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第十四章 煙草の灰
第289話 真っ青な、血の海
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「で、用件は何だ。いい加減、言え」
寮の廊下を歩く最中。ニコチンは一方的な命令で部屋から連れ出してきたモーズに、ドスの効いた声で訊いた。
ニコチンの前を歩くモーズは、足を止めないまま答える。
「もう一度、《ウロボロス》の研究所跡地に行く。そこに君も着いてきて欲しいのだが、どうだろうか?」
「ケッ、そうかよ。勝手にしな。命令なんだ、俺は従うだけ……」
「これは【お願い】だ」
そこでモーズは顔だけ後ろを向き、マスク越しに視線を送ってくる。
「来るか来ないのか、君の判断を訊きたい」
部屋から出る事を【命令】しておいて、目的地への同行の有無は【お願い】をしてくる。
そのチグハグさに、ニコチンは嫌悪感を覚えた。
「一丁前に気ぃ使いやがって、気持ち悪ぃな。たかだか出掛けるってだけで、いちいち確認取るんじゃねえよ」
「それは承諾と取っていいだろうか?」
「……そうだよ」
「では、行こう」
ニコチンだけを連れたモーズは再び車を借り、一昨日訪れた研究所跡地へと向かう。
以前は夜間に訪れたが、今日は昼間。山の中、鬱蒼とした木々に隠れるように建つ廃墟ビルといえど、明るさは段違いで、同じ場所だというのに雰囲気がガラリと変わっている。
その廃墟ビルの内部に、モーズはニコチンと共に足を踏み入れる。
(私がすべき事……。私が出来ること……。そして私に、足りない事)
情報。決断力。
それを得る足掛かりが、ここにはきっとある筈。モーズは朽ちかけの研究室を見下ろし、そう判断した。
「で? 何か探しもんでもあんのか? 使いっぱしりたいなら先に言え、面倒臭ぇ」
「君には付き添いを頼みたい。雑用はしなくていい。ただ、曲者が現れた時に備え、神経を尖らせておいてくれ」
「へいへい」
モーズの言葉から警備が今回の任務、と受け取ったニコチンは実験台の上に被る埃やガラスを軽く払った後、そこに座り込んで煙草を吸い始める。
特に気分を害している様子はない。その事に安堵しつつ、モーズは研究室の探索を開始した。
(昨日はアトロピンに気を使い、ざっと見ただけで出てしまったからな。それに夜だったから視界も悪かった。恐らく昼間に訪れるのは、アトロピンの精神的に辛かったのだろう)
培養槽。薬品棚。古いパソコン。顕微鏡。測定器。フラスコ。試験管。割れ、壊れ、埃を被り、朽ちている事を除けばオフィウクス・ラボの共同研究室と共通する備品が多い。
一つ気になるのは、それに加えて『水槽』らしき器具が多い事か。ガラス張りの四角い箱。水槽に見えるだけで、昆虫を入れていたのかもしれないが。
昆虫からの連想でフランチェスコの姿が思い浮かんだモーズの視界に、作業机に置かれた《万能薬辞典》が映る。一昨日パラチオンからフランチェスコの話を聞き、そちらに意識が持って行かれた結果、本棚に戻すのを忘れていたのだ。
そのまま放っておいてもよかったが、自分の手で散らかした物をそのままにしておくのは落ち着かなくて、つい手に取るモーズ。
その時、背表紙に書かれた著作者名が、目に飛び込んできた。
「……! 『トール』……っ!?」
その名前はセレンが『殺したい』と願う男の名前だ。同名の別人かもしれないが、まさかここで目にすると予想していなかったモーズは動揺してしまう。
「ンだよ。《ウロボロス》の研究員を探してんのか?」
「なっ! トールは《ウロボロス》の所属なのか……!?」
「“元”、ってのが正確だろうけどな。そいつの居た研究所壊したの俺だし」
ニコチンから告げられた情報に、モーズは更に狼狽えた。
幼い頃は気にも留めず、覚える事はなかった《万能薬辞典》の著作者名が、まさか今となって衝撃を与えてくるとは。これも何かの縁なのかもしれない。
「セレンもそん時に“回収”した。あとテルルもな」
トールは、セレンとテルルがいた研究所の研究員。
下手をすれば産みの親に当たる製造者、そうでなくとも監督役に該当するだろう。それだけ関係が深い人間に、セレンは殺意を抱いている。
アトロピンが濁しつつも話してくれた研究所時代の話を鑑みると、それに近しい仕打ちを受けたのだろう。
では、ニコチンは?
平素と変わらぬ様子で煙草を噴かし、研究所を潰した事もあるというニコチンには、《ウロボロス》に対し悪い思い出はないのだろうか。
モーズは逡巡する。けれどアセトアルデヒドの【願い】を思い浮かべ、《万能薬辞典》の表紙を握りしめ、踏み込む覚悟を、決める。
「ニコチン、君は《ウロボロス》と接触した事があるのだな」
「ウミヘビで接触してねぇ野郎は極々少数だ。《ウロボロス》で造られた奴が大半なんだからよ。テトラミックスやパラチオンみたく、あんま記憶ねぇ奴もいるみたいだが」
「しかも研究所に乗り込んだ事がある、と」
「まぁな。どうも俺は制圧すんのに使い勝手がいいらしい。ケッ! 所長もフリードリヒもこき使いやがって」
「……では、ステージ6に《ウロボロス》の研究員が、いや正確には死体らしい、のだが、ともかく元研究員がいる話は聞いているだろうか?」
「小耳にゃ挟んだ。名前は『ショール』だったか? けどカールに返り討ちに合ったらしいじゃねぇか。ははっ! ザマァねぇな! アイツにヤラレるんじゃ大した事ね……」
「このような、男らしい」
モーズは腕時計型電子機器を操作し、イギリスの菌床で撮影されたショールの顔をホログラム画面に投影する。
漆黒の髪に瞳を持つ、どこか神経質そうな青年。
その姿を見た直後、ニコチンは赤い瞳を見開き手に持っていた煙草をへし折った。
「……っ! そいつが、『ショール』だってのかよ……!!」
今までになく動揺した様子のニコチンはすかさず実験台から飛び降りると、荒い足取りでモーズに詰め寄る。
「おい! アセトにゃ言ってねぇだろうな!!」
「話していない筈だ。伝達が行ったのは戦闘員だけだろうし……」
「顔も見せてねぇな!?」
「あ、あぁ……!」
「絶対、話すなよ」
鋭い眼光と共に念を押した後、ニコチンはモーズから離れ真っ二つとなった煙草を携帯灰皿の中へと捨てた。
「君は、この『ショール』という男を知っているのか」
「…………」
モーズの問いかけに対し、ニコチンは非常に不快そうな顔をした後、
「俺を、造った野郎だ」
端的に関係性を語ってくれた。
「何と……!」
「それから、アセトも」
ニコチンとアセトアルデヒドは、同じ研究所で造られた。
新しい煙草に火を付けつつ、ニコチンはショールになったモノの話をしてくれる。
「頭は良いらしいが、馬鹿で無知で無神経で神経質でヒステリックで、どうしようもない奴だったよ。11年前にくたばった筈なのにまた出てくるたァ、ゴキブリみてぇにしぶとい野郎だ」
「……ニコチン。一つ、頼みたい事がある。嫌なら断ってくれても構わない」
「あ゙ぁ゙? 回りくどい言い回ししてねぇで、さっさと本題を言え」
「君とアセトアルデヒド、そしてこの『ショール』の話を、訊きたい」
モーズの頼みを聞いたニコチンは、冷え切った目で睨み付けてきた。
ショールの事を語る口調といい態度といい、彼にとって思い出したくもない記憶なのはわかる。しかし踏み込むと決めた以上、モーズはここで引き下がる訳にはいかなかった。
「……理由は? ただの好奇心ってんならクスシと言えどぶっ飛ばすぞ。そもそも別に俺から聞かんでも、ラボに記録ぐれぇあんだろ」
「一つは君達の知見を深める為。そしてもう一つ。――敵を、知りたい」
ショールはステージ6。ペガサス教団の信徒。いずれまた、相対すると思われる“敵”。
モーズはその敵に、立ち向かう力が欲しかった。
「……。そうかよ」
その決意を汲んでくれたのか否か、ニコチンは大きな溜め息と共に白煙を吐き出すと、どこか呆れた様子で実験台の上に座り直した。
「吐いても知らねぇぞ」
「エチケット袋ならあるぞ?」
「ハッ、用意のいい事で」
ニコチンはもう一度、煙草を口に付け、顔を上げる。
廃ビルの壊れた壁の向こう側には、真っ青な空が見えた。
真っ青な。
ニコチンは、語り出す。
「俺が造られて一番最初に見た光景は、真っ青な、血の海だった」
寮の廊下を歩く最中。ニコチンは一方的な命令で部屋から連れ出してきたモーズに、ドスの効いた声で訊いた。
ニコチンの前を歩くモーズは、足を止めないまま答える。
「もう一度、《ウロボロス》の研究所跡地に行く。そこに君も着いてきて欲しいのだが、どうだろうか?」
「ケッ、そうかよ。勝手にしな。命令なんだ、俺は従うだけ……」
「これは【お願い】だ」
そこでモーズは顔だけ後ろを向き、マスク越しに視線を送ってくる。
「来るか来ないのか、君の判断を訊きたい」
部屋から出る事を【命令】しておいて、目的地への同行の有無は【お願い】をしてくる。
そのチグハグさに、ニコチンは嫌悪感を覚えた。
「一丁前に気ぃ使いやがって、気持ち悪ぃな。たかだか出掛けるってだけで、いちいち確認取るんじゃねえよ」
「それは承諾と取っていいだろうか?」
「……そうだよ」
「では、行こう」
ニコチンだけを連れたモーズは再び車を借り、一昨日訪れた研究所跡地へと向かう。
以前は夜間に訪れたが、今日は昼間。山の中、鬱蒼とした木々に隠れるように建つ廃墟ビルといえど、明るさは段違いで、同じ場所だというのに雰囲気がガラリと変わっている。
その廃墟ビルの内部に、モーズはニコチンと共に足を踏み入れる。
(私がすべき事……。私が出来ること……。そして私に、足りない事)
情報。決断力。
それを得る足掛かりが、ここにはきっとある筈。モーズは朽ちかけの研究室を見下ろし、そう判断した。
「で? 何か探しもんでもあんのか? 使いっぱしりたいなら先に言え、面倒臭ぇ」
「君には付き添いを頼みたい。雑用はしなくていい。ただ、曲者が現れた時に備え、神経を尖らせておいてくれ」
「へいへい」
モーズの言葉から警備が今回の任務、と受け取ったニコチンは実験台の上に被る埃やガラスを軽く払った後、そこに座り込んで煙草を吸い始める。
特に気分を害している様子はない。その事に安堵しつつ、モーズは研究室の探索を開始した。
(昨日はアトロピンに気を使い、ざっと見ただけで出てしまったからな。それに夜だったから視界も悪かった。恐らく昼間に訪れるのは、アトロピンの精神的に辛かったのだろう)
培養槽。薬品棚。古いパソコン。顕微鏡。測定器。フラスコ。試験管。割れ、壊れ、埃を被り、朽ちている事を除けばオフィウクス・ラボの共同研究室と共通する備品が多い。
一つ気になるのは、それに加えて『水槽』らしき器具が多い事か。ガラス張りの四角い箱。水槽に見えるだけで、昆虫を入れていたのかもしれないが。
昆虫からの連想でフランチェスコの姿が思い浮かんだモーズの視界に、作業机に置かれた《万能薬辞典》が映る。一昨日パラチオンからフランチェスコの話を聞き、そちらに意識が持って行かれた結果、本棚に戻すのを忘れていたのだ。
そのまま放っておいてもよかったが、自分の手で散らかした物をそのままにしておくのは落ち着かなくて、つい手に取るモーズ。
その時、背表紙に書かれた著作者名が、目に飛び込んできた。
「……! 『トール』……っ!?」
その名前はセレンが『殺したい』と願う男の名前だ。同名の別人かもしれないが、まさかここで目にすると予想していなかったモーズは動揺してしまう。
「ンだよ。《ウロボロス》の研究員を探してんのか?」
「なっ! トールは《ウロボロス》の所属なのか……!?」
「“元”、ってのが正確だろうけどな。そいつの居た研究所壊したの俺だし」
ニコチンから告げられた情報に、モーズは更に狼狽えた。
幼い頃は気にも留めず、覚える事はなかった《万能薬辞典》の著作者名が、まさか今となって衝撃を与えてくるとは。これも何かの縁なのかもしれない。
「セレンもそん時に“回収”した。あとテルルもな」
トールは、セレンとテルルがいた研究所の研究員。
下手をすれば産みの親に当たる製造者、そうでなくとも監督役に該当するだろう。それだけ関係が深い人間に、セレンは殺意を抱いている。
アトロピンが濁しつつも話してくれた研究所時代の話を鑑みると、それに近しい仕打ちを受けたのだろう。
では、ニコチンは?
平素と変わらぬ様子で煙草を噴かし、研究所を潰した事もあるというニコチンには、《ウロボロス》に対し悪い思い出はないのだろうか。
モーズは逡巡する。けれどアセトアルデヒドの【願い】を思い浮かべ、《万能薬辞典》の表紙を握りしめ、踏み込む覚悟を、決める。
「ニコチン、君は《ウロボロス》と接触した事があるのだな」
「ウミヘビで接触してねぇ野郎は極々少数だ。《ウロボロス》で造られた奴が大半なんだからよ。テトラミックスやパラチオンみたく、あんま記憶ねぇ奴もいるみたいだが」
「しかも研究所に乗り込んだ事がある、と」
「まぁな。どうも俺は制圧すんのに使い勝手がいいらしい。ケッ! 所長もフリードリヒもこき使いやがって」
「……では、ステージ6に《ウロボロス》の研究員が、いや正確には死体らしい、のだが、ともかく元研究員がいる話は聞いているだろうか?」
「小耳にゃ挟んだ。名前は『ショール』だったか? けどカールに返り討ちに合ったらしいじゃねぇか。ははっ! ザマァねぇな! アイツにヤラレるんじゃ大した事ね……」
「このような、男らしい」
モーズは腕時計型電子機器を操作し、イギリスの菌床で撮影されたショールの顔をホログラム画面に投影する。
漆黒の髪に瞳を持つ、どこか神経質そうな青年。
その姿を見た直後、ニコチンは赤い瞳を見開き手に持っていた煙草をへし折った。
「……っ! そいつが、『ショール』だってのかよ……!!」
今までになく動揺した様子のニコチンはすかさず実験台から飛び降りると、荒い足取りでモーズに詰め寄る。
「おい! アセトにゃ言ってねぇだろうな!!」
「話していない筈だ。伝達が行ったのは戦闘員だけだろうし……」
「顔も見せてねぇな!?」
「あ、あぁ……!」
「絶対、話すなよ」
鋭い眼光と共に念を押した後、ニコチンはモーズから離れ真っ二つとなった煙草を携帯灰皿の中へと捨てた。
「君は、この『ショール』という男を知っているのか」
「…………」
モーズの問いかけに対し、ニコチンは非常に不快そうな顔をした後、
「俺を、造った野郎だ」
端的に関係性を語ってくれた。
「何と……!」
「それから、アセトも」
ニコチンとアセトアルデヒドは、同じ研究所で造られた。
新しい煙草に火を付けつつ、ニコチンはショールになったモノの話をしてくれる。
「頭は良いらしいが、馬鹿で無知で無神経で神経質でヒステリックで、どうしようもない奴だったよ。11年前にくたばった筈なのにまた出てくるたァ、ゴキブリみてぇにしぶとい野郎だ」
「……ニコチン。一つ、頼みたい事がある。嫌なら断ってくれても構わない」
「あ゙ぁ゙? 回りくどい言い回ししてねぇで、さっさと本題を言え」
「君とアセトアルデヒド、そしてこの『ショール』の話を、訊きたい」
モーズの頼みを聞いたニコチンは、冷え切った目で睨み付けてきた。
ショールの事を語る口調といい態度といい、彼にとって思い出したくもない記憶なのはわかる。しかし踏み込むと決めた以上、モーズはここで引き下がる訳にはいかなかった。
「……理由は? ただの好奇心ってんならクスシと言えどぶっ飛ばすぞ。そもそも別に俺から聞かんでも、ラボに記録ぐれぇあんだろ」
「一つは君達の知見を深める為。そしてもう一つ。――敵を、知りたい」
ショールはステージ6。ペガサス教団の信徒。いずれまた、相対すると思われる“敵”。
モーズはその敵に、立ち向かう力が欲しかった。
「……。そうかよ」
その決意を汲んでくれたのか否か、ニコチンは大きな溜め息と共に白煙を吐き出すと、どこか呆れた様子で実験台の上に座り直した。
「吐いても知らねぇぞ」
「エチケット袋ならあるぞ?」
「ハッ、用意のいい事で」
ニコチンはもう一度、煙草を口に付け、顔を上げる。
廃ビルの壊れた壁の向こう側には、真っ青な空が見えた。
真っ青な。
ニコチンは、語り出す。
「俺が造られて一番最初に見た光景は、真っ青な、血の海だった」
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