毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十二章 コーラル〜海の人形〜

第452話 剥き出しの祈り

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「副所長。なんでアイギスを医療に活用しないんですか?」

 4年前、西暦2316年。
 ユストゥスとフリッツが入所してから、一ヶ月後。
 パウルは副所長、徐福が使う個別研究室に直接足を運び、ずっと抱いていた疑問をぶつけた。

「あのフリッツの回復っぷり。神経がズタズタで全身のほとんどが麻痺状態だったのに、もう人工呼吸器が外れて、腕も動くようになってきた。全部、アイギスのお陰でしょう?」

 2人が入所してラボにやって来て、真っ先に行ったのはアイギスの寄生だ。
 自力で立つ事どころか、自発呼吸さえ難しい状態だったフリッツの回復に、アイギスの治癒能力を頼った。
 経過は良好。
 研修は最低限とし、毎日フリッツのリハビリに徹しているユストゥスの尽力もあってか、フリッツは目紛しく回復していき、今では人工呼吸器に頼る必要もなくなった。
 パウルはてっきり、裂傷を塞ぐ事がアイギスの可能な治療範囲かと思っていた。しかし実際は遥か上。驚異的とさえいれるレベルの治癒力を保持していたのだ、医師として食い付かない訳がなかった。

「クスシだけに活用されるにはあまりにも勿体ない! 怪我も麻痺も、アイギスがいれば手術や施術なしで治療が……!」
「アイギスに殺される可能性があるとしてもカ?」

 徐福は淡々と言った。
 パウルはマスクの下で目を見開く。

「こ、殺される……?」
「気に入らない人間を押し付けられたら、アイギスは血を吸い尽くして殺すヨ。餌の価値しかないからネ。何なら餌にする事さえなく、四肢を引き千切りもてあそぶ事もあり得るヨ」

 部屋の端でふよふよ漂うオビクラゲ型アイギスへ視線を向けながら、徐福は言葉を続ける。

「そもそも安定性がなイ。アイギスが気に入る人間は一万人に対し、一人いれば良い方ダ。そしていざ寄生されたら一生付き纏われル。愛想を尽かされたらそれはそれで殺されル」

 アイギスにとって人間は愛玩動物。
 気に入っている間は友好的に接してくれるが、飽きたり見切りをつけた時は容赦なく突き放してくる。
 そんな御しきれない存在に命を預ける事など、到底できない。

「それにアイギスの戦闘転用に優れたパウルなら気付いているだろうが、アイギスの武力は一市民が持っていていいものじゃないヨ。一歩、扱いを間違えれば宿主ごと生物兵器になるネ。しかも極々簡単に、自分の手を汚す事もなク」

 引き金さえ必要のない殺戮装置。
 アイギスは普通に考えれば運用など考えず、見付け次第、駆除するのが妥当なレベルの危険生物だ。
 一般人に与えるなど土台、無理な話であった。

「アイギスはクスシのような、平然と命を投げ捨てられるぐらいタカが外れた連中じゃなきゃ、扱いきれないネ」

 その点も踏まえ、ラボ入所希望者は面接時に篩にかけられ、それを乗り越えた者がクスシとなる権利を得られる。
 しかし幾ら所長や副所長がクスシ足り得る者と判断しても、最終的に宿主を選ぶのはアイギスで、望み通りの結果を得られなくとも何ら不思議ではない。
 尤もクスシは己が信念の為ならば、アイギスという得体の知れない存在に身を捧げられる者達ばかり。
 それはアイギスの好む傾向に一致していた。

「他にも治療転用できない理由はあるヨ。アイギスによる被害報告……有り体に言うとアタシの研究結果だが、その論文もあル。読むカ?」
「……いえ、大丈夫です」

 パウルは徐福に頭を下げ、個別研究室を後にした。

(考えてみれば、確かに懸念点多過ぎるなぁ。万能な治療法なんてないって事かな。でもいつか、『珊瑚』撲滅の悲願を叶えて、余力ができた時……)

 どんな大怪我も治せる治癒能力を、惜しみなく振る舞えるようになりたい。
 奇跡だろうと、気まぐれだろうと、アイギスによって助けられた命は、間違いなくここにあるのだから。
 そんな事を考えながら、パウルは共同研究室へ戻ったのだった。

 ◆

 ドパパパパパッ!
 会議室の外、廊下から絶え間なく発砲音が聞こえてくる。砒素がめいんうえぽんである、ガトリングの引き金を引き続けているのだ。
 パウルの恩師、ロベルトを……否、ペガサス教団教祖『コーラル』処分する為に。

先生しぇんしぇ、パウル先生しぇんしぇっ!」

 甲高く、必死の声が耳元で響く。白衣の袖が小さな手に引っ張られる。
 アニリンだ。
 心ここにあらずといったパウルを心配したのだろう、涙ぐんでいる。ふと、パウルは顔を上げた。無数の菌糸が氷柱のように生えていた天井は、アイギスとアニリンのグレネードランチャーによって、既に殆ど破壊し尽くされている。砒素がコーラルを引き付けているのもあり、もう追撃は来ないだろう。
 そんな事をぼんやりと考えながら、パウルは再び視線を下に向けた。

 赤い水溜りの中で力無く横たわる、柴三郎。
 その水溜りの中で、赤い湧水が溢れる傷口を閉じようと、エミールは懸命に手を尽くしている。

「柴三郎、柴三郎! 意識を保つのであります!」

 声が震えている。
 彼は鮮血に濡れた左手で術野を必死に押さえながら、右手を救急箱の中に突っ込み、手術器具を手探っていた。
 この救急箱は災害に備え、講演ホールの各部屋に備え付けられていたものだ。

「……ばってん。避難、した方が、よかよ……?」

 柴三郎の唇が、血に濡れながら動いた。
 目は半ば閉じられ、焦点が定まらない。

「もう。長う、なか……」

 悟ったような、穏やかにすら聞こえる声だった。
 その言葉に、エミールは堪えきれずぽろぽろと涙を零す。

「いいえ、いいえ……! ここはヨーロッパ最大の大学病院でありますよ!? そして当方は、ここの院長であります!」

 グッ、と止血鉗子を噛ませながら、彼は上擦った声で言い放つ。

「死なせは、しません……っ!」

 その声は、血と焦燥にまみれた会議室に響き渡った。
 それは決意か。願いか。

「……ねぇ、アイギス」

 ぽつりと、パウルが呟いた。
 その声は、自身にも届くかどうかという程に小さい。

「これ、美味しい?」

 次いで、血がこびり付いた手の平で、周囲に浮かぶアイギスの触腕を鷲掴む。
 柴三郎の血を、味合わせる。

「美味しいんなら、さ。この血溜まり、全部飲んでいいから、さ……。……いや、違うか。君は僕の血が好きだから、僕を宿主に選んだもの、ね」

 ならば対価として妥当なのは、他の誰でもない、自分の血だ。

「ねぇ、アイギス。僕の血を吸い尽くしていいから、さ」

 前代未聞。成功率は未知数。御し切れるか不鮮明。
 失敗すれば共倒れ。
 それでも奇跡を起こせるのならば。

「言うこと聞いてよ」

 剥き出しの祈りを、捧げた。
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