『魔導書』に転生した俺と、君との日々。

風城国子智

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第八章 再び北へ

8.20 湖の幻想 その3

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「山川!」

 バスが来ないので歩いて駅まで向かっていたトールの背に、聞き知った声が響く。

「丁度良かった」

 振り向いて見えたのは、町中でよく見る、最近の流行らしい簡素な軽自動車。

「乗ってけよ」

 その自動車からトールに向かって手招きする普段通りの笑顔に、胸の痛みを無理に堪える。一昨日誘われた仲間内の飲み会で顔を合わせたのが最後だと、思っていたのに。

「ありがとう」

 小学四年でこの町に引っ越してきて以来の友人、伊藤いとうの屈託の無い笑みに頭を下げて、助手席に乗り込む。営業の途中なのだろう、建築会社に勤める伊藤の地味なスーツの色は、普段の伊藤の性格からすると少しずれているようにトールには思えた。

「あ、仕事の方は大丈夫だから」

 後部座席にうずたかく積まれた資料の山に目を移したトールの耳に、からっとした伊藤の声が響く。

「バス、減ったよな」

 助手席のトールが抱えた杖と大きめのリュックサックに頷いた伊藤は、しかしすぐにフロントガラスの方へと目を移した。

 若年人口が減り、衰退しつつあるこの町で、伊藤は頑張っている。空いている大通りで時折ふらつく動きを見せる前の車から距離をとる伊藤の慎重な運転に、息を吐く。……小野寺も。「子供の世話がある」からと、一昨日も伊藤の隣で一杯だけ飲んですぐに姿を消した伊藤の配偶者の影を、トールは小さく首を横に振ることで追い出した。

 対して、自分は。腕の中のリュックサックに視線を落とす。この町からの撤退を決めたトールの会社は、トールに、都会のオフィスへの転勤を求めた。世間全般が不景気である現在、トールの待遇は僥倖に近い。東京の大学に進学した妹も、そのまま東京の企業に就職した。父と母は、母の病気の発覚を機に、仕事を辞めて母の故郷に戻っている。この町に留まる理由は、……どこにも無い。

 唸りを堪えたトールの視界に、灰色の建物が入ってくる。

「着いたぜ」

 駅の入り口近くに静かに車を止めた伊藤の声が沈んでいるように聞こえるのは、トールの気のせい。

「また、戻って来いよな」

 降りようとドアを開けたトールの肩を、伊藤が掴む。

「ああ」

 いつになく強い伊藤の言葉に、トールは頷きを返す他、無かった。

 罪悪感を覚えたまま、車を降りる。

「ありがとう」

 次にトールの口から出てきたのは、幼馴染みに対する感謝の言葉。

小野寺おのでら、にも、お礼、言っておいてくれ」

 伊藤と結婚しても、小野寺を旧姓で呼ぶ癖は抜けない。

「分かった」

 トールの言葉に口の端を上げた伊藤の顔は、しかし不意に、漆黒の闇の中へと消えた。
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