おじさんは予防線にはなりません

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

文字の大きさ
28 / 38
第8章 ピアス

2.外泊

しおりを挟む
「んー……。
いま、何時……?」

枕元を探り、携帯を掴む。
時間を確認したら、起きるにはまだ早かった。
二度寝を決めこもうとして……違和感に、気づいた。

「……?」

もそもそと起き上がり、辺りを見渡す。

あきらかにそこは、私の部屋ではなかった。
寝ていたのはいつもの狭いシングルベッドじゃなく、広いクイーンサイズのベッド。
白を基調にした清潔な部屋は、おしゃれな映画にでも出てきそうだ。

というか、ここ、どこ!?

慌ててベッドを抜け出て、部屋を出る。
着ていた服は昨日のままで、ただしそのまま寝ていたのでしわしわだ。

「おー、羽坂、起きたのか」

ソファーから起き上がった池松さんがボリボリとあたまを掻いている。
彼の方はTシャツにハーフパンツと、家着のようだった。

「お、おはようござい、……ます」

なんだかばつが悪く、きょときょとと視線が泳ぐ。

「んー、シャワー浴びてこい?
着替えは……」

立ち上がった池松さんは私が出てきた部屋へ消えていった。
少しして服を抱えて戻ってくる。

「妻のだが、未使用だからいいだろ。
風呂はそこ、だから」

「ありがとう、ござい、……ます」

渡された服を持って、示された浴室へ急ぐ。
戸を閉めるとはぁーっとため息が落ちた。

……ここ、池松さんの家なんだ。

なんで自分が、池松さんの家にいるのかわからない。
いやきっと昨晩、酔い潰れてしまって迷惑かけたというところか。

「……最悪」

服を脱ぎながら、ふと手が止まる。

「私、昨日、池松さんと……キス、した?」

自分からあの薄い唇に自分の唇を重ねたのはかろうじて覚えている。
思い出すとあまりにも大胆な行動に、顔から火を噴いた。

「でも、池松さん……」

そっと、自分の唇に触れてみる。
応えてくれたあれ、は夢だったんだろうか。

「とにかく。
これ以上、迷惑なんてかけられないから」

慌てて現実に戻り、シャワーを浴びる。
昨晩のことなど洗い流すかのように、ごしごし身体をこすった。

「シャワー、ありがとうございました……」

池松さんの出してくれた服は、奥さんのだと言っていたが私にぴったりだった。

「おう。
化粧もするだろ?
鏡台の上に適当に並べておいたから、使ってくれ」

「ありがとう、ございます……」

寝室の鏡台の上には、未使用の化粧品がいくつも並べてあった。

「これ、けっこうお高い奴だけどいいのかな……」

いいもなにもすっぴんで会社へ行くわけにはいかないし、仕方ない。
化粧品を借りてメイクを済ませる。
私が再び寝室から出る頃には、いい匂いが漂っていた。

「化粧品、ありがとうございました。
その、あれ……」

「ああ、いいんだ。
妻はいつも、買うだけ買って使わないから。
気に入ったのがあるなら、持って帰っていいぞ」

「はぁ……」

本人の了承なく持って帰っていいのだろうか。
いや、よくない。

「朝メシ、食うだろ」

「……はい」

勧められてダイニングの椅子に座る。
テーブルの上にはごはんにお味噌汁、それに焼き鮭と玉子焼き、ほうれん草のおひたしと、まるで旅館の朝ごはんのような食事が並んでいた。

「いただきます」

お味噌汁は出汁がよくきいていて、飲み過ぎた翌朝の身体に染みる。

「その。
……昨日」

「ああ。
住所聞く前に君が酔い潰れて寝落ちしてしまったから」

「でも、あの」

あの、キスは?

聞きたいけれど口からは出てこない。

「君が寝落ちしたから仕方なく、うちに連れてきた。
それだけ、だ」

真っ直ぐに池松さんが私を見つめる。
それ以上、なにもなかったんだと私に認めさせるように。

「……はい」

「うん」

私が頷き、池松さんもそれでいいんだと短く頷いた。
沈黙が辺りを支配する。
それに耐えられなくて、口を開いた。

「あの。
奥さん、は」

「さあな。
どっかの男のところにでも泊まってるんじゃないか」

なんでもないかのように池松さんはずっ、とお味噌汁を啜った。

「あ……。
すみま、せん」

「別に羽坂があやまるようなことじゃないから」

再び、沈黙が訪れる。
ただひたすら黙って、食事を口に運んだ。

「ごちそうさまでした」

「ん。
おそまつさん」

朝食が終わり、池松さんは後片付けをはじめた。

「あの、手伝います」

「いいから、座っとけ。
それより二日酔いは大丈夫か。
って、あんだけ食えたら平気か」

「ご迷惑をおかけしました」

苦笑いの池松さんへ私も苦笑いで返し、お言葉に甘えてソファーに座る。
携帯にはいくつも大河からメッセージが入っていた。

【ごめん、ちょっと布浦うっとうしくて外出てた】

【池松係長が送っていったらしいけど、ちゃんと帰り着いた?】

【もしかしてもう、寝てる?】

【詩乃いま、どこいるの?】

【まさか池松係長と一緒だなんてないよね】

【大丈夫だって信じてるけど】

【詩乃いま、どこにいるの?】

心配している大河へ、返信を打ちかけて指が止まる。

昨晩、私は池松さんの家に泊まった。
それだけならまだいい。
池松さんはなかったことにしようとしたけれど、キスしたのは事実だ。

そんなの――大河に説明できない。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

睡蓮

樫野 珠代
恋愛
入社して3か月、いきなり異動を命じられたなぎさ。 そこにいたのは、出来れば会いたくなかった、会うなんて二度とないはずだった人。 どうしてこんな形の再会なの?

先生

藤谷 郁
恋愛
薫は28歳の会社員。 町の絵画教室で、穏やかで優しい先生と出会い、恋をした。 ひとまわりも年上の島先生。独身で、恋人もいないと噂されている。 だけど薫は恋愛初心者。 どうすればいいのかわからなくて…… ※他サイトに掲載した過去作品を転載(全年齢向けに改稿)

愛のかたち

凛子
恋愛
プライドが邪魔をして素直になれない夫(白藤翔)。しかし夫の気持ちはちゃんと妻(彩華)に伝わっていた。そんな夫婦に訪れた突然の別れ。 ある人物の粋な計らいによって再会を果たした二人は…… 情けない男の不器用な愛。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

処理中です...