ある日、人気俳優の弟になりました。2

雪 いつき

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一泊二日3

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 大浴場ではないから、腰にタオルを巻いて、手にもタオルを持って入るというスタイルが取れる。
 そう気付いた優斗ゆうとは、脱衣場で隆晴りゅうせいに背を向けたまま服を脱ぎ、素早く腰にタオルを巻いた。このタオルは死守したい。

「うわぁ……」

 先に露天風呂へのドアを開けた優斗は、感嘆の溜め息をついた。
 石組みで造られた広々とした風呂と、周囲を囲む青々とした木々。その向こうには景色に溶け込むように目隠し用の板壁が設置されていた。

 雨避けに屋根も付いているが、空もきちんと見える。夜になると星が綺麗に見えそうだ。

「すごいです……」
「気に入った?」
「はい」

 目をキラキラさせながら笑顔で頷くと、良かった、とばかりに隆晴は目を細める。
 振り向いた優斗は、ピタリと動きを止めた。

「……」

 つい、無言になってしまう。

「どうした?」

 と言われても、口が開かない。
 いや、予想通りといえばそうなのだが。
 ……思った以上に、筋肉がある。
 プロ目前のスポーツマンは、このくらいあるのかもしれないが。それにしても、……逞しい。

 直柾なおまさの芸術的で彫刻のような体躯とは違い、動く為の実戦的な筋肉とでも言おうか。職業でこんなにも付き方が違うとは。

 とにかく、逞しい。
 男らしい。
 羨ましい。

「……筋肉……羨ましいです」
「そっちか」
「そっちもどっちも、男として憧れる体です」
「憧れ、ね」

 羨ましい、とばかりにジッと見つめる優斗に苦笑する。
 名前を呼ぶだけで真っ赤になっていたくせに、裸を見てもこの反応。優斗のツボはいまいち分からないが、ここまで意識されないのも少し面白くない。

「抱かれたくなった?」
「え、っと……、っ…………いえ、ちょっとまだそれは……」

 一歩引く優斗の手を取り、もう片手で頬を撫でる。優斗が視線を反らせないのを良い事に、見つめたまま唇を撫でた。
 そのまま、ゆっくりと顔を近付けて……。

「っ……、流されませんからっ」

 優斗はようやく声を上げて、隆晴の手を押し返した。

「俺が言うのも何だけど、お前、流されすぎじゃね?」
「うっ……先輩の顔が近付くと、こう、反応が遅くなってしまうんですよ……」
「へぇ?」
「っ……! ち、近い! 近いですっ!」

 後頭部に回した手で動けないようにして見つめてくる隆晴に、慌てた声を上げる。既に反応は遅れている。
 突き放したくて胸元に手を付くが、隆起した筋肉にビクリとして手を離した。

「っ……」
「……どうした?」

 さすがにやり過ぎたかと少し心配になり、優斗を解放する。すると優斗はそっと視線を伏せた。

「先輩が変なこと言うから、触ったら危険な気がして……」

 眉間に皺を寄せ、唇を引き結ぶ。

 身の危険を感じたなら成長したものだが、優斗の視線は隆晴の胸元に注がれている。身の危険は感じるが、この筋肉は羨ましい。もっとしっかり触ってみたい。そんな顔だ。

 表情も素直な優斗が可愛くて、だが、ここで遠慮なく触られては理性を保てる気がしない。優斗の視線には気付かないふりをした。

「悪かったよ。もう何もしない」
「……本当ですね?」
「ああ」

 ポンと頭を撫で、洗い場の椅子に座る。すると優斗が躊躇いがちに声を掛けてきた。

「背中、流しますね」
「ん? じゃあ、頼むわ」

 つい今し方、触ったら危険な気がして、と言ったのは誰だ。いや、触ってみたいとソワソワしていたのも優斗だ。
 まあ、背中くらいなら、と隆晴はタオルを渡した。

 脱衣場に準備されていた宿のオリジナル石鹸を泡立て、丁寧に洗っていく。爽やかな柚子の香りが広がり、これは買って帰ろうと二人は同時に思った。
 タオル越しに触れる筋肉に、優斗は羨ましいと心の中で何度も呟く。

「そういやお前、兄貴と風呂入ったんだって?」
「っ!? な……なんでそれを……」
「この前会った時に自慢された」
「そ……ですか……」
「変なことされなかったか?」
「…………多分」
「多分?」
「はい……。もう、何が普通か分からなくなってしまって……。こうして洗ってくれたのは、多分普通ですよね」

 背後から抱き締められた事は普段と変わらない、と優斗は思っている。ただ場所が風呂の中に変わっただけだと。

「感覚麻痺してんな……。まあ、このくらいは普通か」
「ですよね?」

 そう言って腕を洗おうとすると、隆晴は驚いた顔をした。

「どうしました?」
「……まさかお前、あいつに全身洗わせたのか?」
「えっ? 全身、というわけでは……」
「おいこら、目ぇ反らすな」

 しまった、と優斗は思う。洗うのは普通の範囲内でも、背中以外は範囲外だったのか。……いや、あの時もそうかなとは思っていたのだが、直柾があまりに自然に洗うものだから普通かと思ってしまった。

「貸せ」

 優斗のタオルを取り、椅子に座らせる。そして石鹸を泡立てると優斗の背に滑らせた。

「っ……、あれ?」
「ん?」
「いえ、もっとガシガシされるかと」
「お前ん中の俺のイメージどうなってんだよ」

 呆れたように溜め息をつかれ、すみません、と苦笑した。

「先輩は、こう、何事も強いってイメージがあって」
「褒めてんだよな?」
「褒めてますよ」

 クスクスと笑う優斗に肩を竦め、背から腕、腹へとタオルを滑らせる。そして。

「っ! そこはいいですからっ……!」

 腹を滑っていたタオルではなく、直に隆晴の手が腰に巻いたタオルの中に入ろうとして、慌てて止めた。

「全身洗わせたんだろ?」
「そこはさすがにないです!」
「本当に?」
「本当に! 後は自分でやりますから!」

 隆晴の手からタオルを奪って背を向ける。直柾には脚まで洗われたのだが、それは黙っておこう。

 その後は黙々と体と髪を洗い、泡を流して、一度泡まみれになった腰のタオルはさすがに浸けられない、と湯に浸かる直前に外して桶の中に置いた。


 優斗が浸かると隆晴も入ってくる。隣に座り、優斗の顔色を窺った。

「まだ怒ってるか?」
「え? 怒ってないですよ?」

 キョトンとする優斗に、隆晴は目を瞬かせる。早まって怒らせたかと思ったが、優斗にとってはただ恥ずかしかっただけらしい。

「わあ、夕焼け、綺麗ですね」

 もうすっかり普段通り。茜色に染まる空を見上げ、感嘆の溜め息を零した。

「あったかいお風呂と綺麗な景色……最高に幸せです……ありがとうございます」

 肩まで湯に浸かり、ウットリとした表情で言う。口調が少しムニャムニャしていた。

「寝るなよ? 溺れるぞ」
「もうそれも本望ですね……はぁ……あったかい……」

 幸せ、と息を吐くと、ついには目を閉じてしまった。

 優斗がこれほど温泉好きとは知らなかった。
 普段がやはり気を張っているのだろうか。いくら仲が良いとはいえ、母親の再婚相手と新しい兄との生活にはまだ慣れないのかもしれない。

 連れて来て良かった、と思う反面、逆上せて沈む前に回収しなければと気を引き締める。
 気を抜き過ぎてぐでんぐでんになっている優斗は、うっかり目を離すと沈んでしまいそうだ。
 可愛いな。と、やはりもう何をしても可愛く見えて、ほわほわと幸せそうな顔をしている優斗の頬をつついてみた。

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