『魔導書』に転生した俺と、君との日々。

風城国子智

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第二章 湖を臨む都

2.44 湖底の子供達再び

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「先に、顔と肩の怪我、治した方が良いよね」

「そうだな」

 聞き覚えのある高い声が、トールを現実へと引き戻す。

 ここは、……見覚えがある。薄暗い視界を、確かめる。次の瞬間。ベッドに横たわる、上半身の服を脱がされたサシャの白い身体に馬乗りになった半透明の影が、トールの目を射た。

[なっ……!]

 いや、眠っているサシャの血が滲む左頬に、半透明の子供の影が何か軟膏のようなものを塗りつけているだけ。ジルドの小刀で傷付いた左肩にも、少し雑に見えなくもないが包帯が巻かれている。今のところ、サシャもトールも、無事だ。トールを抱きかかえているもう一人の半透明な子供の腕を確かめ、トールは自分を落ち着かせるために息を吐いた。そう、この場所は。もう一度、確かめるように辺りを見回す。この、トールの世界の子供部屋にしか見えない部屋は、古代人の争いに巻き込まれ、湖底に囚われてしまった者達が暮らしている、場所。

「怪我、治るかな?」

 血の気が見えないサシャの頬を確かめ、ベッドから下りた子供に、トールを抱きかかえた方の子供が首を傾げる。

「治るさ。サクラ様の薬だもん」

 この二人にも、見覚えがある。トールを抱えている方が、確かアキという名前だった。サシャに執着している生意気な方が、ユキ。二人とも、やはりサシャより年下にしか見えない。サシャが横たわるベッドの端に腰掛け、サシャの白い髪を撫でるユキという名の子供の半透明の腕を、トールは警戒と疑問が綯い交ぜになった面持ちで見つめた。

「怪我が治ったら、サクラ様のところから頂いてきたこの薬を飲ませて、っと」

 サシャから、トールを抱き締めてベッドを見つめるアキに視線を移したユキが、二人に向かって笑顔を見せてから、ベッド横の腰棚に置かれた精巧な細工の硝子瓶を掴む。

「また、間違った薬、持ってきてない?」

「大丈夫。ちゃんと確かめた」

 トールの視線の上で首を傾げたアキに、ユキの口の端が大きく上がった。

「『消えたい』って言ってた大人達にサクラ様が飲ませた薬と同じ……」

 自信満々だったユキの言葉が、途中で切れる。

「また、サクラ様の部屋から薬を盗んだのですね」

 次にトールの視界に入ってきたのは、これも見覚えのある、半透明の細い影。

「だって、ハル」

 ユキの細い腕から薬瓶を取り上げた細い影に、ユキが頬を膨らませる。

「この子の願いを叶えるのに必要だから」

「あなたが『善行』を積もうとするのも珍しいですね、ユキ」

 サシャの方に伸ばしかけたユキの腕を、ハルは薬瓶を持っていない方の腕で軽く押さえた。

「ツバキ様がチーズケーキを焼いているようですよ、アキ」

 膨れっ面のままのユキを無視するように、ハルがその笑顔をアキに向ける。

「甘いの?」

「かも、しれません」

「やった!」

 にっこりと笑ったアキに一息で近づいたハルの、以外にしっかりとした腕が、トールの視界を覆う。次の瞬間、アキの膨れっ面が、トールの視界下方に見えた。

「食堂には『本』は持ち込めませんから、これは預かっておきましょう」

「むぅ」

 ハルにトールを取り上げられたアキが、息を吐いて、未だに膨れっ面を崩さないユキの腕を取る。アキに引っ張られるようにベッドから立ち上がったユキは、顔を上げてハルを睨んだ。

「俺達が食堂へ行っている間に、また、その子、地上へ戻すつもりなんだろ、ハル」

「実体を持つものに拘るのは良くないのですよ、ユキ」

 諭すハルの言葉に、ユキが激しく首を横に振る。

「でも、この子、ここに二回も来てるよ」

 ユキを助けるアキの言葉が、トールの耳に小さく響いた。

「来たいからここに来たんだろ?」

「『まだ』二回ですから」

 諦めきれない響きを持つユキの言葉に、ハルが微笑むのが見える。

「『二度あることは三度ある』と言います。もう一度、この二人がここに来たら、あなたのものにしていいことにしましょうか」

「やった!」

 トールとサシャの意向を無視したハルの言葉に、ユキの口の端が大きく上がる。

〈ちょっと待てっ!〉

 トールが抗議の声を上げる前に、手を繋いだ二人の子供は、トールの視界から消えてしまった。

 後に、残ったのは。

「やれやれ」

 トールを左腕で抱えたまま床に落ちていたサシャの服を右腕で拾ったハルが、小さく肩を竦めるのが見える。

「まだまだ、あの二人も子供ですね」

 子供の頃に『覚醒』して、そのままここに閉じ込められてしまったのだから、仕方が無い。ぐったりとベッドに横たわるサシャを見下ろしたハルが呟いた言葉に、首を傾げる。もしかすると。電撃のような思考が、トールの全身を貫いた。伝説によると、古代に北の地方に住んでいた人々は、皆物知りで、ここではない世界に憧れていたという。そして、彼らの知識を疎んだ南の者達に、湖の底へと閉じ込められた。と、すると。確信に、全身が震える。この湖底に、閉じ込められた人達は、トールと同じ世界から来た、所謂『転生者』なのだろうか? 中学校の図書室にあった、派手な表紙の文庫本が、脳裏を過る。あの小説の中には、複数の転生者のことを扱った小説も、確かにあった。トールの世界からこの世界に転生してきた者がトール以外に居ても、おかしくはない。

「さて、戻しましょうか」

 思考を巡らせるトールの耳に、優しい声が響く。

 次にトールの視界に入ったのは、再び服をまとった意識の無いサシャと、ハルが床から拾い上げた、鈍い赤に染まった小刀。

「これは、この子が落ちた場所の近くに投げておけば良いでしょう」

 微笑んだハルの顔が、急にぼやける。

 次にトールの視界に映ったのは、暗い夜空と、その夜空で一際大きく光る、緋色の星。
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