結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第六章 終わりへ向かっていく時間

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契約の日、矢崎くんは私が選んだネクタイに、それよりワントーン色の濃い、ネイビーの三つ揃えだった。

「どうだ?」

私と目があい、彼がわざとらしくポーズを決めてみせる。

「格好よくて惚れ直しちゃう」

これは正直な感想だ。
いつもよりも気合いが入っているからか、今日の矢崎くんは普段よりも数倍素敵だ。

「よしっ、純華が格好いいって言ってくれたから、頑張れる!」

なんか滅茶苦茶気合い入っているけれど、そんなに?
私には理解できないが、彼の役に立ったんならいいか。
……あ、そうだ。
これだけでこんなに喜んでくれるなら、あれもやる気になるのかな……?

ちょいちょいと手招きしたら、矢崎くんは不思議そうだけれどすぐに寄ってきた。
しかし彼と私の身長差では、背伸びしても届くか怪しい。
さらに手招きすると、顔を近づけてくれた。
腕を伸ばしてその首に回し、引き寄せるようにしながら背伸びする。
なにが起こっているのかわかっていない彼にかまわず、唇を重ねた。

「……頑張ってね」

唇を離し、眼鏡越しに見つめあったままにっこりと笑う。
途端に彼は眼鏡が汚れるなどかまわず手で顔を覆い、崩れるようにその場にしゃがみこんでしまった。

「……純華は俺を殺す気か」

「は?」

手まで真っ赤に染め、彼がなにを言っているのかわからない。

「無自覚なんだもんなー、こえぇよな」

しばらく気持ちを落ち着けるように深呼吸したあと、ようやく矢崎くんは立ち上がった。

「ええっ、と?」

眼鏡を拭きながら彼はうんうんとひとりで頷いているが、完全に私はおいてけぼりだ。

「でもおかげで滅茶苦茶やる気出たわ。
もー、俺は無敵!って感じ。
ありがと」

今度は矢崎くんのほうから、軽くちゅっと唇が重なる。
とにかく、私が思った以上に彼は喜んでくれたみたいだし、よかったな。

仕事中はなんとなく、落ち着かなかった。

……今頃矢崎くんは、契約の最中なんだよね。

私にはなにもできないが、とにかく上手くいくように祈ろう。
とはいえ、何度も携帯の通知をチェックしてしまう。
今日、契約が結ばれれば夜は接待だと聞いていた。
万が一、失敗のときはそれがなくなるから、晩ごはんがいるので連絡するとも。
だから、なにもないのがいい知らせ、なのだ。

「よしっ」

終業時間になっても、矢崎くんから連絡はなかった。
きっと、上手くいったんだと思う。
確認じゃないけれど、帰りに営業部のフロアに行ってみる。
誰かに聞いてみるとか、ましてや矢崎くんに直接確認するとかじゃなく、雰囲気でなんとなくわかるもんね。
ここ数年で一番大きな契約だ、失敗していればお葬式ムードになっているはず。

私の予想どおり、営業部のフロアには活気が溢れていた。
契約は上手くいったんだと確信し、その場をあとにしようとする。
そのとき、ちょうど奥の部屋から出てきた矢崎くんと目があった。
私を見て少し驚いた顔をしたあと、強調するようにネクタイを少し引っ張った横で、もう片方の手を使ってOKマークを作る。
それにうんうんと頷いた。
これは成功で間違いないな。
忙しそうだし、声はかけないままフロアを出た。
矢崎くんもすぐに、仕事モードに入っていたしね。

家に帰り、矢崎くんはいないのでイブキ相手にごはんを食べる。

「パパ、お仕事上手くいったんだってー。
よかったね」

「あん!」

意味がわかっているのか、イブキが元気に鳴く。

「よかったん、だけどさー……」

声は次第に消えていき、最後は物憂げなため息に変わった。
これで、矢崎くんとの夫婦ごっこは終わり。
いつ、別れを切り出そう?
それ以前に、上手く矢崎くんを説得できるかが心配だ。

「ただいま!」

くらーい気分でくらーいホラー映画を観ていたら、矢崎くんが帰ってきた。

「今日は純華のくれたこのネクタイのおかげで、成功したぞ!」

ソファーにいる私の隣に座り、抱きついて熱烈にキスしてくる。
滅多に酔わない矢崎くんだけれど、今日はちょっと酔っているのかな。
それだけ嬉しいんだろうし、プレッシャーから解放されて気が抜けているのもあるだろう。

「お役に立てたんならよかったよ」

無理矢理でも笑顔を作って彼の顔を見上げる。
私が今、いつ別れを切り出そうか悩んでいるなんて知られてはダメだ。

「会長から近いうちに今後について話をしようって言われたし、これで純華を家族に紹介できる。
待たせたな」

うっとりと矢崎くんの手が私の髪を撫でる。

「……うん、ありがとう」

しかし私の心は、どんどん重くなっていく一方だった。
上手く笑えているかすら、不安になる。
でも、ちょっとテンションの高い今日の矢崎くんは気づいていなくて、助かった。

「結婚式、どうする?
純華のドレス姿は絶対、綺麗だろーなー。
あ、でも、和装も捨てがたく……」

想像しているのか、彼は真剣に悩んでいる。
それを、笑顔を貼り付けて見ていた。
……私もウェディングドレスを着て彼の隣に立ちたかったな。
でもそんなの、私には許されない。
許されないのだ……。
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