして、先生は《根》になってしまった……」
《根》となったフランチェスコは菌床を作り出し、通路と繋がってしまった。
これでは移動させる事もままならず、ブロムの街と通路を往復する日々が始まった。ちなみにブロムが街で行っていた絵描きは現金を得る為の小遣い稼ぎで、それ以前はフランチェスコが研究所で確保していた金銭や遺産で生活を保っていたらしい。しかしフランチェスコの扱う金銭は電子貨幣。それも足が付かないよう様々なサーバを経由したり、偽造データを差し込んだりと手を加えていて、とてもブロムが扱える代物ではなかった為に絵描きを始めたのだ。
モデルは勿論、人間受けのいいウミヘビ。彼らの顔は研究所で保管されていたデータで知った。
「フランチェスコ先生が言うに、この通路は昔、納骨堂に繋がっていたらしい。今は壁に塞がれて、入り口の上にも木が生えてしまったが……。しかし真上に大木が育つほど長い間、忘れ去れられた場所だ。隠れるのに打って付けだと、先生は考えた」
「そうなのか。私が生まれ育った土地だというのに、知らなかったな。……逆にフランチェスコは何故、知っていたのか……」
モーズは顎に手を当て、首を捻る。
しかし考察をしたところで答えを知る術はない。モーズは思考を切り替えた。
「あぁ、そうだブロム。ここは隠れ家であって拠点ではないだろう? 研究資料も実験道具も見当たらない。他にある筈だ」
「拠点は、来る途中にあった廃墟だ。そこで先生は寝泊まりをしていた」
「あそこを? 人が暮らしていた痕跡はなかったように思えるが……」
「先生が隠れ家から出られなくなったからな。使う事もなくなった」
ブロムは街で絵を描き、得た金銭で生活を整えるか、この通路で過ごすかの二択。
廃墟に寄る事がなくなってしまった為に、廃墟の周囲は雑草で覆われ急激に朽ちていってしまった。
(そう言えば畑には井戸があったな。飲み水にも使える。電気も、発電機があった筈だ)
教会の設備を思い出し、2人で暮らすには充分だったかと納得するモーズ。
(そこに、この寄生虫についてまとめた資料があれば嬉しいのだがな……)
今日はこれ以上目立たないよう、テオフラストゥスからこの場への待機を命じられてしまっている。拠点へ向かえるのは明日以降だ。
フランチェスコが3年間過ごした、拠点。
3年間……。
「……ん?」
そこでふと、モーズは引っ掛かりを覚えた。
「ええと、ブロム。教会が閉鎖したのは3年前だ。それまでは普通に人が暮らしていたはず。素朴な疑問なのだが、どのタイミングで暮らすようになったのだろうか?」
「タイミング? 先生は住人を追い出して使っていたが」
「……。は?」
追い出す。
元いた住人、つまりシスターや孤児達を。
「あの教会の管理者は、人身売買の疑いがあるとして、一斉に検挙されていたぞ」
フランス、プロヴァンスにある森の奥地。
「……フランチェスコ先生は、お前の話をよくしていた」
そこの地下にある通路の中で、ブロムは膝を抱え座り込んでいた。
正面には片膝を立て座るモーズ。斜め後ろには露骨に不機嫌な顔を浮かべたアンチモンが立っている。アンチモンは所長テオフラストゥスの命でブロムの見張りとモーズの護衛を任されてしまった為に、渋々ここに残っているのだ。
「共に何を食べていたのか、何処を歩いていたのか、何を話していたのか……。語ってくれたのはどれも、細やかな思い出ばかり。しかしその細やか思い出こそが、掛け替えのない宝物だったのだろう」
ブロムは語る。フランチェスコと過ごした日々を。
「その時、ブリオッシュが好きなのだと聞かせてくれた。珊瑚症の症状が進み、寝たきりとなって――ついには喋る事が叶わなくなっても、あの店のブリオッシュを持ってくれば、先生は反応してくれた。微かにだが指先が、動いたのだ。本当に」
ブロムがモーズを此処へ導く条件として求めた、ブリオッシュ。
それはフランチェスコが人の意思を保っている事を知る唯一の手段で、ブロムはそれを縁に、まるで神へ捧げる供物のように運び続けていた。
「持ってきたところで、先生が味わう事はもう出来ないというのにな。無意味な行為を、延々と繰り返して……」
「ブロム」
そこでモーズが口を開く。
「ステージ5にも、意識がある。人としての意識が、ちゃんと。今は芽胞という名の休眠状態で意識はないだろうが、君の思いは伝わっていた筈だ」
それは同情から来る慰めではない。
ステージ5の声を聞き続けてきたモーズが知る、事実だ。
「ブロム。君はずっとフランチェスコの命を、心を繋ぎ止めていてくれたんだな。ありがとう。本当に、ありがとう」
その上で、モーズは心からの感謝を告げた。
ぐ、と。ブロムが唇を噛み締める。意味があるかもわからないまま続けてきた、孤独な戦い。それが今、報われた。
人前でなければ、涙をこぼしていたかもしれない。
「しかし不思議だな。ステージ4以上になってしまえば、意識と関係なく暴力的になってしまうものだが……。外にも此処にも暴れた形跡がない。この寄生虫の効果で大人しかったのだろうか?」
「……詳しい事は、俺にもわからない。俺は、あまり頭が良くないから……」
フランチェスコが研究内容を掻い摘んで話してくれた事もあったのだが、ブロムはその十分の一もわからなかった。
わかっているのは、この通路を覆う蝿はフランチェスコを宿主とし、苗床とする代わりに彼の益になるよう動くというだけだ
「ただ先生は自分が正気を失う日を悟った後、意識が混濁する前にと直ぐに此処へ来た。3ヶ月前の事だ。それから間もなくして、先生は《根》になってしまった……」
《根》となったフランチェスコは菌床を作り出し、通路と繋がってしまった。
これでは移動させる事もままならず、ブロムの街と通路を往復する日々が始まった。ちなみにブロムが街で行っていた絵描きは現金を得る為の小遣い稼ぎで、それ以前はフランチェスコが研究所で確保していた金銭や遺産で生活を保っていたらしい。しかしフランチェスコの扱う金銭は電子貨幣。それも足が付かないよう様々なサーバを経由したり、偽造データを差し込んだりと手を加えていて、とてもブロムが扱える代物ではなかった為に絵描きを始めたのだ。
モデルは勿論、人間受けのいいウミヘビ。彼らの顔は研究所で保管されていたデータで知った。
「フランチェスコ先生が言うに、この通路は昔、納骨堂に繋がっていたらしい。今は壁に塞がれて、入り口の上にも木が生えてしまったが……。しかし真上に大木が育つほど長い間、忘れ去れられた場所だ。隠れるのに打って付けだと、先生は考えた」
「そうなのか。私が生まれ育った土地だというのに、知らなかったな。……逆にフランチェスコは何故、知っていたのか……」
モーズは顎に手を当て、首を捻る。
しかし考察をしたところで答えを知る術はない。モーズは思考を切り替えた。
「あぁ、そうだブロム。ここは隠れ家であって拠点ではないだろう? 研究資料も実験道具も見当たらない。他にある筈だ」
「拠点は、来る途中にあった廃墟だ。そこで先生は寝泊まりをしていた」
「あそこを? 人が暮らしていた痕跡はなかったように思えるが……」
「先生が隠れ家から出られなくなったからな。使う事もなくなった」
ブロムは街で絵を描き、得た金銭で生活を整えるか、この通路で過ごすかの二択。
廃墟に寄る事がなくなってしまった為に、廃墟の周囲は雑草で覆われ急激に朽ちていってしまった。
(そう言えば畑には井戸があったな。飲み水にも使える。電気も、発電機があった筈だ)
教会の設備を思い出し、2人で暮らすには充分だったかと納得するモーズ。
(そこに、この寄生虫についてまとめた資料があれば嬉しいのだがな……)
今日はこれ以上目立たないよう、テオフラストゥスからこの場への待機を命じられてしまっている。拠点へ向かえるのは明日以降だ。
フランチェスコが3年間過ごした、拠点。
3年間……。
「……ん?」
そこでふと、モーズは引っ掛かりを覚えた。
「ええと、ブロム。教会が閉鎖したのは3年前だ。それまでは普通に人が暮らしていたはず。素朴な疑問なのだが、どのタイミングで暮らすようになったのだろうか?」
「タイミング? 先生は住人を追い出して使っていたが」
「……。は?」
追い出す。
元いた住人、つまりシスターや孤児達を。
「あの教会の管理者は、人身売買の疑いがあるとして、一斉に検挙されていたぞ」
0
あなたにおすすめの小説
女神の白刃
玉椿 沢
ファンタジー
どこかの世界の、いつかの時代。
その世界の戦争は、ある遺跡群から出現した剣により、大きく姿を変えた。
女の身体を鞘とする剣は、魔力を収束、発振する兵器。
剣は瞬く間に戦を大戦へ進歩させた。数々の大戦を経た世界は、権威を西の皇帝が、権力を東の大帝が握る世になり、終息した。
大戦より数年後、まだ治まったとはいえない世界で、未だ剣士は剣を求め、奪い合っていた。
魔物が出ようと、町も村も知った事かと剣を求める愚かな世界で、赤茶けた大地を畑や町に、煤けた顔を笑顔に変えたいという脳天気な一団が現れる。
*表紙絵は五月七日ヤマネコさん(@yamanekolynx_2)の作品です*
忘却の艦隊
KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。
大型輸送艦は工作艦を兼ねた。
総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。
残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。
輸送任務の最先任士官は大佐。
新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。
本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。
他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。
公安に近い監査だった。
しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。
そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。
機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。
完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。
意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。
恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。
なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。
しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。
艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。
そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。
果たして彼らは帰還できるのか?
帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?
ネクスト・ステージ~チートなニートが迷宮探索。スキル【ドロップ★5】は、武器防具が装備不可!?
武蔵野純平
ファンタジー
現代ファンタジー(ローファンタジー)です。ニート主人公のスキルは【ドロップ★5】――ドロップ確率が大幅上昇し、ドロップアイテムの品質も大幅上昇するチートスキルだった。だが、剣や盾などの装備品が装備出来ない欠陥があり、攻撃力、防御力に問題を残す。
ダンジョン探索をする為に冒険者となりパーティーメンバーを募集するが、なぜか【ワケあり】女性ばかり集まってくる。
初恋♡リベンジャーズ
遊馬友仁
青春
【第五部開始】
高校一年生の春休み直前、クラスメートの紅野アザミに告白し、華々しい玉砕を遂げた黒田竜司は、憂鬱な気持ちのまま、新学期を迎えていた。そんな竜司のクラスに、SNSなどでカリスマ的人気を誇る白草四葉が転入してきた。
眉目秀麗、容姿端麗、美の化身を具現化したような四葉は、性格も明るく、休み時間のたびに、竜司と親友の壮馬に気さくに話しかけてくるのだが――――――。
転入早々、竜司に絡みだす、彼女の真の目的とは!?
◯ンスタグラム、ユ◯チューブ、◯イッターなどを駆使して繰り広げられる、SNS世代の新感覚復讐系ラブコメディ、ここに開幕!
第二部からは、さらに登場人物たちも増え、コメディ要素が多めとなります(予定)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
【完結】大量焼死体遺棄事件まとめサイト/裏サイド
まみ夜
ホラー
ここは、2008年2月09日朝に報道された、全国十ケ所総数六十体以上の「大量焼死体遺棄事件」のまとめサイトです。
事件の上澄みでしかない、ニュース報道とネット情報が序章であり終章。
一年以上も前に、偶然「写本」のネット検索から、オカルトな事件に巻き込まれた女性のブログ。
その家族が、彼女を探すことで、日常を踏み越える恐怖を、誰かに相談したかったブログまでが第一章。
そして、事件の、悪意の裏側が第二章です。
ホラーもミステリーと同じで、ラストがないと評価しづらいため、短編集でない長編はweb掲載には向かないジャンルです。
そのため、第一章にて、表向きのラストを用意しました。
第二章では、その裏側が明らかになり、予想を裏切れれば、とも思いますので、お付き合いください。
表紙イラストは、lllust ACより、乾大和様の「お嬢さん」を使用させていただいております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる