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第6章 ペアリング
4.初めての、家
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「今日は楽しかっ、た。
ありが、とう」
いつものように駅で別れながら、つい不自然になってしまう。
「じゃ、じゃあ、また月曜日、会社で、ね」
甘いパンケーキを食べて気持ちを切り替えたつもりでも、どうしてもぎくしゃくしてしまう。
それに宗正さんもさっきから、思い詰めたような顔でずっと黙っている。
「もう、行くね?」
こうなってしまったのは全部、自分が悪い。
自分の都合ばっかりで宗正さんの気持ちなんてちっとも考えられなかった自分が。
はぁっ、心の中で小さくため息をつき、宗正さんに背を向ける。
「ねえ」
一歩踏み出したら、手を掴まれた。
振り返ると宗正さんが真剣に私を見ている。
「今日は家まで送っていったらダメかな」
じっと見つめる茶色い瞳に私は、思わずいいよと返事をしていた。
ひとり分空いていた席に私を座らせ、宗正さんは前に立った。
なにか話した方がいいんだろうけど、なにを話していいのかわからない。
宗正さんも片手は吊革に掴まり、片手はポケットにつっこんで私と目を合わせないようにしている。
微妙に気まずい時間を過ごして電車を降り、改札を抜ける。
「詩乃んちってここからどれくらい?」
駅を出るとさりげなく、宗正さんの手が私の手を握った。
「……十五分くらい」
振り払う気はないが、かといって握り返すことはできない。
「そう。
遅くなったら心配だね」
宗正さんに促されて歩き出す。
いつもだって疲れているときは永遠に家に着かないんじゃないかって思う距離だけど、今日は本当に自分の住むアパートに着くのか心配になるほど遠く感じた。
「ここ、だから」
けれどそんな心配は全くの無駄で、ちゃんと築三十年のアパートに帰り着く。
着いたというのに宗正さんが手を離す気配はない。
それにわざわざ送ってくれたのに、このまま帰すわけにはいかないだろう。
「その。
……あがってお茶、飲んでく?」
「いいの?」
「……うん」
わざわざ確認しなくても宗正さんは最初から、その気だったんじゃないだろうか。
――いや。
私もわかっていながら送ってもらったんだから。
階段を二階に上がって、四つ並んだドアの奥から二番目が私の部屋。
ちなみにアパートは二階建てで、同じ建物が二棟、仲良く並んでいる。
「紅茶でいい?」
「いいよー」
宗正さんはベッドを背にローテーブルの前に座り、きょろきょろと部屋の中を見渡していた。
廊下兼キッチンでお湯を沸かしながら、なにかまずいものでも置いていなかったか心配になってくる。
すぐにシュンシュンとお湯が沸きだし、ティーパックでお茶を淹れる。
悪いがうちにはティーパックの紅茶か作り置きの麦茶しかない。
「どうぞ」
「ありがとー」
それでもアイスティにして出すと、たいしたものじゃないのにこっちが恥ずかしくなるくらい、嬉しそうに見えないしっぽを振り振り宗正さんは笑った。
「詩乃の部屋って可愛いね」
「そう、かな」
自分で入れたとはいえ、宗正さんとふたりっきりとかどうしていいのかわからない。
結局、隣には座れなくて斜め前に座ったし。
「オレ、さ。
いままで詩乃は池松係長が好きだからって遠慮してた。
でも今日、これ、買っただろ?」
宗正さんが見せつけるように指環のはまった左手をあげる。
「……うん」
視線を落とした先に見える私の左手薬指にも、宗正さんと同じデザインの指環がはまっている。
「もう遠慮しない。
オレはこれをただのペアリングにする気はないから。
……覚悟して」
宗正さんが私の方へとにじり寄ってくる。
そっと頬にふれられると、ぶるりと身体が震えた。
茶色い瞳が揺らぎなくまっすぐに私を見つめている。
徐々に近づいてくる顔が怖くて思わず目を閉じた……ものの。
「今日はこれで勘弁しといてあげる」
目を開けると宗正さんは笑っていた。
私も緊張が解けてぎこちないまでも笑い返す。
宗正さんの唇がふれたのは私の唇ではなく……額だった。
「詩乃の家がわかったからこれでいつでも遊びに来られるし。
今日はもう帰るね」
「あ、うん」
玄関で靴を履きはじめた宗正さんを慌てて追いかける。
「じゃ、月曜、会社で。
あ、戸締まりはしっかりしなよ?
ここはしてても心配だけど」
「……ひど」
「本当に心配なんだよ。
なんかあったら電話して?
すぐに飛んでくるから。
じゃあね」
バイバーイと手を振る宗正さんに振り返す。
ドアを開けて宗正さんが一歩踏みだし、振っていた手をおろしかけた……瞬間。
「……!」
「じゃあねー」
いたずらっぽく笑った宗正さんの顔を最後にドアがばたんと閉まる。
しばらくして携帯の告げた通知音に我に返った。
【詩乃の唇、いただき】
【詩乃の唇ってすっごく柔らかいね】
【ちゃんと戸締まりしなきゃダメだよー】
入ってきたメッセージに、怒りマックスのうさぎのスタンプを送ったのはいうまでもない。
ありが、とう」
いつものように駅で別れながら、つい不自然になってしまう。
「じゃ、じゃあ、また月曜日、会社で、ね」
甘いパンケーキを食べて気持ちを切り替えたつもりでも、どうしてもぎくしゃくしてしまう。
それに宗正さんもさっきから、思い詰めたような顔でずっと黙っている。
「もう、行くね?」
こうなってしまったのは全部、自分が悪い。
自分の都合ばっかりで宗正さんの気持ちなんてちっとも考えられなかった自分が。
はぁっ、心の中で小さくため息をつき、宗正さんに背を向ける。
「ねえ」
一歩踏み出したら、手を掴まれた。
振り返ると宗正さんが真剣に私を見ている。
「今日は家まで送っていったらダメかな」
じっと見つめる茶色い瞳に私は、思わずいいよと返事をしていた。
ひとり分空いていた席に私を座らせ、宗正さんは前に立った。
なにか話した方がいいんだろうけど、なにを話していいのかわからない。
宗正さんも片手は吊革に掴まり、片手はポケットにつっこんで私と目を合わせないようにしている。
微妙に気まずい時間を過ごして電車を降り、改札を抜ける。
「詩乃んちってここからどれくらい?」
駅を出るとさりげなく、宗正さんの手が私の手を握った。
「……十五分くらい」
振り払う気はないが、かといって握り返すことはできない。
「そう。
遅くなったら心配だね」
宗正さんに促されて歩き出す。
いつもだって疲れているときは永遠に家に着かないんじゃないかって思う距離だけど、今日は本当に自分の住むアパートに着くのか心配になるほど遠く感じた。
「ここ、だから」
けれどそんな心配は全くの無駄で、ちゃんと築三十年のアパートに帰り着く。
着いたというのに宗正さんが手を離す気配はない。
それにわざわざ送ってくれたのに、このまま帰すわけにはいかないだろう。
「その。
……あがってお茶、飲んでく?」
「いいの?」
「……うん」
わざわざ確認しなくても宗正さんは最初から、その気だったんじゃないだろうか。
――いや。
私もわかっていながら送ってもらったんだから。
階段を二階に上がって、四つ並んだドアの奥から二番目が私の部屋。
ちなみにアパートは二階建てで、同じ建物が二棟、仲良く並んでいる。
「紅茶でいい?」
「いいよー」
宗正さんはベッドを背にローテーブルの前に座り、きょろきょろと部屋の中を見渡していた。
廊下兼キッチンでお湯を沸かしながら、なにかまずいものでも置いていなかったか心配になってくる。
すぐにシュンシュンとお湯が沸きだし、ティーパックでお茶を淹れる。
悪いがうちにはティーパックの紅茶か作り置きの麦茶しかない。
「どうぞ」
「ありがとー」
それでもアイスティにして出すと、たいしたものじゃないのにこっちが恥ずかしくなるくらい、嬉しそうに見えないしっぽを振り振り宗正さんは笑った。
「詩乃の部屋って可愛いね」
「そう、かな」
自分で入れたとはいえ、宗正さんとふたりっきりとかどうしていいのかわからない。
結局、隣には座れなくて斜め前に座ったし。
「オレ、さ。
いままで詩乃は池松係長が好きだからって遠慮してた。
でも今日、これ、買っただろ?」
宗正さんが見せつけるように指環のはまった左手をあげる。
「……うん」
視線を落とした先に見える私の左手薬指にも、宗正さんと同じデザインの指環がはまっている。
「もう遠慮しない。
オレはこれをただのペアリングにする気はないから。
……覚悟して」
宗正さんが私の方へとにじり寄ってくる。
そっと頬にふれられると、ぶるりと身体が震えた。
茶色い瞳が揺らぎなくまっすぐに私を見つめている。
徐々に近づいてくる顔が怖くて思わず目を閉じた……ものの。
「今日はこれで勘弁しといてあげる」
目を開けると宗正さんは笑っていた。
私も緊張が解けてぎこちないまでも笑い返す。
宗正さんの唇がふれたのは私の唇ではなく……額だった。
「詩乃の家がわかったからこれでいつでも遊びに来られるし。
今日はもう帰るね」
「あ、うん」
玄関で靴を履きはじめた宗正さんを慌てて追いかける。
「じゃ、月曜、会社で。
あ、戸締まりはしっかりしなよ?
ここはしてても心配だけど」
「……ひど」
「本当に心配なんだよ。
なんかあったら電話して?
すぐに飛んでくるから。
じゃあね」
バイバーイと手を振る宗正さんに振り返す。
ドアを開けて宗正さんが一歩踏みだし、振っていた手をおろしかけた……瞬間。
「……!」
「じゃあねー」
いたずらっぽく笑った宗正さんの顔を最後にドアがばたんと閉まる。
しばらくして携帯の告げた通知音に我に返った。
【詩乃の唇、いただき】
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