9 / 26
自分たちのペースで
しおりを挟む忙しい日々が続き、ほぼ一ヶ月ぶりになってしまった。
午前中で大学を終えた隼音は、軽い足取りで花楓の家へと向かう。隼音のオフが店休日と重なったのだ。
今日はいっぱい話せる。
やはりまだ少し緊張しながらも花楓の部屋に入る事、数分。
「花楓さん」
「はい」
「……」
「…………」
「なんで逃げるんですか」
「えっ、だって、その……」
と言いながら、ソファの端に座った花楓は更に端へと逃げようとする。
「何もしませんから」
「な、何も、って?」
更に視線も合わせてくれない。もしやこれは、抱かれるかも、という自覚が生まれて……。
……抱かれる側だと思ってくれてる花楓さん、今すぐ抱きたい。
ぶわっと想像してしまい、隼音は片手で顔を覆った。
駄目だ。想像だけで死ぬ。
「花楓さんが俺を恋人として意識してくれるのは嬉しいですけど、俺もまだ、いっぱいいっぱいなんです」
「え?」
「手を繋いだり、抱き締めたり、それだけでもまだ心臓が止まりそうです。すみません、不甲斐なくて」
アイドルならもっとスマートにエスコートするべきなのに。自分でも出来ると思っていたのに。
しょんぼりと肩を落とす隼音に、花楓は目を瞬かせた。そして、ふと肩の力を抜きクスリと笑った。
「俺も、だよ。俺にはこれが精一杯」
チュッ、と頬にキスをする。この場合、可愛い年下の隼音君と思っている花楓の方が強い。
ほんのりと頬を染める花楓を、隼音はぎゅっと抱き締めた。
「一歩ずつ、俺たちのペースで進んでいきましょう?」
「うん、そうだね」
すり…と頬を擦り寄せてくる花楓の方が、一歩先を行っている気がする。
更には身の危険を回避したからか、花楓は普段通りに隼音をジッと見つめた。
「隼音君、髪、切らないの?」
「え、似合わないです?」
「似合うけど……悠哉の最期のシーンを思い出しちゃって……」
うるっと瞳を潤ませた。
隼音の出演分の放送が終わった日、花楓から熱烈な感想の電話が掛かってきた事を思い出す。
悠哉というのは、ドラマで演じた役名だ。
ヒロインに迫ったシーンの後、タイミング良く現れた主人公と大喧嘩をした。ヒロインに迫った事ではなく、自分を傷付けるような悠哉の言動に彼は怒ったのだ。
『それが本当にお前のしたい事か!?』と、彼は悠哉のために涙を流した。
ただ、絵を描く事が好きだった。
その絵を好きだと言ってくれる二人の事が、好きだった。
彼は命を削り、最期に一枚の絵を描き上げた。淡く柔らかな光の射す海辺で笑い合う男女が描かれた、暖かな絵。
それは、三人で良く訪れた海で、悠哉が眺めていた光景。彼の人生で一番幸せだった時。幸せそうな二人の姿は、悠哉の目にはこうも眩しく輝いて見えたのだ。二人は、彼にとっての幸せだった。
主人公とヒロインの結婚式にその絵を贈り、その数日後に大切な人たちに看取られ、彼は人生を終えた。
「ううっ……悠哉、生きて幸せになって欲しかったよ……」
「そうですね……」
隼音の事をぎゅうっと抱き締めてくれるが、悠哉宛の言葉と思うと何とも複雑だ。
「悠哉の分も、隼音君のことは俺が幸せにするからね」
「花楓さん。プロポーズみたいですね」
「…………えっ、……あ、あの……」
「でも、一旦保留にしましょう? まだ俺たちには早いです」
チュッと目元にキスをされ、花楓はこくりと頷いた。確かにまだ早いし、そんなつもりはなかったのだ。
「もう少しだけ、待っててくださいね?」
「うん。…………うん?」
「あ、花楓さんの好きそうな紅茶買って来たんでした。地方ロケの時に見掛けて。はい、お土産です」
「あ、ありがとう……?」
今、何か言われた気がする。花楓は首を傾げる。だが、緩くロケの土産話をする隼音に、可愛いなあと思うともう駄目で。
楽しそうに話す隼音を、にこにこと見つめてしまうのだった。
2
あなたにおすすめの小説
楽な片恋
藍川 東
BL
蓮見早良(はすみ さわら)は恋をしていた。
ひとつ下の幼馴染、片桐優一朗(かたぎり ゆういちろう)に。
それは一方的で、実ることを望んでいないがゆえに、『楽な片恋』のはずだった……
早良と優一朗は、母親同士が親友ということもあり、幼馴染として育った。
ひとつ年上ということは、高校生までならばアドバンテージになる。
平々凡々な自分でも、年上の幼馴染、ということですべてに優秀な優一朗に対して兄貴ぶった優しさで接することができる。
高校三年生になった早良は、今年が最後になる『年上の幼馴染』としての立ち位置をかみしめて、その後は手の届かない存在になるであろう優一朗を、遠くから片恋していくつもりだった。
優一朗のひとことさえなければ…………
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
兄貴同士でキスしたら、何か問題でも?
perari
BL
挑戦として、イヤホンをつけたまま、相手の口の動きだけで会話を理解し、電話に答える――そんな遊びをしていた時のことだ。
その最中、俺の親友である理光が、なぜか俺の彼女に電話をかけた。
彼は俺のすぐそばに身を寄せ、薄い唇をわずかに結び、ひと言つぶやいた。
……その瞬間、俺の頭は真っ白になった。
口の動きで読み取った言葉は、間違いなくこうだった。
――「光希、俺はお前が好きだ。」
次の瞬間、電話の向こう側で彼女の怒りが炸裂したのだ。
まさか「好き」とは思うまい
和泉臨音
BL
仕事に忙殺され思考を停止した俺の心は何故かコンビニ店員の悪態に癒やされてしまった。彼が接客してくれる一時のおかげで激務を乗り切ることもできて、なんだかんだと気づけばお付き合いすることになり……
態度の悪いコンビニ店員大学生(ツンギレ)×お人好しのリーマン(マイペース)の牛歩な恋の物語
*2023/11/01 本編(全44話)完結しました。以降は番外編を投稿予定です。
アイドルですがピュアな恋をしています。
雪 いつき
BL
人気アイドルユニットに所属する見た目はクールな隼音(しゅん)は、たまたま入ったケーキ屋のパティシエ、花楓(かえで)に恋をしてしまった。
気のせいかも、と通い続けること数ヶ月。やはりこれは恋だった。
見た目はクール、中身はフレンドリーな隼音は、持ち前の緩さで花楓との距離を縮めていく。じわりじわりと周囲を巻き込みながら。
二十歳イケメンアイドル×年上パティシエのピュアな恋のお話。
死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!
時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」
すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。
王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。
発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。
国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。
後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。
――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか?
容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。
怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手?
今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。
急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…?
過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。
ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!?
負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。
-------------------------------------------------------------------
主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる