契約書は婚姻届

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

文字の大きさ
122 / 129
第18話 誰のための復讐?

7.知らない真実

しおりを挟む
父親の死後、秘密裏に訪ねてきた尚恭に、犬飼は不信感しかなかった。

「君はオシベに、復讐したいと思わないかね」

オシベの社長で次期会長の男が、なにを云っているのか犬飼には理解できない。

「私はオシベ……CEOに復讐したいと思っている。
そのために、尚一郎を見捨てた。
それで君たちを犠牲にしてしまって申し訳ない」

「……どういう意味ですか」

この男が尚一郎を助けていれば、父親は、妹は救えたのかと思うと怒りで腹の底がふつふつと沸騰する。
目を据えて睨む犬飼に尚恭はふっと薄く笑った。

「私ではCEOに復讐するには力不足でね。
今回の件、尚一郎を見捨てればきっと、彼はCEOへの復讐に燃える結果になるだろうと予測した。
いまは意気消沈しているがすぐに、そうなるだろうね」

平気な顔で云ってのける尚恭に、怒りは一気に恐怖へと反転する。
自分の復讐のために他人を、ましてや自分の息子を利用するなど、正気の沙汰じゃない。

――いや。

そこまでしなければこの復讐はなされないのかもしれない。

「それで。
君はオシベに復讐したいと思わないかね」

聞かれるまでもない、できることならそうしたい。
けれど、尚一郎を利用しての復讐を思いつくこの男でも力不足だというのだ。
自分にはできようはずがない。

「ああ、云い方が悪かったな。
あの男が復讐され、叩きのめされる様を特等席で見たくないか」

そんなことが可能なのだろうか。
思わず尚恭の顔を見返すと、静かに頷かれた。

「この優希も」

尚恭がわずかに首を後ろに向けると、控えていた男が小さくあたまを下げた。

「そして優希の母親も、ずっとあの男への復讐がなされる瞬間を見るために、オシベの家に仕えている。
……これで意味がわかるだろうか」

きっと、尚一郎はあの男に復讐するのにやってきた、またとない逸材なのだろう。

そのために犠牲にされたのには腹が立つが、尚恭に刃向かって無事でいられる気はしない。

それよりも話に乗って特等席であの男が復讐される様をみる方が、ずっとおもしろい。

「……俺は、どうすれば」

「万理奈さんの面倒は私が責任持ってみよう。
君の学費も援助するから、大学を卒業してオシベに入社しなさい」

「わかりました」

こうして犬飼と尚恭は達之助に復讐するために密約を交わした。


その後、尚恭は約束通り、万理奈を病院に入れ費用の一切をみてくれた。
犬飼は大学を卒業すると何食わぬ顔でオシベに入社。
入社時、身元を調べられるんじゃないかと心配したが、尚恭が手を回してくれていたようでバレることはなかった。

入社後、何食わぬ顔で同じく一般社員で入社していた尚一郎に近づいた。
最初はぎこちなかった尚一郎も、昔と変わらない様子で接する犬飼に普通に話すようになった。
もっとも、犬飼自身は尚恭に勧められて仲のいい友人を演じているだけで、尚一郎を許してなかったが。

再会してしばらくたった頃、尚一郎から達之助の復讐計画を打ち明けられた。

「すぐには無理だ。
時間をかけて準備しなければ。
けど、万理奈をあんな風にした奴を許しておけない。
協力してくれないか」

もちろん、すぐに承知した。
それが目的で尚一郎との仲など修復もしたくもない。

しばらく一緒に過ごすうちに尚一郎が昔と違い、周囲の人間に冷たいことに気づいた。
しかもあんなに万理奈の前ではよく笑っていたのに、いまは冷笑か皮肉った笑いしかみない。

「ああ。
僕は万理奈を不幸にしただろ?
もう楽しいとか嬉しいとかそういう感情はいらない。
……許されない」

思い詰めた表情の尚一郎にいい気味だとは思えなかった。

いまの尚一郎をみて万理奈は喜ぶのだろうか。
きっと万理奈なら、復讐なんてやめてもっと幸せになれと云うはずだ。

それからはずっと傍らで、達之助への復讐を願いながら、同時に尚一郎の幸せを願っていた。
達之助への復讐がなされ、尚一郎が幸せになれるのならいい。
けれどすでに犬飼は、復讐が成功したところで尚一郎を襲うのは虚しさだと見抜いていた。

それはたぶん、万理奈の願うところではない。

しかし自分は、父親を、妹をあんな風にした達之助には絶対に復讐したいのだ。

ふたつの願いの中で、自分にはどちらを選ぶべきなのかわからない。


「あの子に再会した!」

珍しく喜ぶ尚一郎に最初、なにを云っているのかわからなかった。
よくよく聞くと以前、一度だけ会って一目惚れした子に再び一目惚れしたのだという。
それだけならまだしも、工場を救うために結婚したいなどと云ってくる。

「わかっているのか、尚一郎。
おまえと結婚するということは、万理奈のように不幸になるということだ」

「わかってる、わかってるよ。
でも、今度は絶対に守ってみせるから」

「それに計画はもう、最終段階に入ってる。
茨の道に彼女も道連れにするつもりか」

復讐が成し遂げられれば、日本中を騒がすことになるだろう。
尚一郎自身、バッシングは免れない。

「わかってる。
それに、僕には幸せになることなんて許されない。
……でも。
最後の最後にほんの少しだけ、幸せになることを許してくれないだろうか」

「尚一郎……」

復讐なんかやめればいい、出掛かった言葉を飲み込んだ。
この復讐は尚一郎のためだけじゃない、皆が望み、待っていることだ。


朋香と結婚した尚一郎は本当に幸せそうだった。
万理奈と過ごしていたときよりもさらにずっと。
あの尚恭も尚一郎に重荷を背負わせてしまったことには後ろめたさがあったようで、影ながら喜んでいた。

けれど結局。


その知らせは尚一郎が帰国したタイミングで入ってきた。
いや、尚一郎の帰国に合わせて達之助がことを起こしたのだろう。

若園製作所のデータ偽装。

しかし実際に使われていたのは達之助が推す、安価で基準も怪しいものを作る会社のものだった。

すべてを若園製作所に押しつけ、さらには尚一郎への制裁を行おうとする達之助に、計画を実行するならここだと尚一郎は決断を下した。

短い間だが夢のような時間を過ごせたと、離婚届にサインする尚一郎を犬飼はただ黙って見ていることしかできなかった。


朋香と別れた尚一郎は、にこりともしなくなった。
犬飼と再会したときよりもさらに、感情を見せない。
まるですべての感情を捨て去ることを自分に課しているかのように。

そんな尚一郎を見ていると犬飼は、自分の望みは本当に正しかったのか自信がなくなってくる。

自分は――きっと万理奈も、ただ尚一郎に笑っていて欲しかったのだ。



「こんなことを朋香さんに頼むのは間違っているとわかっています。
でも。
……どうか尚一郎を、救ってやって欲しい」

犬飼にあたまを下げられるとどうしていいのかわからなかった。

自分は短い間に、尚一郎からたくさんたくさん、愛情を注いでもらった。

あの時間はかけがいのないほど幸せな時間で、……きっと、尚一郎にとってもそうだったのだ。

終わりがくることがわかっていながら、それでも自分を真剣に愛してくれた尚一郎に、今度は自分が応えるべきなのだ。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

あまやかしても、いいですか?

藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。 「俺ね、ダメなんだ」 「あーもう、キスしたい」 「それこそだめです」  甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の 契約結婚生活とはこれいかに。

わたしの愉快な旦那さん

川上桃園
恋愛
 あまりの辛さにブラックすぎるバイトをやめた。最後塩まかれたけど気にしない。  あ、そういえばこの店入ったことなかったな、入ってみよう。 「何かお探しですか」  その店はなんでも取り扱うという。噂によると彼氏も紹介してくれるらしい。でもそんなのいらない。彼氏だったらすぐに離れてしまうかもしれないのだから。  店員のお兄さんを前にてんぱった私は。 「旦那さんが欲しいです……」  と、斜め上の回答をしてしまった。でもお兄さんは優しい。 「どんな旦那さんをお望みですか」 「え、えっと……愉快な、旦那さん?」  そしてお兄さんは自分を指差した。 「僕が、お客様のお探しの『愉快な旦那さん』ですよ」  そこから始まる恋のお話です。大学生女子と社会人男子(御曹司)。ほのぼのとした日常恋愛もの

思い出のチョコレートエッグ

ライヒェル
恋愛
失恋傷心旅行に出た花音は、思い出の地、オランダでの出会いをきっかけに、ワーキングホリデー制度を利用し、ドイツの首都、ベルリンに1年限定で住むことを決意する。 慣れない海外生活に戸惑い、異国ならではの苦労もするが、やがて、日々の生活がリズムに乗り始めたころ、とてつもなく魅力的な男性と出会う。 秘密の多い彼との恋愛、彼を取り巻く複雑な人間関係、初めて経験するセレブの世界。 主人公、花音の人生パズルが、紆余曲折を経て、ついに最後のピースがぴったりはまり完成するまでを追う、胸キュン&溺愛系ラブストーリーです。 * ドイツ在住の作者がお届けする、ヨーロッパを舞台にした、喜怒哀楽満載のラブストーリー。 * 外国での生活や、外国人との恋愛の様子をリアルに感じて、主人公の日々を間近に見ているような気分になれる内容となっています。 * 実在する場所と人物を一部モデルにした、リアリティ感の溢れる長編小説です。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

あなたと恋に落ちるまで~御曹司は、一途に私に恋をする~

けいこ
恋愛
カフェも併設されたオシャレなパン屋で働く私は、大好きなパンに囲まれて幸せな日々を送っていた。 ただ… トラウマを抱え、恋愛が上手く出来ない私。 誰かを好きになりたいのに傷つくのが怖いって言う恋愛こじらせ女子。 いや…もう女子と言える年齢ではない。 キラキラドキドキした恋愛はしたい… 結婚もしなきゃいけないと…思ってはいる25歳。 最近、パン屋に来てくれるようになったスーツ姿のイケメン過ぎる男性。 彼が百貨店などを幅広く経営する榊グループの社長で御曹司とわかり、店のみんなが騒ぎ出して… そんな人が、 『「杏」のパンを、時々会社に配達してもらいたい』 だなんて、私を指名してくれて… そして… スーパーで買ったイチゴを落としてしまったバカな私を、必死に走って追いかけ、届けてくれた20歳の可愛い系イケメン君には、 『今度、一緒にテーマパーク行って下さい。この…メロンパンと塩パンとカフェオレのお礼したいから』 って、誘われた… いったい私に何が起こっているの? パン屋に出入りする同年齢の爽やかイケメン、パン屋の明るい美人店長、バイトの可愛い女の子… たくさんの個性溢れる人々に関わる中で、私の平凡過ぎる毎日が変わっていくのがわかる。 誰かを思いっきり好きになって… 甘えてみても…いいですか? ※after story別作品で公開中(同じタイトル)

俺を信じろ〜財閥俺様御曹司とのニューヨークでの熱い夜

ラヴ KAZU
恋愛
二年間付き合った恋人に振られた亜紀は傷心旅行でニューヨークへ旅立つ。 そこで東條ホールディングス社長東條理樹にはじめてを捧げてしまう。結婚を約束するも日本に戻ると連絡を貰えず、会社へ乗り込むも、 理樹は亜紀の父親の会社を倒産に追い込んだ東條財閥東條理三郎の息子だった。 しかも理樹には婚約者がいたのである。 全てを捧げた相手の真実を知り翻弄される亜紀。 二人は結婚出来るのであろうか。

10年引きこもりの私が外に出たら、御曹司の妻になりました

専業プウタ
恋愛
25歳の桜田未来は中学生から10年以上引きこもりだったが、2人暮らしの母親の死により外に出なくてはならなくなる。城ヶ崎冬馬は女遊びの激しい大手アパレルブランドの副社長。彼をストーカーから身を張って助けた事で未来は一時的に記憶喪失に陥る。冬馬はちょっとした興味から、未来は自分の恋人だったと偽る。冬馬は未来の純粋さと直向きさに惹かれていき、嘘が明らかになる日を恐れながらも未来の為に自分を変えていく。そして、未来は恐れもなくし、愛する人の胸に飛び込み夢を叶える扉を自ら開くのだった。

溺愛ダーリンと逆シークレットベビー

吉野葉月
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。 立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。 優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?

処理中です...