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第9章 退職
2.諦めるしか、ないのかな
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朝、世理さんが置いていった服を借りて着替え、やっぱり置いていった化粧品を借りてメイクした。
「朝メシ、食うだろ」
「あ、すみません!」
あの日と同じで、ダイニングのテーブルの上には朝食が並んでいる。
ご飯にお味噌汁、塩鯖と切り干し大根を煮たの、それに玉子焼き。
「いただきます」
ふたりとも、黙々と朝食を食べた。
どっちも言いだす機会をうかがっている。
「あの」
「なあ」
口を開いたのは、ふたり同時だった。
「あ、池松さん、お先にどうぞ」
「いや、羽坂が先に」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
こほん、小さく咳払いして椅子に座り直し、姿勢を正す。
「昨晩のことは一夜限りのあれだったってことで、忘れてください」
酔った勢い、心が弱って誰かに慰めてほしかったから、そう片付けてほしかった。
じゃないと私が、つらくなる。
「羽坂はそれで本当にいいのか」
じっと、池松さんが私を見つめる。
真っ直ぐなその視線に、目は逸らせない。
「はい。
池松さんもその方がいいですよね」
「俺は……そうだな」
ふっ、私から視線を逸らし、池松さんはまた、食事を再開した。
「池松さんはなんだったんですか」
「俺か?
俺はもう、いい。
それより早くメシ食わないと、遅刻するぞ」
「えっ、もうそんな時間ですか!?」
慌てて、残りのごはんを食べる。
なにか誤魔化された気がしないでもないけど、それ以上聞けなかった。
出社して、いつも通りに仕事をこなす。
池松さんがいない時間を見計らって、本多課長のところへ行った。
「本多課長。
お話があります」
「……なんですか……改まって……」
相変わらず本多課長は、書類とカタログの壁の向こうで、ぼそぼそと話した。
「今月いっぱいで辞めさせてください」
「はいっ!?」
彼にしては珍しく、弾かれたように椅子から立ち上がる。
目はこれ以上は無理なんじゃないかというくらい、大きく開かれていた。
「いま、なんと?」
「今月いっぱいで辞めさせてほしいんです」
はぁーっ、聞いているこっちが陰気になりそうなため息を落とし、すごすごと本多課長は椅子に座り直した。
「……私の一存では……なんとも……。
……外川部長に……相談してみないことには……」
「とにかく。
今月いっぱいで辞めますので、よろしくお願いします」
「……はぁーっ」
返事の代わりにため息が返ってきたけれど、無視して自分の席に戻った。
休み時間を利用して派遣会社の担当、早津さんへも連絡を入れる。
『なにかあったんですか!?』
早津さんは慌てているけれど、まあそうなるだろう。
それでなくても人が居つかない職場なんだから。
「なにもないです。
その、一身上の都合、で」
『もしかして、田舎に帰る……とか』
「あー、違います」
だったら、どんなにましだっただろう。
いや、それもひとつの手かもしれない。
『今日、終わってからとか会えませんか』
「あー、はい。
わかりました」
終わったら派遣会社で、そう約束して電話を切る。
約束はしたものの私は彼に、うまく辞める理由を話せるのだろうか。
今朝、いまの派遣先を辞めようと決めた。
池松さんの気持ちを知ったいま、もうここにはいられない。
片想いでもかまわないと思っていた。
報われなくても、ただ傍にいられたら、って。
でも、どんなに想っても無駄なんだと現実を見せつけられたいま、傍にいるのはつらすぎる。
「既婚者に失恋したから、なんて言えないよね……」
帰るまでに早津さんが納得してくれそうな理由を探さないといけない。
仕事が終わり、重い足を引きずって派遣会社へ向かう。
結局、適当な辞める理由は思いつかなかった。
「わざわざすみません」
待っていた早津さんは、すまなさそうな顔をした。
「それで。
マルタカを辞めたいってことなんですが……」
うかがうように彼が私を見る。
難しい職場で半年も続いた私が辞めるとなると、いろいろあるのだろう。
「はい。
十月からの契約延長したのに申し訳ないですが、今月いっぱいで辞めさせてください」
誠心誠意、あたまを下げる。
無理を言っているのはわかっていた。
つい先日、十月からさらに半年の延長契約をしたばかりだから。
「その、羽坂さんにも都合があるんだと思います。
一応、理由は聞かせてもらわないと」
「そう、ですよね」
――理由。
いまだってまだ、思いつかない。
いっそ、早津さんが言っていたみたいに田舎に帰るとか言うか。
けれどそれだと今後、仕事を紹介してもらうのに支障が出る。
かといって正直に話すわけにもいかない。
「羽坂さん?」
「えっ、あの、その。
……彼氏と、別れて」
我ながら、なんてことを言っているんだと思う。
が、これで乗り切るしかない。
「その、マルタカの社員さんと付き合っていたんですが最近、別れて。
あ、別に彼と同じ職場に居づらいとかじゃないんです。
彼ももう、ただの同じ職場の人として接してくれますし。
ただ……」
「ただ?」
「周りの人が彼を振った極悪人だと、当たってくるんです。
それで、居づらいなー……って」
布浦さんをはじめ数人が、八つ当たり的に私に当たってくるのは事実だ。
でももうそういうのは慣れっこだし、池松さんもフォローしてくれるから問題ない。
けれどこれしか、理由が思いつかなかった。
「またですか」
「また?」
とは、どういう意味ですか。
「あそこ、本人には全く問題がないのに、周りが男女関係のいざこざをすぐ起こすんですよ。
それでいっそ、男性を派遣したら……ともやってみたんですが、それはそれで……。
失礼しました、つい愚痴を」
早津さんはよほど、マルタカで苦労をしているらしい。
私に愚痴を漏らすほどだなんて。
「わかりました。
契約延長は破棄、今月いっぱいで辞めるということで手続きしておきます」
「ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
とりあえず、マルタカを辞められそうでほっとした。
「朝メシ、食うだろ」
「あ、すみません!」
あの日と同じで、ダイニングのテーブルの上には朝食が並んでいる。
ご飯にお味噌汁、塩鯖と切り干し大根を煮たの、それに玉子焼き。
「いただきます」
ふたりとも、黙々と朝食を食べた。
どっちも言いだす機会をうかがっている。
「あの」
「なあ」
口を開いたのは、ふたり同時だった。
「あ、池松さん、お先にどうぞ」
「いや、羽坂が先に」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
こほん、小さく咳払いして椅子に座り直し、姿勢を正す。
「昨晩のことは一夜限りのあれだったってことで、忘れてください」
酔った勢い、心が弱って誰かに慰めてほしかったから、そう片付けてほしかった。
じゃないと私が、つらくなる。
「羽坂はそれで本当にいいのか」
じっと、池松さんが私を見つめる。
真っ直ぐなその視線に、目は逸らせない。
「はい。
池松さんもその方がいいですよね」
「俺は……そうだな」
ふっ、私から視線を逸らし、池松さんはまた、食事を再開した。
「池松さんはなんだったんですか」
「俺か?
俺はもう、いい。
それより早くメシ食わないと、遅刻するぞ」
「えっ、もうそんな時間ですか!?」
慌てて、残りのごはんを食べる。
なにか誤魔化された気がしないでもないけど、それ以上聞けなかった。
出社して、いつも通りに仕事をこなす。
池松さんがいない時間を見計らって、本多課長のところへ行った。
「本多課長。
お話があります」
「……なんですか……改まって……」
相変わらず本多課長は、書類とカタログの壁の向こうで、ぼそぼそと話した。
「今月いっぱいで辞めさせてください」
「はいっ!?」
彼にしては珍しく、弾かれたように椅子から立ち上がる。
目はこれ以上は無理なんじゃないかというくらい、大きく開かれていた。
「いま、なんと?」
「今月いっぱいで辞めさせてほしいんです」
はぁーっ、聞いているこっちが陰気になりそうなため息を落とし、すごすごと本多課長は椅子に座り直した。
「……私の一存では……なんとも……。
……外川部長に……相談してみないことには……」
「とにかく。
今月いっぱいで辞めますので、よろしくお願いします」
「……はぁーっ」
返事の代わりにため息が返ってきたけれど、無視して自分の席に戻った。
休み時間を利用して派遣会社の担当、早津さんへも連絡を入れる。
『なにかあったんですか!?』
早津さんは慌てているけれど、まあそうなるだろう。
それでなくても人が居つかない職場なんだから。
「なにもないです。
その、一身上の都合、で」
『もしかして、田舎に帰る……とか』
「あー、違います」
だったら、どんなにましだっただろう。
いや、それもひとつの手かもしれない。
『今日、終わってからとか会えませんか』
「あー、はい。
わかりました」
終わったら派遣会社で、そう約束して電話を切る。
約束はしたものの私は彼に、うまく辞める理由を話せるのだろうか。
今朝、いまの派遣先を辞めようと決めた。
池松さんの気持ちを知ったいま、もうここにはいられない。
片想いでもかまわないと思っていた。
報われなくても、ただ傍にいられたら、って。
でも、どんなに想っても無駄なんだと現実を見せつけられたいま、傍にいるのはつらすぎる。
「既婚者に失恋したから、なんて言えないよね……」
帰るまでに早津さんが納得してくれそうな理由を探さないといけない。
仕事が終わり、重い足を引きずって派遣会社へ向かう。
結局、適当な辞める理由は思いつかなかった。
「わざわざすみません」
待っていた早津さんは、すまなさそうな顔をした。
「それで。
マルタカを辞めたいってことなんですが……」
うかがうように彼が私を見る。
難しい職場で半年も続いた私が辞めるとなると、いろいろあるのだろう。
「はい。
十月からの契約延長したのに申し訳ないですが、今月いっぱいで辞めさせてください」
誠心誠意、あたまを下げる。
無理を言っているのはわかっていた。
つい先日、十月からさらに半年の延長契約をしたばかりだから。
「その、羽坂さんにも都合があるんだと思います。
一応、理由は聞かせてもらわないと」
「そう、ですよね」
――理由。
いまだってまだ、思いつかない。
いっそ、早津さんが言っていたみたいに田舎に帰るとか言うか。
けれどそれだと今後、仕事を紹介してもらうのに支障が出る。
かといって正直に話すわけにもいかない。
「羽坂さん?」
「えっ、あの、その。
……彼氏と、別れて」
我ながら、なんてことを言っているんだと思う。
が、これで乗り切るしかない。
「その、マルタカの社員さんと付き合っていたんですが最近、別れて。
あ、別に彼と同じ職場に居づらいとかじゃないんです。
彼ももう、ただの同じ職場の人として接してくれますし。
ただ……」
「ただ?」
「周りの人が彼を振った極悪人だと、当たってくるんです。
それで、居づらいなー……って」
布浦さんをはじめ数人が、八つ当たり的に私に当たってくるのは事実だ。
でももうそういうのは慣れっこだし、池松さんもフォローしてくれるから問題ない。
けれどこれしか、理由が思いつかなかった。
「またですか」
「また?」
とは、どういう意味ですか。
「あそこ、本人には全く問題がないのに、周りが男女関係のいざこざをすぐ起こすんですよ。
それでいっそ、男性を派遣したら……ともやってみたんですが、それはそれで……。
失礼しました、つい愚痴を」
早津さんはよほど、マルタカで苦労をしているらしい。
私に愚痴を漏らすほどだなんて。
「わかりました。
契約延長は破棄、今月いっぱいで辞めるということで手続きしておきます」
「ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
とりあえず、マルタカを辞められそうでほっとした。
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