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第六章 西からの風
6.22 調査計画
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夕刻の光が黒い雲に掻き消される前に、バリーが教えてくれた小さな廃墟を見つける。
意外に雑草が少ない、しっかりした壁と屋根が残る乾いた石畳の空間に一人と一冊がその身を滑り込ませると同時に、屋根を叩く雨音がトールの幻の耳に響いた。
「やっぱり『星の河』を遡って調べた方が良いよね」
[そうだな]
薄暗いが雨には濡れない空間にその身を落ち着かせたサシャが、下ろした鞄の横でエプロンごとトールを抱き締める。
『星の河』の水が、海峡の不漁と病の原因であるならば、水が流れる河沿いの田畑や村にも似たような傾向――作物の立ち枯れや、奇妙な病気――が出ているはず。『星の河』を遡りながらそれを調べていき、その傾向が無くなった場所のすぐ下流にある支流を遡れば、水に『毒』が流れ込む原因が分かるだろう。海峡に水を供給する河川は『星の河』以外にもいくつかあるが、ここは、バリーさんの言葉を信じよう。調査の計画は、すぐに練り上がった。だが。
[どうした?]
普段とは異なるサシャの震えに、首を傾げる。
「うん……」
トールの問いに、サシャはトールをぎゅっと抱き締めた。
「北向まで行かないといけなくなったら、どうしよう」
サシャが発した懸念に、小さく唸る。『星の河』の源は、サシャの故郷である北辺にある。『星の河』は、サシャが誹謗中傷を受けた北都も通っている。万が一、『毒』の原因が秋津内に無ければ、北向へ、まだサシャへの怨嗟が止んでいないかもしれない北都へ行かなければならなくなる。更に、無い可能性の方が高いが、北辺に『毒』の原因があるとしたら、その地に暮らしている、サシャが親しんでいる人々は、サシャの叔父ユーグは、……どうすれば。
[そう言えば、さ]
あることを思いだし、表紙に大きめの文字を並べる。
[カジミール、秋都で勉強してるって話だったよな]
「うん」
北都でサシャと共に学んでいた友人カジミールは、養父であるヒルベルトの尽力で、ヒルベルトの故郷である秋津の首都『秋都』に留学し、大学で学ぶために必要な自由七科の資格を取った。秋都には良い法学の教授がいないので、『星の河』の河口に位置する津都の大学に向かったが、津都の生活が合わず秋都に戻ったということは、サシャがまだ帝都にいた早春の頃に、サシャを匿ってくれていた帝都の法学教授グスタフの許に出入りしていた、カジミールの親友で北向の王子でもあるセルジュが教えてくれた。
[カジミールなら、頼めば一緒に調査してくれるんじゃないかな]
帝都で母と同じように勉学に励んでいた日々をサシャが思い出す前に、トール自身の考えを表紙に並べる。北向の都で、カジミールはサシャを幾度も庇ってくれた。困っている友人を見捨てるような奴ではない。中学生の時、サッカー部の顧問の許へ一緒に退部届を出しに行ってくれた伊藤の、安心できる笑みを思い出し、トールは無意識に首を横に振っていた。
想いを振り切るために、顔を上げる。
薄暗い部屋の壁に開いた、細長い窓の向こうに見えたおぼろげな城壁に、トールの胸は何故か騒いだ。あの、城壁は、おそらく。帝都の学生用図書館でサシャと一緒に見つめた地図を、記憶から引っ張り出す。方向と大きさを考えると、あの城壁は、秋津の大都市『津都』のもの。
大国である秋津には、『星の河』の中流に位置する『秋都』と河口の三角州上に作られた『津都』という二つの都がある。それぞれの都には『太守』と呼ばれる、王に並ぶ権限を持つ者が住み、都とその周辺を統治しているらしい。この世界の本から得た知識を引っ張り出す。津都の太守の名は、ロレンシオ。秋津の王の従弟の子供だと、トールが読んだ本には書いてあった。
「……あの癇癪持ちの津都の太守……」
夏炉の少年王、リエトの兄が暗殺されたことを神帝ヴィリバルトに報告したラドヴァンの声が、不意にトールの脳裏に響く。帝都でも、南苑でも、津都の太守について良い噂を聞かなかった。あの場所には、行かない方が良いだろう。三角州横の丘の上に立っていると本には書いてあった、王城の尖塔らしき鋭い影を、小さく睨む。
「僕は、もう、寝るね」
サシャの声に、はっとして思考を廃墟へと戻す。
トールが思考している間に、サシャの方は、鞄に入っていた小さなビスケットを食べ終わり、羽織っていたマントを床に敷いていた。
「おやすみ」
[ああ]
懸念と決意を同時に見せるサシャの蒼白い頬に、小さく頷く。
濡れないよう、脱いだエプロンをトールに緩く被せた上で鞄の上にトールを乗せたサシャは、小柄なサシャには少し大きいマントに身を包んだ。
すぐに、安らかな寝息が、トールの耳に響く。
いつもながら、寝付きが良い。どんな場所でもすぐに眠ることができるサシャの能力に小さく微笑む。そのサシャの寝息と、段々と弱くなっていく雨音を聞きながら、トールもいつの間にか眠りに落ちていた。
意外に雑草が少ない、しっかりした壁と屋根が残る乾いた石畳の空間に一人と一冊がその身を滑り込ませると同時に、屋根を叩く雨音がトールの幻の耳に響いた。
「やっぱり『星の河』を遡って調べた方が良いよね」
[そうだな]
薄暗いが雨には濡れない空間にその身を落ち着かせたサシャが、下ろした鞄の横でエプロンごとトールを抱き締める。
『星の河』の水が、海峡の不漁と病の原因であるならば、水が流れる河沿いの田畑や村にも似たような傾向――作物の立ち枯れや、奇妙な病気――が出ているはず。『星の河』を遡りながらそれを調べていき、その傾向が無くなった場所のすぐ下流にある支流を遡れば、水に『毒』が流れ込む原因が分かるだろう。海峡に水を供給する河川は『星の河』以外にもいくつかあるが、ここは、バリーさんの言葉を信じよう。調査の計画は、すぐに練り上がった。だが。
[どうした?]
普段とは異なるサシャの震えに、首を傾げる。
「うん……」
トールの問いに、サシャはトールをぎゅっと抱き締めた。
「北向まで行かないといけなくなったら、どうしよう」
サシャが発した懸念に、小さく唸る。『星の河』の源は、サシャの故郷である北辺にある。『星の河』は、サシャが誹謗中傷を受けた北都も通っている。万が一、『毒』の原因が秋津内に無ければ、北向へ、まだサシャへの怨嗟が止んでいないかもしれない北都へ行かなければならなくなる。更に、無い可能性の方が高いが、北辺に『毒』の原因があるとしたら、その地に暮らしている、サシャが親しんでいる人々は、サシャの叔父ユーグは、……どうすれば。
[そう言えば、さ]
あることを思いだし、表紙に大きめの文字を並べる。
[カジミール、秋都で勉強してるって話だったよな]
「うん」
北都でサシャと共に学んでいた友人カジミールは、養父であるヒルベルトの尽力で、ヒルベルトの故郷である秋津の首都『秋都』に留学し、大学で学ぶために必要な自由七科の資格を取った。秋都には良い法学の教授がいないので、『星の河』の河口に位置する津都の大学に向かったが、津都の生活が合わず秋都に戻ったということは、サシャがまだ帝都にいた早春の頃に、サシャを匿ってくれていた帝都の法学教授グスタフの許に出入りしていた、カジミールの親友で北向の王子でもあるセルジュが教えてくれた。
[カジミールなら、頼めば一緒に調査してくれるんじゃないかな]
帝都で母と同じように勉学に励んでいた日々をサシャが思い出す前に、トール自身の考えを表紙に並べる。北向の都で、カジミールはサシャを幾度も庇ってくれた。困っている友人を見捨てるような奴ではない。中学生の時、サッカー部の顧問の許へ一緒に退部届を出しに行ってくれた伊藤の、安心できる笑みを思い出し、トールは無意識に首を横に振っていた。
想いを振り切るために、顔を上げる。
薄暗い部屋の壁に開いた、細長い窓の向こうに見えたおぼろげな城壁に、トールの胸は何故か騒いだ。あの、城壁は、おそらく。帝都の学生用図書館でサシャと一緒に見つめた地図を、記憶から引っ張り出す。方向と大きさを考えると、あの城壁は、秋津の大都市『津都』のもの。
大国である秋津には、『星の河』の中流に位置する『秋都』と河口の三角州上に作られた『津都』という二つの都がある。それぞれの都には『太守』と呼ばれる、王に並ぶ権限を持つ者が住み、都とその周辺を統治しているらしい。この世界の本から得た知識を引っ張り出す。津都の太守の名は、ロレンシオ。秋津の王の従弟の子供だと、トールが読んだ本には書いてあった。
「……あの癇癪持ちの津都の太守……」
夏炉の少年王、リエトの兄が暗殺されたことを神帝ヴィリバルトに報告したラドヴァンの声が、不意にトールの脳裏に響く。帝都でも、南苑でも、津都の太守について良い噂を聞かなかった。あの場所には、行かない方が良いだろう。三角州横の丘の上に立っていると本には書いてあった、王城の尖塔らしき鋭い影を、小さく睨む。
「僕は、もう、寝るね」
サシャの声に、はっとして思考を廃墟へと戻す。
トールが思考している間に、サシャの方は、鞄に入っていた小さなビスケットを食べ終わり、羽織っていたマントを床に敷いていた。
「おやすみ」
[ああ]
懸念と決意を同時に見せるサシャの蒼白い頬に、小さく頷く。
濡れないよう、脱いだエプロンをトールに緩く被せた上で鞄の上にトールを乗せたサシャは、小柄なサシャには少し大きいマントに身を包んだ。
すぐに、安らかな寝息が、トールの耳に響く。
いつもながら、寝付きが良い。どんな場所でもすぐに眠ることができるサシャの能力に小さく微笑む。そのサシャの寝息と、段々と弱くなっていく雨音を聞きながら、トールもいつの間にか眠りに落ちていた。
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