おじさんは予防線にはなりません

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第7章 旅行

5.世理さんと……

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翌朝、大河は昨日のことなんて無かったかのように明るかった。

――明る過ぎた。

それが空元気だって気づいていたけど、私も何事もなかったかのように明るく振る舞った。

「ほら、詩乃、馬に人参あげなよ」

「うん」

観光牧場で動物に餌をあげたり、もふもふのうさぎを抱っこしたりしてはしゃいで忘れる。

「ちょっと休憩しよっか」

「そーだね」

牧場自慢のソフトクリームを買って、座れるところを探す。
空いていたベンチに腰を下ろそうとして、隣のベンチに座っていた人が気になった。

「どうかしたの?」

隣のベンチを気にする私の顔を、大河が不思議そうにのぞき込む。

「どこかで会ったことある人だと思うんだけど……」

私たちと同じように仲良くソフトクリームを食べている男女の、女性の方に見覚えがある気がする。

女性の方も私を気にしているようだし。

赤に近い茶髪のマニッシュショートに、マリンボーダーのニットと白のパンツ。
こんな美人、一度見たら忘れないと思うんだけど……。

ソフトクリームを食べながら、あたまの中のアルバムをめくっていく。
さほどめくらないうちに、目的の人物を見つけた。

「……池松さんの奥さん」

「あーっ、和佳の職場の子!」

私と奥さん――世理さんが声をあげたのは同時だった。

「奇遇ね、こんなところで会うなんて」

「はぁ……」

世理さんは嬉しそうににこにこ笑っているけど……一緒にいる人は誰ですか?
ずいぶん若い、私と同じ年ぐらいにしか見えないんですが。

「詩乃、誰?」

ちらちらと大河の視線が世理さんに向かう。
そりゃ、こんなに美人だったら気になるよね。

「池松さんの奥さんで……」

「世理でーす」

「えっ、池松係長の奥さん!?
いつもお世話になっております、池松係長の後輩の宗正です!」

ひらひらと手を振る世理さんに、大河は立ち上がって勢いよくあたまを下げた。

「やあね、奥さんだなんて!
お休み取ってふたりで旅行?
あれ、でもあなた、和佳と付き合ってるんじゃなかったっけ……?」

「……付き合ってないです」

そういえばこのあいだ言っていたな、さっさと付き合っちゃえばとか。

「ふーん。
つまんないの」

「世理、失礼ですよ」

黙って話を聞いていた男が、まるで宥めるかのように世理さんに……キスをした。
私も驚いたし、思わず顔を見合わせた大河も目が大きく開かれている。

「あの、奥さん……?」

「世理って呼ばなきゃ返事しなーい」

ぷーっと頬を膨らませて、世理さんは唇を尖らせた。

「……世理、さん。
その方は?」

「彼氏の渉(わたる)。
ひさしぶりに休みが取れたから、ちょっと旅行にね」

唇をきれいな三日月型にした世理さんに、悪びれる様子はない。

「……それって池松係長、知ってるんですか」

陽気な世理さんと違い、大河の声は冷え冷えとしている。

「知ってるわよー。
だって、和佳公認だもん」

楽しそうに世理さんはケラケラと笑っているが、池松さんは本当にそれでいいんだろうか。

「和佳とは高校時代、付き合っててね。
それで同窓会で再会して盛り上がって、勢いで婚姻届を出したの。
そんな風だったから、恋愛に自由でいましょ、って取り決めたの」

甘えるように世理さんが肩に寄りかかり、渉さんはそっと世理さんの肩を抱いた。
そういうのは見ていて本当に愛し合っているんだって思うけれど、……世理さんは池松さんの妻なのだ。
いくら池松さん公認でも。

「だから私が渉と付き合ってるのは知っているし、和佳がたとえば羽坂さん……だっけ。
羽坂さんと付き合おうと問題ないの」

「池松係長は本当に、納得してるんですか」

「してるから、離婚してないのよ」

世理さんの言い分はもっともだとは思う。

しかし……池松さんはそんな世理さんでも愛しているから、離婚していないんじゃないのかな。



帰りの車の中は変な空気だった。

「詩乃は奥さんが浮気してるって知ってたの?」

「ううん。
知らなかった」

知らなかった、けれどこれで奥さんの話題のとき、池松さんの微妙な態度に納得がいく。
確かに仕事のせいもあるだろうが、奥さんが浮気していて家にあまりいないから、スケジュールがわからない。
家事も池松さんがしている。

「じゃあさ。
奥さんの話聞いて……池松係長を諦めないでいいと思ってる?」

無意識に指がびくんと動いてしまう。

考えなかったわけじゃない、世理さんが浮気しているんなら、池松さんだって浮気したっていいんじゃないかって。
それに浮気したところでそれは世理さん公認だ。

「なに、言ってんの?
私が好きなのは大河だよ。
池松さんのことなんて、もう、忘れたんだから」

声が上擦っていないか気になる。
震えそうな身体は手をぎゅっと握り込んで耐えた。

「……そう。
なら、いいんだけど」

小さく呟くように言った大河は、まっすぐ前を見て運転していた。

諦めると決めたのだ、池松さんを。
諦めて、大河を好きになって、大河を愛して、大河と幸せになるんだって。

なのに。

――いまさら迷うようなこと、知りたくなかった。
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