契約書は婚姻届

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第6話 車と元彼と私

1.雪也

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もらった名刺を手に、朋香は悩んでいた。

……連絡して欲しい、か。

ずいぶん前に別れた彼氏。
いまさら話すことなどない気もするが、いったいなんの用なんだろう?
 


雪也と付き合っていたのは、大学二年から四年の前半の約二年間。
朋香にとって、少し遅くに出来た初彼で、もちろん初体験の相手だ。


大学二年のサークルの夏合宿、いまどき、王様ゲームが始まった。

「じゃあ、6番の人と9番の人がちゅー!」

思わず自分の、手の中の割り箸を確認してしまう。
そこに書かれてるのは……9の文字。

……いやいやいや、無理だって。
だって私、まだキスとかしたことないし。

動揺している朋香をよそに、場は盛り上がっている。

「おーい、6番と9番、だれー?」

「あ、……6番、俺」

おずおずと申し出たのはひとつ年上の雪也だった。
ごつい、いかにもゴリラな副部長じゃなかったことにハードルは下がったが、それでも一メートルが九十センチに下がった程度。

いつまでも名乗りでない9番に、犯人探しのように皆が探し始める。
プレッシャーに耐えかねてとうとう、朋香はおそるおそる手を挙げた。

「9番、私、……です」

あっという間に雪也の隣に行かされ、ちゅーだキスだとはやし立てられる。

「ごめんね。
これも、ゲームだから」

雪也に謝られたと思ったら、ちゅっと唇に柔らかいものがふれ、目を閉じる暇もなかった。

……これが私のファーストキス。

自覚すると涙がじわじわ浮かんでくる。
こんなところで泣いては場をしらけさせるだけだと、必死で我慢した。

「あの、すみません。
ちょっとお手洗い」

逃げるようにその場をあとにする。
人気のないところに来ると、膝を抱えてうずくまった。

こんなことで泣いてるなんて、自分はどれだけ子供なんだろうと思う。

ファーストキスは好きな人とロマンチックに。

そんな、乙女みたいに夢見て後生大事に取ってた結果が、これだ。

「バカみたい」

「なにが?」

突然聞こえた声に驚いた。
顔を上げると雪也が困ったように笑っている。

「どうかしたんですか?」

気づかれないように、涙を拭って立ち上がる。

「ん?
若園、泣いてるみたいに見えたから」

「泣いてないですよ。
なに云ってるんですか」

気づかれた、こんなことで泣くなんて面倒な女だって思われたくない。

精一杯強がって云ったものの。

「……鼻声」

「え?」

「鼻声、なんだけど」

苦笑いの雪也に、顔が一気に熱くなっていく。

「もしかして、ファーストキスだったとか?」

これ以上、隠しても無駄だと黙って頷いた。

「そっか、それは悪かった。
俺としては気になってる朋香とキスできて、嬉しかったんだけどな」

「え?」
思わず、俯いていた顔を上げる。

朋香、名前呼び。
そして、照れている雪也の顔。

「しかも、こんなことで泣いてる朋香とか、めちゃくちゃ可愛くてますます好きになった」

なにを云われてるのかあたまがついていかない。

これは、告白されているということですか?

「えっと。
朋香さえよければ、朋香のファーストキスのやり直し、俺としない?」

ぽりぽりと鼻のあたまをかきながらそんなことを云ってくる雪也がおかしくて、つい、朋香は頷いてしまった。

 

それから、合宿所を抜け出して星降る浜辺、思いっきりロマンチックにキスをして、そのまま付き合い始めた。

初体験のときももちろん、目一杯いい雰囲気にして朋香を気遣ってくれたし、誕生日や諸々のイベントごとを雪也は欠かさない。

別段不満もなく、充実していた。
……けれど。

「地方勤務になった」

一足早く社会人になった雪也は地方支社勤務の辞令を受けてきた。

「遠距離っていったって、新幹線で一本だ。
たまに帰ってくる。
だから、大丈夫だ」

「そうだね」

正直に云えば不安しかなかった。
でも、口が裂けたって云えるはずがない。

メッセージでやりとりするたび、ほんとは淋しいくせに隠して強がった。
そんな朋香の気持ちを知っているのか、雪也は毎回、もう少しして暇になったら一度そっちに行く、そう云ってくれた。

しかし、新人で覚えることも多くて忙しく、雪也からの連絡は間遠になっていく。
そのうち、朋香自身も就活に忙しくなってあまり連絡を取らなくなった。

そしてそのまま自然消滅、現在に至る。
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