毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第十六章 地獄の最前線

第344話 偶像(アイドル)

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「お祭り、なの?」

 武装した信徒達を前にして、モルヒネは頓珍漢な事を口にする。

「お祭り、お祭り。ぼく初めて参加する、の。うふふふ。あははは」

 場違いな笑顔を浮かべつつ、モルヒネはぺたぺたと足音を立てて穴から廃墟内へ侵入。
 それでもまだ信徒達は動けない。
 歩く。喋る。瞬きをする。そんな彼の所作一つ一つに、目が離せない程に魅了されてしまうから。

「モルヒネ……? 帰還したのでは……」
「ちゃんと見送らなかったのですか? テトラミックスさん」

 セレンに視線を向けられたテトラミックスは、罰が悪そうに頬をかいている。
 乗ってきた車を地上に停め、廃墟に向かう直前。
 モーズは転移装置を起動し、オフィウクス・ラボの転移装置へ接続。モルヒネに「これを使って帰還してくれ」と伝えた。しかし寝起き状態のモルヒネは生返事をするばかりで動かない。
 一刻も早くフリーデンの元へ向かいたかったモーズは、仕方なくテトラミックスに見送りを頼み、廃墟へと向かった。その後の動向は把握できていなかったのだが、現状を見るにテトラミックスはモルヒネを帰還させる事に失敗してしまったようだ。

「モルヒネ、モーズ先生達が車出た後に二度寝しちゃってねー。転移装置でウミヘビを送る場合、意識がある状態でなきゃなんだけど。彼、譲っても声かけても全然起きないから、放っておいたんだよねー。戻るまで大人しく寝てると思ったんだけどなー」
「相変わらず自由なお方ですね」

 寝て、起きて、歩き回って。自由気ままに行動するモルヒネに、セレンは肩をすくめ呆れている。
 そうしてモルヒネが群衆へと歩み寄ってきた所で、ようやく我に返った信徒の一人が声を荒げながら鉄筋の棒を彼に向ける。

「うっ、動くな! お前も悪魔の手先か!?」
「あなた。痛い、の? 痛い、の?」

 しかしモルヒネは向けられた凶器など気にも留めず、信徒の肘にできていた擦り傷に意識が向いていた。廃墟から避難した時か、再び侵入した際、壁に引っ掛けて負傷したのだろう。
 少し赤くなっている程度の軽い擦り傷。痛みはほぼなく、信徒自身も指摘するまで気にしていなかったそれを、モルヒネは酷く悲しげな目で見詰めながら、不意に手を伸ばしてきた。

「いたいのいたいの、飛んでけ」

 そのままモルヒネの指先が信徒の擦り傷に触れる。途端、その信徒は身体から力が抜けたようで、その場にへたり込んでしまった。酩酊しているような状態なのか、口は半端に開けたまま涎まで垂らしている。
 視線だけは、モルヒネを凝視して。

「こら、許可なく人間に毒素使っちゃ駄目でしょー」
「痛い、の。放っておいちゃ、駄目」

 テトラミックスから苦言が飛んでくるが、モルヒネに反省する様子はない。
 手を伸ばしただけで人一人を無力化した。そんなモルヒネに危機感を覚えた男性の一人が彼の肩に掴み掛かり、拘束しようと力を込める。

「まっ、惑わされるな! あいつらの仲間ならこいつも悪魔という事に」
「あっ」

 男性が勢いよく掴み掛かった結果、モルヒネは瓦礫の上にぺたんと尻もちをつく。踏ん張る事も抵抗する事も一切しなかったので、結果として突き飛ばされてしまったのだ。

「酷い、の」

 じ、と。
 モルヒネは上目遣いで自分に掴み掛かった男性を見る。瞳は潤み、長い睫毛は細かく震え、怯え悲しむモルヒネの姿に男性の罪悪感が募っていく。
 そして『弱い者を虐げた』という自認から他の信徒達の視線を変に意識してしまい、慌ててモルヒネへ手を伸ばし、割れ物を扱うかの如く丁寧に優しく立ち上がらせる。
 するとモルヒネは厚ぼったい唇で緩く笑みを浮かべ、起き上がらせてくれた男性の耳元で、吐息をかけるように囁いた。

「ありがとう」

 その一言だけで、男性は何もできなくなる。動く事も喋る事も考える事も、何も。
 手に持っていた拳銃は床に転がり、口は半開きにして、ただ視線だけはモルヒネから外さずに。
 毒素など使わずとも、モルヒネは老若男女問わず。流し目を送った、吐息をかけた、微笑んだ、歩いた、手を振った、髪を靡かせた。
 その何もかもが艶麗として昇華されていき、あれだけ正義感に燃え殺気立っていた群衆はすっかり大人しくなってしまう。 尤もモルヒネからすれば、自分に釘付けになっている群衆など石ころも同然なようで、一瞥さえ送らない。

「ぼうや。ぼうやも痛そう、ね。いたいのいたいの、なくしましょう?」

 彼が見ているのはこの場でただ一人、モーズだけだ。
 しかし彼の元に行くには、自分の周囲を囲むように群れをなす信徒達が邪魔である。モルヒネはそのに対し、厚ぼったい唇を尖らせた。

「どいて?」

 そして一言、命じてしまえば、聖書に書かれた『ナイル川が割れる奇跡』を再現するかのように、信徒達は左右に分かれモーズへ続く道を作る。中には瓦礫や細かな破片をどけ、モルヒネが歩きやすいよう整える者もいる。
 卓越した人心掌握。それを目の当たりにしたモーズは唖然としながらも、自身の元までぺたぺた歩いてきたモルヒネをじっと見上げる。

「モルヒネ……」
「ぼうや。痛いの、なくしましょう?」
「結構、だ。私は麻酔が必要な状態では、ない」
「そ、う?」

 毒素の使用を断られてしまったモルヒネは、悲しげに目を伏せる。しかし彼はそれだけで引き下がらず、今度は重症のフリッツフリーデンに目を付けた。

「あぁ。こっちのぼうやの方が、沢山、痛い痛いしているの。じゃあ」
「結構、だ」
「どう、して? 痛くない、幸せな夢。見させてあげましょう?」
「フリーデンは今、毒で弱っている。そこに更に君の毒を注ぐ訳にはいかない。気持ちだけ、貰っておこう」
「幸せな夢」

 モルヒネは問いかけてくる。とても不思議そうに。

「見たくない、の?」

 ――モルヒネ。
 戦時中に多用された鎮痛剤。痛みから脱却する為の麻薬。負傷した兵士達が痛みと苦しみから逃れる為に乱用した他、
 安楽死にも、使われた。
 モーズはフリッツフリーデンの顔を見る。彼が負った傷は心身共に深い。そもそも命を繋ぎ止めようとするのはモーズの救命はエゴで、「死なせて」と願ったフリッツフリーデンの意思に反する事だ。
 彼はここで眠る方が、起きない方がきっと幸せでいられる。
 それを理解した上で、モーズは首を横に振った。

「私は、私達は、現実を見なくては、いけないのだから」

 モーズは医師としてクスシとして、友人として。
 地獄現実を見る覚悟を、とうに決めていた。
 その答えを聞いたモルヒネは暫し目をぱちくりと瞬きをする。そして突然、目を細めにぃと口の端を歪め、歪に笑った。

「うふふふ。あははは。素敵。素敵、ね。うふふふ。あははは」

 何がツボに入ったのかモーズには皆目検討もつかないが、モルヒネはひとしきり笑った後、ぺたぺたと足音を立てながら歩き始める。

「ええっと、びょういん。行かなくっちゃ、ね」

 しかし彼なりに、設備が整っていないこの廃墟に留まっていてはいけない、と考えてくれたらしく、不意に手を前に伸ばし、縋った。
 呆然と立ち竦むしか出来ていない、信徒達へ向けて。

「ねぇ、助けて?」


※モルヒネがラリっているような幼子のような言動をしているのは「いたいのいたいの、とんでけ」という台詞に合わせてだったりする。


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