毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第四章 一時帰宅編

第68話 パニック

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「行くってモーズ先生、捕まりに行くようなものでは!? お巡りさんがたむろしている所でしょう!?」

 個室から飛び出しかけたモーズの上着を、セレンが掴んで止める。

「ステージ5が街中でいきなり現れる訳がないだろう! しかも警察が厳戒態勢を敷いていた場所で! ならばその感染者は、《変異体》の可能性が高い!!」

 本能のまま無秩序に災害を振り撒くステージ5も凶悪だが、知能レベルが人間そのままな《変異体》ことステージ6が街中で暴れたらどうなるのか。
 最悪、聞き及ぶ20年前の悲劇のように、街一つ滅ぶ事態になる。街の至る所にシェルターがあるのはその悲劇の名残りだ。

「会計はワタクシがすませますから、モーズ先生は逃げるも立ち向かうもお好きになさってください」

 緊張感が走る中、ルチルが伝票を持ってマイペースに言う。

「ちょっと、焚き付けないでくださいっ!」
「すまない、ルチル医師。また会う事があれば、今度は私に奢らせてくれ」
「ああっ! 先生~っ!」

 結局モーズはセレンの制止を振り切り喫茶店を飛び出してしまって、セレンも慌てて後を追い掛けていった。
 一人残されたルチルは喫茶店の店員が慣れない避難誘導をしている声を扉越しに聞きながら、シャツの袖をめくってまだらに浮かぶ赤い斑点を露出させる。
 しかしルチルの金色の瞳に見詰められたその斑点は、瞬く間に小さくなっていき、肌の中に吸い込まれるように、やがて消えてしまった。

「さて、ワタクシの出来るはここまで。……どうか死なないでくださいね、モーズ先生」

 そしてルチルは不敵に微笑むと、自身のカップに残っていた紅茶を一気に飲み干したのだった。

 ◇

『避難してください! これは訓練ではありません! 命を守る行動を!』

 電柱に設置されたスピーカーや、警察の持つ拡声器が街中に響き渡っている。
 警報を聞いた街の人々はエールコレ街道から避難しようと、オフィスビルやレストランから我先にと出てきては歩道に溢れ、一つの波のようになっている。
 また車道は人混みと渋滞で機能しておらず、車から降りて避難し始めた人々によって波が更に大きくなってゆく。

「すまない! 道を開けてくれ! ここを通してくれ!」

 モーズはそんな、いつ群衆雪崩れが起きるかもわからない人混みを潜り、必死に災害現場に向かおうとする。
 しかしこれではとても辿り着けそうにない。

「緊急事態なんだ! どうか、どうか通して欲しい!」

 モーズは何も警察や軍の力を疑っている訳ではない。それにアパートに集っていた警察はバイオテロの首謀者を警戒したうえでの警備、対策はしていただろう。
 けれど、ここは街中。都会の一端。住民の避難は追い付いておらず近辺も建物が密集している。
 そんな中、警察や軍が取る『珊瑚』処分の常套手段たる〈銃火器での制圧〉は出来ない。もし強行すれば、建物の倒壊や火災などの二次災害が深刻になってしまう。

(人払いの済んでいない街中で被害を押し留められるのは、恐らく私だけだ! せめて住民の避難が済むまで足止めを……!)

 モーズには銃火器に頼らずに感染症を押さえ込める、アイギスがいる。
 昨日までの三日間、フリッツの教えのもと扱えるようになってきた。災害現場で使える毒も仕込んだ。まだ分離は成功できてないが、力になれる筈だ。

「くそ! 流れに逆らうのがこんなにも難しいとは……!」
「先生、モーズ先生」

 ちょいちょいと、人混みに押され気味なモーズの袖口を引っ張って、人のいないビルとマンションの間の路地まで導いたのは、追い付いてきたセレンだ。

「どうせ私が何を言っても止まらないでしょうけど、本当に行くつもりですか?」
「私はクスシだ。僅かでも被害が減るのならば、一人でも命が助かるのならば、尽力する」
「はぁ~。わかりました」

 セレンは呆れた様子で肩をすくめているが、その声は何処となく嬉しそうだ。

「私も協力しましょう」
「いいのか? これはラボの指示でも命令でもなく、私が勝手にしている事。君を巻き込むのは本意ではない」
「ここでモーズ先生に何かあったら困りますから。……ただし、後ほど私の【お願い】を、聞いて頂けますか?」
「勿論だ。私に、出来る事ならば」

 その言葉を聞いたセレンは、にぃと口の端をあげて三日月のように弧を描く。

「では、参りましょう」

 ひょい。
 セレンはモーズの腰を掴んだかと思えば担ぎ上げ、麦袋を運ぶかのように肩に乗せた。

「口閉じていてくださいね。舌噛みますから」
「えっ」

 次の瞬間、モーズは空高く飛んでいた。セレンが一っ飛びで群衆の上へ飛び上がったのだ。そして近場の石塀に着地すると、また飛んで今度は民家の屋根へと着地する。
 道に溢れる群衆からどよめきの声が上がったが、セレンは一瞥も送らず民家の屋根と屋根を軽々渡って災害現場へ向かってゆく。

「あ、先生。アパート見えましたよ~」

 セレンの高い身体能力に物を言わせたショートカットにより、黄色い地に黒文字で『KEEP OUT』と書かれたテープが張り巡らされ規制が敷かれたモーズのアパート、災害現場にはあっという間に辿り着いた。
 彼が下ろしてくれた場所は、二階建てアパートの屋根の上。モーズはそこからアパート全体を俯瞰した。
 アパートに菌糸は張っておらず菌床にはなっていないが、空には胞子が魚群のように舞っている。駐車場では警察の制服を着た者が数人倒れていて、顔から腕から腹から足から、真っ赤な菌糸を生やし赤く彩っている。

(感染、させられたのか)

 倒れている警察達はモーズと同じように、(ガス)マスクを装備していた。
 けれど感染させられた。

(犠牲者が、出てしまった。クソ、間に合わなかった。……あぁ、悔しいな)

 モーズはマスクの下で奥歯を噛み締める。
 感染源は駐車場の中央、パトカーに身を隠す警察達に銃を向けられている中年男性の感染者。彼の『珊瑚』が、警察に胞子を直接埋め込んだのだろう。ステージ6かと警戒していたが、その感染者の目の瞳孔はあらぬ方向を向いていて、首も不自然に傾いていて、人としての意識はなさそうだ。
 つまりステージ5。その感染者は背中がボコボコとした膿疱によって覆われ、臀部辺りから尾のように太くしなやかな菌糸が一本生えている。
 所謂、《》。素早さと感染力に優れたタイプ。虫型と対峙する事が多かったモーズにとって、慣れない相手。

 ましてここは入所以来初めての、他のクスシがいない災害現場。

「落ち着け、冷静になれ。私は、私に出来る事を」

 胸に手を当て、呼吸を整え、自己暗示をするモーズ。
 怖くないと言えばそれは嘘になる。けれどここで被害が拡大していく方が、モーズにとっては何よりも辛く、苦しく、悔しい。

「……行こう、セレン。処分、開始だ」

 故にモーズは拳を固く握り締め、立ち上がった。
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