毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十七章 虫籠の底

第576話 覗き見

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「モーズ先生? モーズ先生!」

 至近距離からの呼び声によって、モーズの意識が現実に引き戻される。

「長い間ぼうっとしていましたが、大丈夫ですか?」

 心配そうに顔を覗き込んでくるセレンに、モーズは「あ、あぁ」と短く返事をした。

「……セレン。今日は、何月の何日だったか」
「今日ですか? 11月7日ですよ」
「そ、そうだ。そうだったな」

 西暦2320年11月7日。フランス感染病棟。その中の一角にある、隔離病室。
 そこでモーズはパイプ椅子に腰掛け、作業机と向き合っていた。
 正確には作業机の真ん中に置かれたシャーレ、その中に入れた――フランチェスコから切除した『珊瑚』と。
 『珊瑚』のネットワークにリンクをする、つまりフランチェスコの記憶を読む試みは、成功した。
 7割型、という注釈がつくが。

(フランチェスコの記憶は断片的かつ、ノイズがかかっていた。彼と距離を取った所為か? スピネルの記憶が見えた時は菌床を伝い、彼女自身と繋がっていた。分離しているのも関係ありそうだ)

 この隔離病室に、フランチェスコはいない。彼は隣の隔離病室にいる。
 可能ならばフランチェスコの直ぐ側で記憶の読み込みをしたかったが、出来なかった。何故ならばフランチェスコから切除した『珊瑚』に蝿が――ハルパーがたかってきて、食べ尽くそうとしてしまうからだ。
 芽胞の状態では手が出せないので近寄って来ないのだが、養分こと果肉を与え芽胞を解いた途端、フランチェスコの周囲を飛んでいた蝿は瞬く間に集結しシャーレの内部を埋め尽くし、中身を消してしまう。
 その為、モーズは隣室で実験を試みる他なかった。

(ルイ院長が用意してくれていた病室を結局、使う事となってしまったな。改めて礼を伝えなくては)

 ハルパーはどうも宿主たるフランチェスコから発生した『珊瑚』を優先的に襲う習性があるようだ。大量繁殖を可能とする養分を貪欲に求めているのだろう。
 しかし現状、芽胞になるまで追い込まれた『珊瑚』だけではとても足りない。生命溢れる森の中ならば他にも獲物があっただろうがここは病院、それも隔離病室。ハルパーの餌は別途、用意する必要があった。
 果肉、動物の死骸、フンなどの排泄物――
 一般的な蝿と同じだ。断片的に垣間見たフランチェスコの記憶からしても、ハルパーの生態は基本的に普通の蝿と何ら変わりがない。
 天敵とも言える『珊瑚』を、食物と捉えている事を除いて。

(とは言え、片端から、無差別に『珊瑚』を食している訳ではない。ハルパーは私や他の患者には襲って来ないのだからな。執着しているのは宿主の『珊瑚』のみ。後はどうすれば特定の人間を宿主と定めてくれるかがわかれば、臨床試験へ入れるか……?)

 しかしハルパーが宿主を定める過程は、今回の記憶からは読み込めなかった。この『珊瑚』の断片には刻み込まれていないのかもしれない。
 『珊瑚』一欠片に刻まれている記憶は限りがあって、それだけでフランチェスコが経験した全てがわかる訳ではない。故にモーズは複数の欠片をフランチェスコから切除し、日を分けて、少しずつ見て回っていた。
 時間がかかってしまっているのは、記憶を見終わる度に考察や記録の作業へ入る為なのもあるが――一番の理由は、疲労だ。
 剥き出しの情報と感情が流れ込んでくるのは、想像以上に負担が大きかった。あまり見続けていれば自己が乖離してしまうのではないかと、錯覚する程に。

(フランチェスコから見たシスターは、私の記憶にあるシスターと、大きく異なっていたな……)

 まるで童話に描かれる小山羊を喰らう狼のような、醜悪な人物像。
 覗き見たフランチェスコの記憶に間違いなければ、勘違いが、誤りがなければ、シスターがウロボロスと繋がっていた事は真実で、いつかモーズを売り渡す気でいた事も事実だった事になる。
 生まれ育ち、安らぎを覚えていた場所が、家畜小屋だった。親代わりに慕っていた人物が、売人だった。与えられていた、与えられていたと思っていた愛情は、無償とは程遠い、打算的な物だった。

(私は本当に、人の腹のうちを読む事が、出来ないのだな)

 それは違うと、嘘でもいいから否定して欲しい。だがシスター本人は既に亡くなっている。どうしようもない。
 知らなくていい事に、知らずにいられた事に踏み込んだのは、モーズ自身だ。
 これはフランチェスコの記憶に土足で上がり込んだ代償。
 しかしそれでも止める訳にはいかない。投げ出す訳にはいかない。
 モーズは頭を横に振り、思考を切り替えた。

(フランチェスコは『珊瑚』を私に移してしまった事を、酷く後悔していたようだ。同室なんだ、先に陽性反応が出たのがフランチェスコと言うだけで、その実、私が先に感染していた可能性も大いにあるというのに)

 珊瑚症の陽性反応が出た時期は殆ど誤差で、どちらが先かなど本当の所はわからない。
 陽性と判明した夜、フランチェスコは酷く混乱していた。絶望していた。その所為か、記憶のノイズも大きく何が何だかわからない場面が多かった。
 わかったのは、彼が罪悪感を抱いていた事だ。
 それに突き動かされて、最終的にフランチェスコは、ハルパーの苗床となる道を選んだ。どれだけ身体に負担がかかろうが構わずに。

(医者を志したのは、私のエゴだ。誰かに、フランチェスコに必要とされたいヒーローコンプレックスが起因の。不純な動機だ。それで自ら渦中に飛び込んだのだから、珊瑚症に罹るのは必然だった。きっと)

 それを伝えられたら、と、モーズは思う。その為にも一刻も早く研究を進め、フランチェスコの意識を戻して――
 しかしその願いは、セレンがシャーレを机の上からひょいっと取り上げた事で止められてしまった。

「セ、セレン」
「意識が飛んでいたようですし、本日のはこのぐらいにして、もう休みませんか?」
「心配してくれてありがとう。しかしあと少しで確信に迫れそうなんだ。もう少し……」
「目が据わってますよ? 終わりにしましょう、モーズ先生」

 ちなみにモーズは現在、フェイスマスクを外している。患者の対応で多忙を極めているルイが隔離病室を訪れる暇がなくなった為、マスクを付ける必要性がなくなったのだ。病室に清掃や食事の配送を担ってくれる自動人形オートマタのみ。
 人の行き来がないのは正直、研究に集中できて有難い。しかし同時に外の情報が入って来ない状態でもある為、モーズは閉鎖感も覚えていた。

「セレン。私が今できる事はハルパーの研究だけなんだ、もう少し……。せめて食事の時間まで……」
「先日そう言って徹夜したので駄目です」
「ううぅ……」

 セレンにきっぱりと拒否され、モーズは机に突っ伏す。
 そんな見るからに気落ちする彼を無視し、セレンはシャーレを薬品棚の奥へと仕舞い込んでしまった。

「ルイ院長から焦るな、と再三伝えられているでしょうに、まだまだ焦っていますねぇ」
「あぁ、まぁ、目の前に可能性を置かれてしまっては、な。……オフィウクス・ラボならばもっと踏み込んだ研究ができるというのに、もどかしい」

 オフィウクス・ラボの設備は段違いだ。シミュレーターによる仮想実験一つとっても、比較的現実に近い試験を繰り返し行える。また『珊瑚』に感染させた人工人体を複数利用すれば、ハルパーの捕食行動も詳細にわかる事だろう。

(人工人体の消費を申し出れば、パウルさんがいい顔をしないだろうが……。いや、『珊瑚』撲滅の為ならば協力してくれるか? それから、フランチェスコに再生施術も受けさせたい。……訊けたら、よいのだが)

 モーズは机に体重を預けたまま、左手首にある腕時計型電子機器へ視線を向けた。電源が入れられていないそれの画面は今、真っ暗だ。
 11月1日の特殊学会から既に6日が経っている中、テオフラストゥスからの連絡は未だ来ていない。そもそも電子機器の使用が禁じられているので、どう連絡を取ろうとしているのかもわからないのだが。

「何だか行き詰まった顔をしていますねぇ、モーズ先生。隣室に戻って、テトラミックスさん達と意見を交わしますか? 言語化すれば新しい閃きが出るかもしれませんよ」
「……。そう、だな。テトラミックスとブロムにも話をしてみよう。私一人では堂々巡りになってしまうからな」

 モーズはセレンの提案に賛成し、ガタリと音を立て椅子から立ち上がったのだった。
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